指定管理者速報ブログ版/公園情報センター提供

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公園遊具博覧会ブログは終了しました。

砂場

2010年12月31日 10時11分58秒 | 日記
今の公園砂場には安全と安心や衛生面を考慮していろいろな対策が施されている。砂場の周りをフェンスで囲んだり、シートやネットで被ったりしている。これは究極的には「人」に対するものであるように私には思えてならない。
写真のような砂場シーンはよく見かける。かけてあるシートやネットを自分の子どもが遊ぶ一部分だけをあけて遊ばせる風景だ。いろんな子どもたちが偶然に仲良く遊ぶ「砂場」を根本から否定する遊び方だ。そんな社会が町中に広がっている。ぜいぶん了見の狭い楽しみ方だ。了見も世間も極端に狭いジジィーの言うことだからあまり当てにしない方がいいが・・・。
明日は謹賀新年です。

健康遊具-1

2010年12月30日 08時22分24秒 | 日記
これも土足厳禁の健康遊具。見た目は「健康」かもしれないが、利用者が少なければ単なる飾り物。うちの婆さんがやっていた「青竹踏み」とさして何ら変わらない。その婆さんも元気に鰻丼を食べた翌日、ころっと死んだ。南無阿弥陀仏。

リンク式小遊具

2010年12月29日 11時52分47秒 | 日記
リンク遊具の上物が虎型。これは案外珍しい。関西地方では人気があるかもしれない。
虎で思い出したが、私は大の床屋嫌い。子どもの頃からジジィーの今までずっと嫌い。
子どものころ、母親の命令で仕方なしに行っていた床屋のオヤジが変な人だった。それからいろいろな床屋に行くようになったが、床屋のオヤジやおばちゃんはだいたいが変わっている。みんなはどう思いますか。
子どものころ行っていた床屋のオヤジは習字好きで、漢字もろくに読み書きできない子どもの私に自分の書いた習字紙を10枚も20枚も持ち出してきて、シンニュウがどうのこうの、ゴンベンがあっだこーだと言い始め、最後にはいつも「あとで一緒にやるか」と強迫してくる。「あとでやるか」とは習字を一緒にやるかのことだ。そんなことよりもっと一生懸命床屋の仕事をすれはいいのにと思うほど、お客は少なかった。だから床屋のおばさんは床屋の良い腕を持ちながらも布団やサンのセールスをして、それもあんまり売れないものだから家族の多い私の家によく立ち寄って「布団はどうの、枕はいいか、毛布はまだへいきか」などとうるさく言ってきていたようだ。私も嫌だったが母も迷惑していたようだ。
今たまに行く床屋のおばちゃんも変わっている。昔のことをいろいろ勉強しているようで、ソープランドの昔の名前はなんだっけとか、全学連のフルネームはとか、あんたはサバとアジのどっちが好きか?とか妙なことをいろいろ尋ねてくる。小説を書いており、文学界の最年長新人賞をとりたいらしい。あんまりうるさいので、僕は新聞を読まないし、テレビも見ない、街中は目をつぶって歩いていると返事をすると「へー偉いわねぇー、その歳でも勉強してるんだ」とほめる。
もうー床屋はほとほと苦手なのだ。

ゾウさん型すべり台

2010年12月28日 11時59分08秒 | 日記
色こそ違え、このゾウさん型すべり台については最近記しているので、またうだうだ書き綴るのはやめる。
それはそうとして、今年も押し詰まった。それでもこのブログは一日の休みもなく続ける。そんなに続けて何が面白いのかと聞かれるが、別段面白いことなど何一つ書いていないので、そんな問いには答えられない。ただ一つ、もし私に妙な力でもあれば、過去から現在まで子どもたちやみんなにいっぱい遊ばれ、ボロボロになった優れた遊具をどこかに保存をし、そこで偉そうに館長などをやり、みんなをだまくらかした銭で優雅に暮らしたかった。しかしそんな妄想はかなうはずもなく、仕方なしにこのブログをやっている。仕方がないやしょうがないことは誰にでもいっぱいある。それを我慢し、できれば新しい可能性を求めて更に活躍の場を求めて行く人々も多いだろうが、私にそんな努力はない。あきらめと怠惰な日常が待っているだけだが、そんな私にも一つだけ好きなことがある。それは粗末でみすぼらしい小さな公園に行って、木々の間から漏れてくる日差しの中でぼんやり遊具を見ていることだ。思い出の中にしかいなくなった友達のこと、兄弟のこと、好きだった女の子のこと、喧嘩した悪がきどものことなどなどを懐かしく思い出しているのだ。おずおずと近づいてくる野良猫と遊ぶのも楽しい。どこか自分と似ていていとおしいのだが、ぶん殴りたくもなる。まぁーろくな人生じゃない。

