静岡古城研究会副会長:もっちーのブログ

静岡古城研究会副会長:望月のブログです。主に静岡県内の中世城郭関係の情報を発信します。※当ブログはリンクフリーです。

韮山城関係の講演会が、新年1月20日(土)に開催されます

2017-11-06 01:01:23 | 講演会・シンポジウム情報

以前にも書いたと思いますが、2019年は北条早雲こと伊勢宗瑞が、韮山城で波乱に富んだ生涯を閉じてから500年になります。韮山城のある伊豆の国市では、早雲没後500年を記念して様々なイベントを開催しようと動き始めました。

今回、下のチラシにみられるように、その皮切り(⁉︎)として「韮山城をめぐる攻防」と題する講演会が、新年1月20日(土)の13時から、伊豆の国市のアクシスかつらぎで開催されます。

主要な舞台は、早雲が伊豆に進出してから約100年後の天正18年(1590)の「小田原合戦」の時の韮山城。攻める豊臣側からの視点で滋賀県立大学の中井均先生が、守る北条側の視点で江戸東京博物館の齋藤慎一先生が熱く語ってくださいます。事前申込みは不要で入場無料ですので、皆さまお誘い合わせの上、是非お越しください。

(*チラシの表側にあります「韮山城見学会」(11月25日)につきましては既に応募を締め切っております。悪しからずご了承ください。)

 

なお翌日は静岡古城研究会の見学会の「北条早雲シリーズパート1」として、柏久保城、大見城、狩野城の見学会が予定されていますので、併せてご参加いただければ幸いです。(こちらの方の詳細は12月下旬頃、静岡古城研究会の公式ホームページでお知らせします。)

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要害城、熊城、躑躅ヶ崎武田館、新府城に行きました

2017-11-06 00:51:31 | 報告、その他お知らせ

少し前の話になりますが、古城研究会の有志+松本市からいらっしゃったFさんと一緒に、山梨県の要害城、熊城、躑躅ヶ崎武田館、新府城に行ってきました。

先ず、要害(山)城に登りました。こちらは8年ぶりぐらいに来て、前回来た際には雪が積もっておりコンディションが悪かったので、今回は比較的良い状況で見ることができました。何重にも連なる枡形虎口や石積みなど、武田氏時代というより織豊期城郭の面影がよく見える城郭ですね。

     

 

次に熊城に行きました。ここは、前回要害城に来た時に、積雪のためやむなく行くのを断念した城で、初めての訪城となります。ここの見どころは何と言っても畝状の連続竪堀群で、草木も茂っておらず、大変いい状態で観察することができました。中部地方であれだけ残りの良い連続竪堀群を見られるのは、飛騨や北陸を除いてはあまりないのではないでしょうか!? その他の土塁や堀切などの遺構も状態が良く、十分楽しませてもらいました

   

次に躑躅ヶ崎の武田館(武田神社)に行きました。ここはポピュラーな場所ですが、やはり久々の訪問となりました。相変わらずの遺構、宝物館の展示も相変わらずでしたが、西館で一部発掘調査が実施されており、どんな物が出てきているのか、楽しみです。

     

最後に、新府城を訪れました。ここもやはり7〜8年ぶりの訪城でした。整備は比較的よくされている方だとは思いますが、二の丸近辺が藪がひどくなっており、少し何とかならないものか、と思いました。大手の丸馬出の堀のあたりでは発掘調査が行われており、こちらも成果が気になりました。

       

ー以上、一応武田氏関係といわれる4城を歩きましたが、どの城も見応えのある遺構が多く、同行していただいた3人の方々にも十分満足していただけたようで、よかったです。

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平山優氏の講演会「『武田氏滅亡』と駿東・沼津」及び沼津城跡見学会に参加しました

