秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

小説  斜陽 最終章(後編) SA-NE著

2018年02月12日 | Weblog




僕と美香さんは、
数人の年配の人達と一緒に、松結わえと、しのべ竹の燃える高い炎をじっと見ていた。
近付いたら、服に火の粉が降ってくる。少し後退りした。

前にいた人の携帯電話が、鳴った。
「お~、今は火とぼしに来とんじゃわ、また後でかけ直すわ~」と甲高い声で話していた。
隣にいた男の人が、笑いながら話し出した。

「今は便利な世の中になったけど、昔は家の固定電話か、手紙でしか用事を伝えることが出来んかったよなあ」
「電報もあった!」
「電報は、かなり昔だろう、お前、歳がバレルぞ~」回りの人達が、一斉に笑っていた。

炎の回りは日常の何気ない会話で溢れていた。厳粛な面持ちの人はいなくて、みんな朗らかな様子だった。
僕は黙って、オレンジ色に似た炎を見ていた。
この炎が送り火なら、今僕は母の故郷の山で母の魂を再び、見送っているのだ。
夕べ、宮さんが話した事を思い出していた。

祖谷山の話をする時の宮さんの顔は、えびす顔になる。
「旅行中に、まるで迷い込んだみたいに祖谷山と出逢って、この山や里道を歩いて過ごせた歳月を、祖谷山の神様に感謝しているよ。
歳を重ねていると、晨星落落の儚さと対峙しなければならないけど、それはこの世に生まれた者の宿命で、仕方のないことだからなあ…。
森田くん、若い時に生命を磨きなさいよ。若い時に磨いておけば、重ねて行く歳も又、愉快に思えるからな」

漠然としていると、足元で大きな音がして、火の粉が方々に散った。
「気をつけて、竹が弾くよっ」
美香さんが、僕の腕を引っ張った。
松結わえと共に焚かれた竹の節が、パンッパンッと高く鳴り響きながら、裂けていく。

「しのべ竹は、必ず端に節を残して切っているのよ。数年前まで、私知らなかったの」美香さんが、後退りしながら、言った。
炎は、少しずつ小さくなっていく。
やがて、灰に代わろうとしながら、一瞬の時間を刻む様に、小さな音を発している。

母の荼毘の後の、残骸の音と同じ音が灰の奥から、聞こえた。カチッカチッと、囁くような抜け殻の鳴く音。抜け殻の匂い。
母の魂が再び、泣いている。

「美香さん、戒名って何ですか…この世が終わって、あの世でも名前があるなんて、不思議な気がします。
ずっと、考えてました。戒名のあの世の名前は、どんな時に必要なんですか…」僕は美香さんを見た。
美香さんは、小さな声で呟いた。

「今度あの世に行った時に、主人に聞いてみるわ」そう言うと、
美香さんは、炎の残像を追いかけるみたいに、じっと灰を見つめていた。
さっきの老人が、煙草を噎せる様に吸い、呟いた。

「今年の火とぼしは、竹がようけ鳴ったのぉ、あんがに高い音は今まで聞いたことない
竹の鳴る音は仏さんが地の底でヨロコブ声じゃ」
老人の手から息子さんが、煙草を取った。木漏れ日の中で、捨てられた煙草の煙が揺れていた。

気がつくと、いつの間にか、集落の人達はいなくなっていた。
新仏さんの身内の人達だけが残り、お堂の雨戸を閉めたり、火とぼしの後の火の始末をしていた。
竹の棚も知らない内に燃やされていた。存在しない物なんて、この世には無い様に思った。
存在するからこそ、存在しないと言う言葉が在るのではないか…僕の頭をそんな下手くそな哲学が不意に過った。

一時間余りの間に、送り火の弔いは終わり、何の痕跡を遺すことなく、境内は元の異空間の静寂に包まれていた。
美香さんと、車を停めた場所に戻った。

晴天の空に浮かんだ雲に、小さな雲が重なっては離れ、二度と同じ形にならないそれらは、まるで人の人生みたいに思えた。
赤レンガ色の小さなトンボが、畑を上を低く飛んでいた。

「夏が…終わったね」
美香さんは、そう言うと思い切り背伸びして、車に乗り込んだ。
「今日はお客さんのお接待があるから、終わるのは4時過ぎだからね。
気を遣わなくていいから、適当に私の家で働いたらいいわよ」
美香さんは、笑いながら車のスタートキーを押した。急峻な山々に囲まれた九鬼山は、久保山に似ていた。
美香さんの家は、茅葺き屋根をトタンで修復した、大きな家だった。
庭先からきれいに掃除されていて、開け放した戸から風が吹き抜けて、天然の冷蔵庫の中に座っているみたいだった。

僕は、お皿を洗ったり、ビールを出したり、結構忙しかった。知らない人達から
「東京の人って、カッコいいなあ!」と言われた。その度に、笑って愛想をした。

夕方の4時過ぎには、お客さん達も帰り、部屋の中は無音の静けさに戻った。
美香さんは全部の部屋の戸を丁寧に閉めて、確認していた。

「空き家の維持は色々と大変よ、少しでも隙間を作ると、ネズミちゃんが悦ぶからね~
維持は大変だけど、この家に帰ると、身体も心も一番落ち着くからね、
自分の生家の存在って、ココロに保険を掛けているみたいなものね」と笑っていた。

九鬼山を下って、中上集落を過ぎ、対岸の落合集落を見て 国道に降りた。
美香さんは、いつもより多い対向車に、ブツブツ言いながら後退していた。
道幅が広くなった京上を過ぎて、民俗資料館前を過ぎた。