複合遊具

2010年12月27日 08時52分39秒 | 日記
お母さんに見守られた小さな子どもが一人複合遊具で遊ぶ。よく見る風景で誰も気には留めないよくある風景に一つに過ぎない。しかし、戦後のベビーブームの中で生まれ育った私にはいつまでたってもなじめない風景の一つなのだ。
私らの子ども時代、そこいらの公園や適当な空き地で遊ぶとき、親が付いてくるなんてことは100パーセントありえなかった。たまに爺さんや婆さんなどと一緒にやって来る子どももいたが、年寄りは隅のベンチで昼寝などをして時間を潰していた。小さい子どもも兄弟と一緒にやって来ては必ず泣かされるが、リードなど付けていないどこかの犬が何処からかやって来ては、そうした幼子の涙をペロリと舐めてやると、また元気に兄弟たちの仲間に入っていった。また、親のいない子どもたちもやって来ていた。その中に私がとても気になる兄妹がいたが、この話はいづれまたの機会にする。
後年、私の母親は子どもが外から遊んで帰ってくると、外で何を食べていたか必ず言わせたといっていた。それは何を食べたかで子どもの体調を推し量っていたのだと言う。しかしこれは私に限って言うなら事実ではない。兄弟がいっぱいいたので他の兄弟に関しては知らないが、私のことではない。はっきり言ってほったらかしだった。
母は子どもの私にこんなことも言った。「挨拶ができないなら人前に出てくるな」と。普通の親なら「挨拶ができるように頑張ろうね」と説得するのが優しい母親像ではないか。「出てくるな」と「頑張ろう」の違いで育った子どもは確実に違ってくると思うのだが、私もいい加減だったのでも気にならないで育った。
今の公園事情では、小さな子どもが公園で遊ぶとき、親御さんが付いて来るのは普通かもしれないが、いづれはこんな社会ではなくなっていてほしい。

高鉄棒

2010年12月26日 08時21分10秒 | 日記
公園の鉄棒には高鉄棒と低鉄棒の二種類がある。ご存知でしたか。
だれがどちらを利用するかは個人の勝手。鉄棒の良し悪し(好き嫌い?)は過去に何度か言っているので、もう飽きた。
私の公園調査で記憶に残っている鉄棒風景のいったんをご紹介する。
それは雨上がりの小さな公園だった。鉄棒の下はみんなに利用されていたためか、少し掘られた感じになっており、2連の両方に水が溜まっていた。そこへ姉妹と思われる少女二人がやって来た。小学生低学年風だ。お姉ちゃんは水溜りを上手に避けるようにして逆上がりを何度か妹に見せている。妹は低い方の鉄棒で逆上がりをやってみたがぜんぜんできない。何度挑戦してもできない。そのたびにお姉ちゃんは何かほ教え、自分でやってみせる。そんなことを繰り返していると妹が泣き出した。もう嫌だ、帰るとでも言い出したのかもしれない。泣き虫だった私にはそれが分かる。
それでもお姉ちゃんは幾度も幾度も見本を見せる。そんなことに勇気をもらったのか、妹がそれまでにも増してスピードをつけて足を上げた、その足が真上までいった。もうすこしチカラを込めれば逆上がりができそうだ。しかし結果はそうならなかった。そしてそれだけではない。本人も「できるかもしれない」と油断があったのだろう。バタンと言う音と共に妹の両足が地べたの水溜りに落ちてしまった。勢いもあったのか、泥水で妹もお姉ちゃんも水浸しになった。そして姉妹は大声を上げて笑うと、何かを喚きながら走って帰って行った。
私はそんな風景を見ていて、こんなことを思った。
「よう頑張った。美しかった。最後まで結果はわからないが、君たちは素敵だった。でも母さんには叱られるぞ。」