Tao of a music therapist

音楽療法士としての生き方(タオ・道)を通した日々の出来事や、音楽についての果てなき思いを綴ります。

パフォーマンス

2006年12月22日 | 日記
最近、寝てもさめても、わたしの頭の中を、音符がかけめぐっています。

というのも、今週末、ジャムセッションでジャズピアノを演奏することになったからです。

そのきかっけには、音楽療法の仕事をしていて、私が抱いていたジレンマがありました。
―忙しくなればなるほど、自分ための音楽をする時間がめっきり少なくなっていたこと。気がつけば、ピアノの鍵盤より、PCのキーボードを打っているほうが多いではないですか。

そんなとき、自問しました。
果たして、わたしは自分のための音楽を弾いているか?音楽を心から楽しめているか?って。

そんなわけで、音楽をもう一度自分の生活に取り戻したいという思いから、何か目的を持った音楽活動に挑戦することになったのでした。



演奏する=「perform」という言葉には、必然的に「音楽」が目的語になります。
そして、それには聴き手に対する方向性が含まれています。

この相手を意識することから、いい緊張も生まれるかもしれないし、もしくは、相手にどう思われるかという幻想にとらわれて、エゴ・自己意識が過剰になって、ミスを恐れたり、通常の意識とは違う状態に置かれることがあるのではないでしょうか。
(この点は、著名なジャズピアニスト、Kenny Wernerも彼の本、“Effortless Mastery"で指摘しています。)

その自分の意識とのバランスをどうとるのかが、音楽にかぎらず、仕事でも、運動競技でも、パフォーマンスにはつきものですよね。

日ごろ、現場で子供たちと音楽をしたり、一緒に即興で音楽を創ってコミュニケーションをはかったり。。。

そういうときは、「音楽を」演奏するのではなく、「音楽で(媒体)」子供たちの自己表現を助けたり、反応を引き出したりするのを目指すことに意識をむけているため、パフォーマンスとは性質が違うもので、しばらくそういうものと遠ざかっていました。



でもいつかある恩師の先生が、パフォーマンスの利点のひとつには、Affirmation of self「自己の肯定」だといっていたのを思い出しました。

きっと緊張するだろうけど、そんな自分もひっくるめて認めて、いい緊張感で音楽ができるのを楽しんで臨めたらって思ってます。

Do not fear mistakes. There are none.
―Miles Davis (“Free Play”より引用)

(こんな達人の域にたっするには、どのくらいかかるでしょうか。)

*このKenny Wernerの本は、演奏家向けの本なんだけど、自分でできる瞑想CD付きで とってもユニーク。ひたすら、“I'm great....I'm a master....といって、プレッシャーに打ち勝つ自分のメンタリティーを作り上げていくんだって。

記事

2006年12月05日 | 日記
 先月、音楽之友社から刊行されている専門誌、「the ミュージックセラピー」vol.10に記事が掲載されました。

「音楽療法最前線・海外版」というコーナーに見つけることができます。題名は「ニューヨーク発、音楽療法研修記」で、前号vol.9に続く連載記事の最終回になります!

 わたしがまだインターン生だったころ、スーパーバイザーに「日記をつけてごらん」とすすめられたのがきっかけで、患者さんとの音楽をとおしたかかわりや、日々の想いなどを記すようになりました。

しかし、それをまとめたものは、しばらくのあいだずっとPCのなかに眠っていました。

その書き物を、一人でも多くの人に読んでもらうよう励ましてくれた恩師の先生。そしてそれを目にとめてくれた、音楽之友者の編集者の方々。すべてに、感謝です。

子どもと音楽

2006年12月04日 | 日記
シェアしたいエッセーその②
「子どもと音楽~音楽療法士の視点から~」
―2006年2月(活動紹介)

 日常生活の中で、子供が思いもかけない音に敏感に反応したり、自然とリズムにのって体を揺らしたりする姿を目の当たりにしたことはないですか。
 
 子供は本来、音に対する豊かな感受性や反応性を秘めています。というのも、胎児の聴覚が早期に発達することから、生後の子供にとって音は、視覚や他の感覚に比べると、ずっと親しみのある感覚世界だからではないでしょうか。
 
 私は「音楽療法」といって、音楽の持つ諸要素、リズム、メロディー、音質、テンポ、ダイナミックス等を意図的に用いて、子供の内に本来満ちていながら、感情の歪みや障害に阻まれている音楽性を引き出し、自己表現や成長を促す援助活動をしてきました。
 
 身近にある音楽を、偶然の出来事で終わらすのではなく、子供のニーズや成長に合わせてその子自身の音楽を発展させていくプロセスを一緒に辿ります。
 
 音楽療法は個人と集団でも行われます。用いる音楽は、主にピアノや楽器による生の即興演奏です。この即興演奏という音楽形態によってこそ、その子自身が持っている状態に音楽の方から歩み寄り、子供の泣き声や発声などいかなる反応をも汲み取って返す柔軟な音のキャッチボールがよりよくできるのです。
 
 そこには間違いや何が正しいかということもありません。その子自身の表現そのものが音楽を創造する原石なのですから。
 
 以前、関わったことのある自閉症と診断された8歳の男の子は、3歳児になる頃までに獲得した言語を失い、対人関係を避けて次第に自分の殻にこもるようになりました。
 
 言語コミュニケーションが困難なために生じるフラストレーション、感情の起伏も頻発していました。音楽療法のセッションに初めて来たその男の子は、私という人の存在を素通りしてある道筋をせわしなく歩くことを執拗に繰り返していました。目を合わせることもせず、話しかけても反応を示しません。
 
 しかし、即興演奏を使って彼の反応を探るためにピアノのテンポを意識的に速めたり遅くしたりすると、彼の歩調も私の音楽のテンポに呼応し、彼の発声が音楽の調子にあっていることを発見しました。その時言葉以上に音楽は彼に届いているという確かな手ごたえを得ました。
 
 その後、毎週のセッションを重ね、一年を通して彼との音楽のやり取りを通してできた様々な曲を発展させていきました。この生の音楽がその子の注意や意識を呼び覚まし、その音楽を発している人への「気づき」を促したのです。
 
 最終的には、私の手をとって一緒に音楽遊びをしようと彼の方から歩み寄ってくるようになり、彼のために作られた無二の歌が彼に笑みをもたらし、安心感を与えてくれました。
 
 自閉症などの障害そのものを根本から取り除くということは音楽療法の範疇を越えて様々な他の医療科学分野を伴う困難な問題です。音楽療法で扱う大切な点は、子供が持つ潜在力をどのように引き出してその子がその子らしくいられるかを探ることです。ある枠組みにはめて強制するよりも、音楽のほうから歩み寄り、働きかけ、誘い出し、一緒に成長の旅を辿る。
 
 音楽演奏活動を経て獲得する創造性は、その子が将来物事に柔軟に対応する根本的な生きる力を与えてくれるのです。