僕は思わず、声に出して言った。
「美香さんっ、本。前に話していた本を、取りに寄らないんですか!」
美香さんは、「忘れるとこだったわ~5時前に寄るからって約束してたのに~」と慌てて
資料館に引き返した。

資料館の前に車を停めて、僕達は中に入った。
閉館中から気になっていた場所だったから、入館出来て少し嬉しかった。
美香さんは、係りの女性と知り合いみたいで、
「ゴメンね~閉館ギリギリになったわね」
と言いながら、笑っていた。

愛想の良い女性が、「まだ時間があるから、ゆっくり展示物見て下さいね」と言いながら、美香さんと何かの談笑をしていた。
「入館料払ったんだから、ゆっくり見なさいよっ」と美香さんに言われて、僕は展示品を一人で一つ一つ、観賞していた。
暫くすると、係りの女性が思い出した様に美香さんに言った。
「忘れるとこだったわ、ダメね、肝心なことを忘れるのよね~倉庫に預かっていた本を返すのよね」
美香さんも、「私もそれを忘れるとこだったわ」
と二人で大笑いしていた。

資料館の奥に、大きな扉があった。
係りの女性が、鍵を差し込んで扉を開けた。
狭い空間に、高い棚が設置されていて、高い場所に開閉式の窓が取り付けてあった。
古い紙の臭いが漂っていた。紙の臭いなのか、黴の臭いなのか、区別がつかなかった。
棚には隙間なく、書物が平積みで並べられていて、床には数個の段ボールがそのままで置かれていた。

「山野様寄贈」と書かれた紙が張られた段ボールを一つ、パイプ椅子に乗って女性が棚から降ろしてくれた。
「この箱が美香さんに返すものよ、確認してね」
そう言うと、資料館にお客さんが来たみたいで、女性は慌てて直ぐに倉庫から出て言った。

美香さんが、
「こんなに沢山の祖谷の資料が、埋もれているのね…父は古書には触らせても、くれなかったわ」
「この一箱、全部頂いていいんですか?」
と僕が高揚して聞くと、美香さんはサラリと「どうぞ、どうぞ」と笑った。
資料館の方で、係りの女性が美香さんを呼んでいた。

「お客さんが、ハート村の伝説を詳しく教えてって、ちょっと美香さん、お願いします~」
美香さんは、はしゃぎながら、倉庫から出て行った。隔絶された空間で
僕は一人になった。外を走る車の音が、籠ったみたいに届いてくる。

段ボールの箱を、そっと開けた。
焼け跡から見つけた位に、酷く乾いて褐色になった古書が、一番上にあった。
僕の探していた、古書だった。

僕は、パイプ椅子に座り、その本を手に取った。
破れない様に、ドキドキしながら丁寧に捲っていった。
ページをめくる手がふと止まった。
一行書きの白い便箋が一枚、二つに折られて、挟んであった。
数台の車の遠ざかる音。
遠くに聞こえる、美香さん達の笑い声。

僕は、挟んでいた紙をゆっくりと広げた。
見覚えのある文字に、膝から力が抜けるみたいに、身体が震えた。


智之様
頂いていた書物をお返し致します。
この本は、貴方が持たれていた方が、相応しいと思います。
これからの人生を、私は一人で歩いて行きます。
どうぞお身体を、大切にされてご家族の方々を お守り下さい。

志代

涙がポタリと、僕の掌に落ちた。
涙はやがて嗚咽にかわり、僕は肩を震わせて泣いていた。
「母さん…母さん…
母さんは、ずっとここに隠れていたんだね
やっと見つけたよ…ゴメンよ…母さん」


美香さん達の足音が近くに聞こえてきた。
僕は本の中に すぐに手紙を仕舞った。
僕の顔は涙で、ぐしゃぐしゃになっていた。

「泣くほど、欲しい本だったの~全く本当に泣き上戸だよね。
しっかりしなさいよっ森田智志っ」

開閉式の窓から、山々の稜線を茜色で縁取る様に燃えながら耀く夕日が射し込んで、
スローモーションで僕の白いTシャツを染めていった。



翌日。
新大阪の駅の改札で、裕基と待ち合わせた。
裕基の体に隠れるようにして、小さな手が見えた。
僕は、しゃがんで女の子を見た。
女の子のポシェットが、揺れた。ポシェットと一緒に、何かが光って揺れた。
見覚えのある、四つ葉のクローバーのキーリング。
あの日、有里にプレゼントしたキーリングだった。
「智志、俺の娘だよ、はじめましてだよな~」

美香さんと同じ瞳をした女の子が、僕を見て恥ずかしそうに、にっこりと笑った。














あとがき

初めて書いた小説、天女花から十年余りでしょうか。私も確実に、年齢を重ねました。
祖谷を美しく描写したいと常に焦りにも似た衝動に駆られておりましたが、語彙に乏しい私には
叶えられない行為であることを、実感致しました。

小説上に登場致します、祖谷の様々な風習は、各集落によって相違し、今では営むことも困難な集落もありますことを、御了承下さい。
私の心に棲む、囲炉裏ばたの爺やんは、幼少期に聞いたお念仏と共に、私自身を形成した始まりでありました。
そして祖谷は、美しい言葉で無理に表現しなくても、存在だけで美しくと言うことを、実感致しました。
それはきっと、読者の皆様方の心の故郷、「父ちゃん、母ちゃん」ではないでしょうか。

皆様の愛する方々が、譬えこの世界から消えてしまっても、風が永遠で在るように、愛する想いは永遠であると信じております。
今回もご迷惑を御掛け致しました、ブログの主様に、感謝申し上げます。ありがとうございました。

                                           SAーNE
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