室町幕府官僚から伊豆・相模の戦国大名となった「北条早雲」こと伊勢宗瑞は、永正16年(1519)の8月15日、韮山城でその波乱に富んだ生涯を終えました。再来年2019年は、北条早雲が亡くなって500年の節目にあたる年になります。
これから北条早雲(伊勢宗瑞)没後500年に向けて地元を盛り上げていこうということで、その第1弾の企画として、NPO法人伊豆学研究会の主催、伊豆の国市の後援で、8月13日(日)に歴史講演会「北条早雲と韮山城」が開催され、不肖私が講師を務めさせていただきました。一般的にはお盆の時期で(と言っても、伊豆地方は7月のお盆や8月1日のお盆の地域もありバラバラなのですが)、50人も来てくだされば上出来だと思ったのですが、予想を上回る80人以上の方が聴きに来てくださり、伊豆での早雲の人気が案外高いものだということが認識できました。
講演会は、伊勢宗瑞(北条早雲)の生涯と時代背景、韮山城の縄張と発掘調査で明らかになったことなどを、約1時間30分の間お話をさせていただきました。皆さん大変熱心に聴いてくださり、感激しました。
これから韮山城の整備計画も少しずつではありますが、進められていくようです。北条早雲(伊勢宗瑞)没後500年の再来年に向けて、行政(伊豆の国市)が伊豆学研究会や我が静岡古城研究会などと連携して、後北条氏ゆかりの各都市(小田原市、八王子市、寄居町など)も巻き込んで、住民が関心を持てるような催し物ができていけば、と思っています。
それはそうと、この講演会の取材に地元の『伊豆日日新聞』が来ていたのですが、翌日載った記事の見出しに「素浪人だった早雲」とあり、素浪人ではなく室町幕府の高級官僚の出身だった、とお話ししたのに反対のことが書かれ、ちょっとがっかりしてしまいました。
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