Tao of a music therapist

音楽療法士としての生き方(タオ・道)を通した日々の出来事や、音楽についての果てなき思いを綴ります。

育児は育自―子どもに秘められた力とは?

2010年03月30日 | 子育て、育児、育自
子どもを通して、素敵な出会いをたくさんさせてもらっている。
その出会いはどれも、いままでにそのタイミングで出会うように
用意されてきたかのような必然的なもの。

そして、そんな出会いを通して得るものは、まるで自分がもう一度生まれ変わるような体験の連続とでも言おうか。

そう、「育児は育自」であり、「親が変わってはじめて子ども変わる」ということが少しづ見えてきた気がするんです。

プレーグループに来てくれているシスターが
いつもおっしゃることがある。

「子ども一人一人には、生まれつきもっている内に秘められた力、生きるエネルギーがある
大人こそ自分自身を解放させて、子どもから学び、目覚める必要がある。」

正直、私も海外で、年の近い二人の子どもの育児に日々追われ、戸惑うことが多かった。
子どもとの時間を、途方にくれながら、どうやってやり過ごすかということばかりに気をとらわれたり。

でも私が見失っていたのは、目の前の、日常的に繰り広げてくれる子どもたちの刻々と移りゆく創造的なエネルギー、生命力でした。
それに気がつくことで、子どもと接する毎日のたわいもない出来事が、すべてを書き留めておきたくなるほどの宝の山。
彼女たちがただそこにいてくれることに感謝したくなるのです。





「おむつなし育児」って?

2010年03月13日 | 子育て、育児、育自
二人目の子どもができたら試したいことのひとつに、
「おむつなし育児」があった。。。。過去系になっているが、
「まだ遅くない、いつかしたい」と実はひそかに思っている。

センセーショナルな
題目に惹かれて本屋でふと手にしたこの本。

そこには、人間の赤ちゃんには、他の哺乳動物と同じように
「動物としての基本的ニーズ」である自分自身を排泄物で汚さない本能が
備わっていること、赤ちゃんの排泄欲求のサインを読み取って排泄を通じた
コミュニケーションを育む素晴らしさが書かれていた。

赤ちゃんってすごい!
確かに、生後間もない新生児はおむつをかえるとき、
きまっておしっこを「ぴゅー」と気持ちよさそうにするではないか。

私たちは、紙おむつという便利な育児グッズを当たり前のように
使用し、乳幼児期の最初の数年間に子どもは「おむつの中で排泄をすること、
またトイレで排泄することを二度も学ばされなければならない」なんて。

しかも、「おむつなし育児」とは新しい育児方法でもなんでもなく、
日本でも古来から行われてきたことで、いまでも発展途上国などでは
当たり前のように行われている。

トイレットトレーニングに躍起になって、
成功すれば、「良くできたね。」
失敗すれば「なんで、教えてくれなかったの」

こう声をかけるのは、きまって親の都合でしかない。
子どものことを思えば、
「やっとトイレでできて、良かったね。気持ちよかったね。」
なのかもしれない。


日本の「おむつなし育児」HP
おむつなしを快適にすごすグッズの紹介
またわれパンツ、外出時のおまるホーローなど
http://www.omutsunashi.org


臨床的な音楽のスペースについて

2010年03月04日 | 音楽療法のはなし
以前、「マインドフルネス」の記事の中で
音のスペースについて少し触れた。

即興的なやり取りを重視する、音楽療法アプローチにおいて、
相手からの自発的な反応が得られるのは、結構「音の無いところ」だったりする。


前回の記事で書いたのは、こちらのあらかじめ意図した思いが強すぎて、
音を詰め込みすぎると、相手の反応の余地がなくな場合があるということ。

今回の、「音の無い」という意味でのスペースは、ただ単に休符とか、沈黙では
片づけられないような間のような気がする。

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先日、音楽療法士で私の恩師の薫ロビンズさんがやっている、
子どものための音楽の体験会に参加したときのこと。
私自身、音楽療法士でありながら、自分の子どもを連れて音楽療法士たちがやる
セッションを親の立場から体験。これは、目から鱗ものである。

NYでバイリンガルに育つ子どもも多いなか、今回はたまたま
「音楽を通じて英語を学ぼう」というコンセプト。
楽器をもって各々に鳴らす活気のある、でもメロディアスなパートを、薫さんの
歌の合図で、一斉に休止する。おもむろに薫さんが「ワン・ツー」とカウントを始める。
「~スリー・フォー・ファイブ」と同時に、またピアノがなって皆演奏を始める。

次の休止の後、薫さんはカウントをせずに、待った。
すると、何も教えたわけではないのに、子どもたちが次々と
英語でカウントを始めるではないか。

子どもが数を数えたくなる瞬間、数を数えることに意義が
もたらされた瞬間が、この音の無いところだった。


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また、ある赤ちゃんのための音楽に参加したときのこと。。。。
ある一音のトーンチャイムを鳴らすお母さん方。
フレーズとフレーズにしばらくの間が置くかれる。。。
すると無造作にハイハイをしていた赤ちゃんが一斉に、
それぞれの動作をやめて耳を傾け、その中の数人は同じトーンの
声を出す。

6か月やそこらの赤ちゃんたち。でも、自分の中の残響に耳を澄ませ、
それにattunementして、表現する能力が引き出されたのは、
まさにこの「間」があったからではないだろうか。

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音のスペースということで、対極にあるのが
テレビ「お母さんといっしょ」の中の音楽かもしれない。
―隙がない、完全に緻密に組み立てられたという点でだ。
うちの娘も、好きだし、今の時代、あの番組にお世話になっていない
お母さんのほうが少ないだろう。


でも、子どもたちは音楽の「音の無いところ」で、
耳を一生懸命使って、その子なりの静かにすごい体験をしているのだ!!

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上に紹介した、2~3歳児対象の音楽の体験会
は、3月の第3週にNY、マンハッタンでまた行われます。
興味のある方は、ご連絡ください。

4月18日、領事館後援のヘルスフェア初日、NY日系人会で、
「聴く」というテーマで講演会をします。
今から楽しみです。