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芝山巌 ~ やっと来ることができました

2010年08月02日 | 日本語教育
昨年12月に台湾でシンポジウムがあった時、かなりエクスカーションの中に入れてほしいとお願いしたのですが、時間の関係で入れていただけなかった「芝山巌」。

今日、ようやく行くことができました。

日本語教育世界大会のエクスカーションのコースにも入っていなかったので、残念でした。

芝山巌は、僕が大学2年生の時にとった「日本語教育史」の授業の中で、関正昭先生(現・東海大学)に教えていただいてから、ずっと行きたいと考えていたところでした。

1896年1月1日、台湾で日本語教育に携わっていた6名の日本語教師が現地の人々に殺害された事件です。
殺害された6名の中の一人、愛知県出身だった関口長太郎は、当時37歳。愛知教育大学の前身である愛知尋常師範学校の卒業生です。
日本語教育を開始した学務部長だった伊澤修二は、愛知師範学校の校長をした人物、東京芸大の音楽系を設立したり、障害児教育にも大きな足跡を残しています。殺害された6名の中には、私と同郷の山口県出身の人も2名含まれています。楫取道明は38歳、井原順之助は23歳です。楫取氏は吉田松陰の甥にあたるそうです。

この芝山巌事件は、こののち、台湾教育の根本を支える「芝山巌精神」として利用されました。

そんな芝山巌。

20年たって、ようやく来ることができました。

MRT芝山駅を降りて歩きます。

ちょっとした山の上でした。

山の下の公園で太極拳をなさっている方に道を尋ねると、案内してくださいました。

階段を上がります。

「学務官僚遭難の碑」です。



内閣総理大臣として伊藤博文が揮毫した字が彫られています。

近くにある建物の中に「芝山巌事件」とパネルがかかっていました。



教育関係者の碑も。


伊澤修二の名前が読み取れるでしょうか。

石碑の真ん中あたりに横に走る白い線が見えますが、これは、終戦後、この石碑が叩き壊された後だそうです。
その後、修復されました。

でも修復されていない石碑も周りに散乱していました。


そして、亡くなった6名のお墓も。

1995年、事件から100年を記念して再建されたそうです。


ご一緒してくださった社会科の真島先生、リソースルームアドバイザーの山田先生、史跡を案内してくださった呉先生です。

20年越しの願いがかなえられました。

ありがとうございました。
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