「成人」ランナー“フル完走100回”ひで会長の日記

フルマラソン完走100回を達成! ランナー生活30周年、ランナーズマイスターのランニングクラブ会長マラソン日記

私のランナー履歴書 14 「クラブ主軸・安定期編(1) 初の逃サブフォー、そして制限時間4時間の大田原へ挑戦!」

2018年09月11日 | 私のランナー履歴書


これまでは創成期から成長期という若手時代のランナーとしての形成段階を振り返ってきました。記録という点でもこの頃が一番の絶頂期であった訳ですが…。

2000年に第3の師匠がクラブから離れることになり選手としても運営面でもクラブのリーダーとなった私は時期的にも良くも悪くも安定期を迎えました。これまでの師匠3名のような目標もライバルも不在となった中で良く言えば「クラブの主軸(エース、運営代表、のちに会長)としてタイムを維持し続けていった時代」、しかし悪く言えば「記録も停滞、変化にも乏しい低迷時代」となったのです。
一方でこの時代はクラブの中で登山活動が盛んとなり、私も登山という新たな趣味もできた時代ではあったのですが…。

それでは今回からはこのクラブ主軸・安定期時代を振り返ってみたいと思います。





2001年は(速いというより選手の代表、キャプテン的な意味での)「クラブのエース」という立場で初めて迎えた年となりましたが、この年には初めて逃してしまったことがあります。フルマラソンでの“サブフォー”です。

これまで私は9回フルマラソンを完走してきましたが、デビュー戦も含めて全てサブフォーでゴールできていたのです。しかし、この年の春は大学卒業(社会人学生として夜間部に通学していた)や新生活準備(独身も卒業)などが重なったこともあり練習不足となり、3月の荒川市民マラソンでフル完走10回目にして初めて4時間を切ることできませんでした…。

サブフォーが夢物語となっている現在とは異なり(現在はもはや「走る目的」も完走100回へと変化しているのですが…(笑))、この時はやはり「サブフォー」は最低限維持すべきタイムと考えていたためそれはショックでした。

そこで「サブフォー」へのリベンジレースとしてエントリーしたのは・・・。

大田原マラソン!

なんと敢えて制限時間4時間の大田原にエントリーすることで自分自身に激を入れたのです!!





迎えた11月、大田原マラソン!
当時の大田原はまさしく競技会の雰囲気がありました…。参加人数も2000~3000人くらいだったかと思います。

エイドステーションには全員がスペシャルドリンクを置けるのも大会の特徴ですよね。私は恐れ恐れ置きませんでしたが…(笑)

そしてびっくりしたのは朝ですね。那須塩原駅のロータリーから送迎バスが出ることになっていたのですが見当たらないのです…。
よく見ると・・・。小さなマイクロバスが1台! なんとマイクロバスでも満員とならず送迎できてしまう規模だったのですよ!!(笑)

肝心のレースの方は3時間40分台でフィニッシュすることができ、サブフォーのリベンジを行うことができました!

ちなみにこの2001年の大田原が私にとって記念すべき初めての前泊を伴う「宿泊遠征」となりました。
(そういう意味では現在の「旅フル路線」の原点となった大会といえます!)

こうして大田原の後もサブフォーは維持し続けてはいったのですが、何やら記録は頭打ちとなり長い間の良くも悪くも成熟期が始まったのでした…。
(続く)


「私のランニング履歴書」のバックナンバーはこちらからご覧下さい!

フルマラソン年間11本完走に挑戦中!
秋には松本、みやぎ復興、横浜、つくば、さいたま国際の5連戦にも挑戦!!
ぜひ下記リンクへの応援クリックをお願い致します!!!
(読者登録、応援コメントも歓迎いたします)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 私のランナー履歴書 13 「... | トップ | フルマラソン完走90回への道2... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

私のランナー履歴書」カテゴリの最新記事