秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

小説  斜陽 27  SA-NE著

2018年01月22日 | Weblog


車に戻った美香さんは大きな伸びを一回して
車に凭れながらペットボトルのお茶を飲み干した。
僕は小さな谷から流れていた水で手を洗っていた。

「祖谷にあるお墓は、幸せよね…」
美香さんが、対岸の細くなって風に流される煙を見ながら、呟いた。
「幸せ…って?」と聞くと、

「都会みたいに、墓仕舞いとか永代供養とか、考えなくてもいいじゃない」
「でも、宮さんが言ってましたよ、祖谷のお墓を仕舞いして県外の子供さんの近くの霊園に移す人が増えたって」

「それは子供さん達の都合でしょ、別にお墓の立ち退きになった話ではないでしょう…
私は連れて行かれないで、そのままで居られる祖谷のお墓の仏様は、幸せだと思うよ。
死んでからも触られるのは、おちおち死んでもいられないって話よ」

「おちおちですか?」
と僕が少し微笑うと、美香さんはペットボトルのラベルを剥がして、小さく折ってリュックのポケットに入れた。

「生まれた場所で、土に還る。それが一番幸せじゃないのかな…
人間は土に還る為に生きているんだもの…」

美香さんは時々、真顔になる。今さっきのお酒を飲みかけた顔とは別人みたいだった。
僕達はシゲ爺さんの家に向かった。

僕達が到着すると、シゲ爺さんは、陽の当たる場所で何かの敷物を出して、座ろうとしていた。
白い枝がそこらじゅうに散らばっていた。

「お待たせしました~ごめんね、遅くなって」
美香さんの後ろから、僕も付いていった。

「お~スマンスマン、シヨさんとこの坊っちゃんに、渡したい物があってのう、
丁度もんとったって聞いたもんでのぅ」

シゲ爺さんは、胸に会社名の刺繍されたグレーの作業服を着ていた。
この前の寝巻き姿とは、別人みたいだった。

「シゲ爺ちゃん、何をしてるん!?これって、ミツマタの木だよね」
美香さんは少し、びっくりした様子だった。

「わしな、あれから思いよんじゃ、シヨさんの初盆のこしらえしちゃろうと思うて
納屋のミツマタ殻ヨリヨッたんじゃわ」

「初盆~!森田くんのお母さんの?」
「そうよの、どうせ辰巳の正月も出来てなかろう~せめて初盆の火は生まれた場所で
焚いてやらないかんぞっ心配すな、わしが全部こしらえしちゃるきんのぅ」

シゲ爺さんが、何かを話しながら悦んでいるのは判ったけれど、
僕はやっぱり言葉が判らなくて、曖昧な笑顔で誤魔化していた。
美香さんが、後で紙に書いて通訳するわと、少し呆れた様子だった。

「いつ、東京に帰るんなら?」
と僕の顔を見た。
「明後日の朝です」
と応えると、

「そうか、そうか、シヨさんの息子が東京か、エライエライ、デカシタ、デカシタ」と言いながら
何かを取りに家の中に入っていった。
杖を付きながら、片手は畳に触るくらい前屈みになって、危なげな姿勢だった。
暫くすると、手に何かを2つ握りしめて出てきた。

「山野の美香さんには、これを置いとった!さいさい上手いもん貰うきん気の毒なきんの
これは名古屋の娘が送ってくれる荷物に入っとるんじゃけど、体にええきん飲めって言うんじゃけんど
わしはこんがなもんは飲まん」

見ると、何かの健康食品みたいだった。
「え~私はいいよ、だって折角娘さんが送ってくれているのに、娘さんに悪いもの~」
美香さんは、小さな箱を指先で押さえる様にして、断っていた。

「わしはこんがなもんで元気になるんなら、誰っちゃあ、医者の世話にはならんし、死ぬ人間もおらんと思とる
好きな場所で住んで、好いた焼酎飲んで、自分で作った芋食べて、それがわしのしたいことじゃ」
美香さんは、うん、うんと頷きながら、小さな箱を受け取っていた。

「これは、坊にやるわ、わしは若い時に山師だったんじゃ、シヨさんの親にも世話になって
さきさきの山の枝打ちさしてもろて、子供らをええ学校に行かしてもろた~そのお礼じゃ、もろてくれえよ」
と言いながら、僕の手に何かを握らせた。

僕は手を広げて、その小さなモノをじっと見た。
それは古い色の剥げた方位磁石だった。

「ありがとう…ございます」
と言って受けとると、シゲ爺さんは、至福の表情で笑った。

「わしは今から、集落の旧正月の祝いで公民館に行くんじゃ、今日の酒は上手いぞ~
坊にも会えた、べっぴんさんにも会えた」

「余り飲み過ぎないでよ~また遊びに来るね」
僕達は車に乗り込んだ。シゲ爺さんが助手席のガラス窓をコンコンと叩いた。
僕は窓を開けた。
シゲ爺さんが、両手を杖で支える様に立って優しい顔で言った。

「また、もんてこいよ…」
僕はハイッと返事をした。

帰りに美香さんは、迂回路して帰るねと言いながら、対岸に見えていた、山道を通った。
杉林の続く曲がりくねった山道の途中で、美香さんが突然車を停めて、遥か対岸を指差した。
「ねえ、この場所から森田くんの家が見えるよ~」

寥々とした枯れ木の中に沈んだ様に立つ母の生家は
時空の中に置き忘れられた精霊の脱け殻みたいに見えた。

シゲ爺さんに、お墓の掃除のお礼を言い忘れた事を、美香さんに言うと、
「こんど、帰った時にお土産でも渡して、お礼を言ったらいいのよ~
エンジニアの最先端で活躍する若者に、方位磁石は中々ウケるなあ~
シゲ爺ちゃんにしたら、最先端の文明だったのね~」

美香さんの横顔を見ながら、シゲ爺さんの顔を浮かべていた。
その優しい「もんてこいよ」の声を、僕達は二度と聞けなくなった。
あれが僕とシゲ爺さんの今生の別れの場面となった。












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