みなさんご存知のとおり,「姉御」こと永野麻也子は
去る2011年3月1日にこの世を去りました.
遺品の中から,姉御が闘病生活中に書いた「姉御のGAN☆GAN日記」を見つけ,
これこそが,長年にわたって書いてきた「姉御のばたばた日記」の最後にふさわしいと思い,ここに掲載します.
最後に,長年にわたってこの「姉御のばたばた日記」をご愛読してくださって
本当にありがとうございました.
永野麻也子の娘 永野優季
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1.晴天の霹靂
晴天の霹靂だとか、寝耳に水だとか、そんな言葉では表されないぐらい、
2010年12月の3週目は姉御の人生最大にして最悪の展開を迎えた。
自分がどんな状況に置かれているか判断できなくて、
どうすべきなのか迷っている時間も無いままに、検査・入院・治療が始まった。
「元気な」とか「病気知らず」は姉御のためにある言葉。
自分も含めてみんながそう思ってきた53年間。
入院といえば中学2年の盲腸と2回のお産(自然分娩)。
大津市の社会保険課から表彰が来るぐらい国民保険も使わない。
そんな姉御は数年前からじわじわ癌細胞に犯されていたらしい。
2.一人ぼっちの戦い
21日の胃カメラ検査に端を発し、初めは「肝臓に影」その後すい臓癌の烙印を押されるまでの4日間。
姉御の中では「いかに家族や周りに迷惑をかけないか」が最重要課題になった。
生協の理事・学習塾の講師(冬期講習目前!!)・公立中学校新任教師の後補充・
地域の子どもたち相手の発明発見の体験授業講師・いくつかの市民活動・・・・。
突然のリタイアは確実に「迷惑」をかける。
申し訳なさと途中で放り投げる悔しさでいっぱいだった。
検査入院のスケジュールが決まった24日の夕方からあちこちへ電話。
家族や親戚の驚きと動揺も手伝って「姉御がしっかりしなければ!」
3.気がつけば、ちっぽけなめしべ
まず理事長へ。
本来なら辞任しなくてはいけないほどの病状なのに、
「分かりました、あなたの思うようになさってください」と
継続したい姉御の気持ちを大切にしてくれた。
塾でも「大丈夫!代わりなんて何とかなるんやから、先生の体のことだけ考えてよ」
せめて最後の授業で生徒に直接謝りたいというわがままも聞き入れてもらって25日は最後の授業。
授業終了後に事務所に下りたら、今までの教え子たちまでもが集まっていて、
握手と激励とハグの嵐。
「私物は持って帰ったらアカン!必ず復帰!!」と
私物をまとめかけたら、叱られる始末。
私を取り巻く溢れる笑顔・・・一人じゃない。
姉御というちっぽけなめしべをこんなに素敵な花びらが幾重にも包んでくれているんだ!
現状を正しく伝えて、後はみんなに任せることが大切なんだと気がついた。
4.戦うんじゃない
これまでのさまざまな活動で知り合った仲間。
本当なら一人ひとりに病状を伝えて、活動を休止しなくてはいけないのだけれど、
年末の押し迫ったこの時期に到底無理!
だからブログで公開することに。
掲載したとたん、夜中にもかかわらずメールの嵐。
「何ができる」「知らなかった、ごめん」
「頑張れとはいわないよ・・・でも、ファイト!」
「困ったことがあったら、近いからいつでもSOSして」
アメリカインディアンの言い伝え、
「鏡に自分の姿が映っているのは、世界のどこかで誰かが自分のことを思っているから」というのを思い出した。
差し詰め今の鏡の中の姉御は眩しくって目を開けられないぐらい光り輝いている?
家族・仲間・知人の思い、こんなにすごいものが私を包んでいるのかと思うと、
癌への恐怖がどんどん薄らいできた。
戦うんじゃないんだ・・・・そう確信。
5.北風と太陽
姉御が癌への恐怖とこれからのことへの不安でコートの襟を立てて、
癌という病気に向かっていっても、虚しいだけじゃないかな?
姉御には家族の深い愛情と友人や知人の無限の優しさという太陽がある!
その太陽に向かって両手を広げて立っていると、
癌細胞が温かさとパワーでヘロヘロになるんじゃないかな?
今はそんな気がしている。
抗がん剤投与も始まり、これからが正念場だけど、
姉御を取り巻く環境が恐怖や不安を一切感じさせない。
いま溢れてくる想いは「ありがとう」「感謝」「おかげさまで」。
だからいつでも笑っていられる。
姉御のGAN☆GANはまだまだ続く。
(2011年1月18日)
(この文章は,コープしが福祉ネットワークセンター発行『福祉ネットワーク』53号に掲載されました.)
