精神科医山内の心の相談室

日常の臨床経験から得た心の悩みに役にたつことをわかりやすく説明します

閉所恐怖補足

2012-09-12 | 日記
前回の閉所恐怖について補足します
まず、その不安恐怖は、大変なものです。
ですから私は薬物療法を行います。
決して不安は大したものではない、とは考えていません。
但し、治療を行ううえで、薬物療法と、その大変さに共感するだけでなく、
その認知を見直す必要があると考えます。
その認知を見直すための説明で前回、日常を「健康に過ごせている私たちが」という表現を使いました。

健康に過ごせている私たちも、閉所は好まないと思います。
閉所は好まないが、健康に過ごせているのは、常に閉所のことは意識していなくて、
閉所に行くときは、その閉所そのものよりも、その閉所を使う目的をまず意識していて、
それによって不安にとらわれることなく、閉所を使えていると思います。
例えば、電車、飛行機、МRI、それらを怖いなと思っても、それを使って得ることをまず意識するから使えていると思います。
また不安というのは、それに注意を向けると、よけい不安が強まる悪循環が生じる性質があります。

次に前回、閉所を怖がりながら、「親子の枠」という閉所にはまる矛盾を書きましたが、
それを書くことで言いたかったのは、健康的になるというのは、その閉所、
その「親子の枠」から出て良い、自由を選んでいい、ということです。
その枠から出ていいでしょ、自由にさせて、息苦しい、というかのような、
閉所恐怖の症状があります。

閉所恐怖

2012-09-11 | 日記
閉所恐怖の方は多いです。
例えば、電車、飛行機、美容院、歯科医での治療、など狭く閉じられた空間では、
息苦しさなどの症状が出て、それが不安恐怖の対象となり、それを回避した生活を送りやすいです。
ここで二つ、臨床でよく経験することを説明します。

一つは、閉所恐怖での恐怖対象は、私が前に説明した「目的本位」でいう「目的」でなく、
手段に相当するものである、ということです。
しかし閉所恐怖では、その手段に過ぎないはずのものが、最大の関心事になっています。
例えば、健康に過ごせている私たちが「普通」大事と思うことは、
電車や飛行機に乗ることそのものではなく、
電車や飛行機を使っていく行先、そこで何をするか、ということです。
その優先順位が下げられた「目的」を最優先事項にあげてみることが治療的です。
よく心配され、言われる、電車や飛行機に「乗れるかどうか」や、
美容院や歯医者に「行けるかどうか」は、能力でいえば小学生でできることですから、
できるに決まっているのですが、無意識に自分を小学生以下に価値下げして、みていることが多いです
(無意識に自分を子供扱いしたみかたをしていることは、閉所恐怖の方に多いです、
これは本日説明する、もう一つのことと関係があります)。
閉所恐怖の方の多くが、そうはいってもやはり、と、手段に過ぎないはずの対象を恐怖として、
「目的」となる仕事や仲間との楽しみなどの希望の方向をみずに、それを回避してしまっています。

もう一つは、閉所恐怖の方の多くが、強迫的であり、親子関係に注意が向いていることです。
親子関係という枠は、まさしく閉所であり、そこにいる閉塞感から脱出したいといわれるかのように、
症状が出ていると思われることが多いです。
閉所恐怖の症状がある、電車やバスが怖い、そのために外出ができない、というのは、なるほどはなるほどですが、
そのために生活が、自宅に引きこもる方向というのは、閉所を怖がりながら、自宅という閉所が安心という矛盾した状況があります。
私が強迫で説明しましたように、親子関係の枠の中にいる、つまり、いつまでも娘や息子の立場で自分の気持ちをみることは、
親元にいる、という文脈では、安心であるが、同時に希望をみない、閉塞感が生じます。
閉所恐怖の方の家族関係や生活状況をみていると、症状がまさしく「閉じられた空間では苦しい」というように、
強迫的な親子関係に向いた(この親とのやりとりを根拠に仕事や恋愛をみなさい、といった枠の中への)気持ちのままでは苦しいと、
そのような状況であると思われることが多いです。