くろちゃんの甲府城つづりⅡ

やまなしの甲府城跡や文化財のようすや活動を、
くろちゃんと仲間たちがなんとなく紹介するため再登場!

甲府のビールのお話

2016年08月28日 | 甲府城日記
先日開催された「小江戸甲府の夏祭り」のポスターに取って代わって、甲府城城下の至るところで目にするこのポスター
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 あっちにも相葉くん                こっちにも相葉くん

なんだろう?この山梨推し感は??
と気になってキリンビールのホームページを検索してみると、
『47都道府県の一番絞り』なるものが発売されているんだとか

「山梨の誇りを込めてつくった山梨だけの味わい」なんですって

ところで
140年程前、明治初期に、日本で最初の国産麦酒の醸造を始めたのが、なんとここ山梨なんですよ~

甲府城下の柳町(現、甲府市中央四丁目)に酒造と醤油造の醸造所と営業所を設け、寛政年間から明治維新まで、御蔵宿札差(注1)を務めたほどの、甲斐を代表する豪商であった「十一屋」野口家。

その野口正章比氏は、国内で最も早い時期からビール醸造に着目した人物で、明治2、3年頃から試験的に醸造を始め、5年にイギリス人のコープランド氏を招き本格的に着手。
7年には、大蔵卿大隈重信から認可を受け、東京と横浜で『三ツ鱗ビール』の製造販売を行ったそうです。

   
     三ツ鱗ビールの商標


また、「鉄道王」と呼ばれた、甲州財閥のひとり根津嘉一郎氏も、日本麦酒鑛泉(現、アサヒビール)でビール事業を手がけていたそうですよ

山梨というと、ワインのイメージが強いですが、以外にも、ビールとも古くからのお付き合いがあったのですね



注1)旗本や御家人の代理として扶餌持米を幕府米蔵から受け取り、その委託販売を許された商人

参考資料:十一屋コレクションの名品~野口柿邨をめぐる文人たち~
       野口正章氏の三ツ鱗麦酒


コメント
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