子どもを通して、素敵な出会いをたくさんさせてもらっている。
その出会いはどれも、いままでにそのタイミングで出会うように
用意されてきたかのような必然的なもの。
そして、そんな出会いを通して得るものは、まるで自分がもう一度生まれ変わるような体験の連続とでも言おうか。
そう、「育児は育自」であり、「親が変わってはじめて子ども変わる」ということが少しづ見えてきた気がするんです。
プレーグループに来てくれているシスターが
いつもおっしゃることがある。
「子ども一人一人には、生まれつきもっている内に秘められた力、生きるエネルギーがある
大人こそ自分自身を解放させて、子どもから学び、目覚める必要がある。」
正直、私も海外で、年の近い二人の子どもの育児に日々追われ、戸惑うことが多かった。
子どもとの時間を、途方にくれながら、どうやってやり過ごすかということばかりに気をとらわれたり。
でも私が見失っていたのは、目の前の、日常的に繰り広げてくれる子どもたちの刻々と移りゆく創造的なエネルギー、生命力でした。
それに気がつくことで、子どもと接する毎日のたわいもない出来事が、すべてを書き留めておきたくなるほどの宝の山。
彼女たちがただそこにいてくれることに感謝したくなるのです。
その出会いはどれも、いままでにそのタイミングで出会うように
用意されてきたかのような必然的なもの。
そして、そんな出会いを通して得るものは、まるで自分がもう一度生まれ変わるような体験の連続とでも言おうか。
そう、「育児は育自」であり、「親が変わってはじめて子ども変わる」ということが少しづ見えてきた気がするんです。
プレーグループに来てくれているシスターが
いつもおっしゃることがある。
「子ども一人一人には、生まれつきもっている内に秘められた力、生きるエネルギーがある
大人こそ自分自身を解放させて、子どもから学び、目覚める必要がある。」
正直、私も海外で、年の近い二人の子どもの育児に日々追われ、戸惑うことが多かった。
子どもとの時間を、途方にくれながら、どうやってやり過ごすかということばかりに気をとらわれたり。
でも私が見失っていたのは、目の前の、日常的に繰り広げてくれる子どもたちの刻々と移りゆく創造的なエネルギー、生命力でした。
それに気がつくことで、子どもと接する毎日のたわいもない出来事が、すべてを書き留めておきたくなるほどの宝の山。
彼女たちがただそこにいてくれることに感謝したくなるのです。