2017-09-18 00:22:37 | 報告、その他お知らせ

9月16日(土)、沼津市立図書館において、昨年の大河ドラマ「真田丸」の時代考証を担当した平山優氏による講演会「『武田氏滅亡』と駿東・沼津」が開催されました。

平山氏は、同氏が最近著した大著『武田氏滅亡』(角川選書)の内容をもとに、天正7年から10年(1579〜1582)にかけて駿東・沼津地域を舞台に行われる武田氏と後北条氏の抗争が起こるに至った経緯と抗争の展開、結末について、大変わかりやすくお話ししてくださいました。戦国期の原文書もとり上げたお話は、大変興味深いものでした。

平山氏の講演の終了後、沼津史談会の方と、沼津市歴史民俗資料館の鈴木館長から沼津城の絵図についてお話があり、その後街に出て、沼津城の遺構と思われる場所を一部見学しました。雨天のため当初の予定より散策ルートをだいぶ縮小しての見学会でしたが、市街地に埋もれた沼津城のイメージする良い機会となりました。

 

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織豊期城郭研究会 2017年度甲賀研究集会に参加しました

2017-09-17 23:59:23 | 報告、その他お知らせ

織豊期城郭研究会の2017年度研究集会が9月9日・10日(土・日)の2日間滋賀県甲賀市で開催され、参加してきました。

滋賀県には前日の夜に入り、9日(土)は研究集会に行く前、先ず観音寺城を見学しました。

同城は平成23年(2011)11月、静岡古城研究会の1泊見学会で訪れて以来、6年ぶりの訪城でした。遺構は6年前と同じ状況でしたが(季節が季節だったので蚊が多かったですが)、やはりあの石垣の迫力には圧倒されます。同城の伝本丸、伝平井丸、伝池田丸などをじっくり2時間程観て、山を下りました。

    

次にもう一つ、安土城考古博物館に寄り、企画展「近江の城を掘る」を観ました。この企画展では、先程訪れた観音寺城をはじめ、小谷城、関津城、鎌刃城、安土城、八幡山城、佐和山城、彦根城 等々、滋賀県内の城郭の発掘調査の成果を特集しており、遺物や遺構の写真などがふんだんに展示され、大変見応えのある展示でした。

そして12:30少し前に甲賀市に着き、昼食を摂った後、研究集会の1日目のプログラム、水口岡山城の見学会に参加しました。同城は9年前の平成20年(2008)11月に行われた古城研究会の1泊見学会で行きましたが、その時は滑り台など遊具が設置され惨憺たる状態でした。

しかし、その後の甲賀市教育委員会の調査・整備により、織豊期の石垣が随所で検出され、間近で観察できるようになっていました。参加者は、甲賀市教育委員会の小谷さんの案内で、山上周辺の櫓台跡や石垣、山腹の枡形虎口などを見学し、中村一氏、増田長盛、長束正家といった名だたる豊臣大名が城主を務めた城郭を堪能しました。

その夜は、日本でビールが初めて生産されたという「寿賀蔵」というビアレストランで懇親会が行われ、大いに盛り上がりました。

     

2日目の10日(日)は甲賀市の碧水ホールで織豊期城郭の瓦に関する報告会が行われました。今年はシンポジウム(討論会)はなく、各地の事例やそれに関する考察の報告が、水口岡山城、伊予国、山陰、東日本(駿河・相模・甲斐など)、九州 の順で行われました。

報告は、瓦製作の痕跡に関するものから製作地の推定、陶磁器との関係など、かなり専門的なものでしたが、大変興味深く聴講することができました。来年度もこのテーマで、今度はシンポジウム形式で行うとのことで、今から楽しみです。

会の終了後、暗くなるにはまだ少し時間があったので、新名神の甲南ICの近くにある望月城、村雨城、寺前城に寄りました。こちらは9年前に訪れた時とほとんど変わりはなく、時が止まっているようでした。これらの城を1時間ほどかけて堪能し、新名神に乗って帰路に着きました。

   

     

 

 

 

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群馬県(主に西部)の城跡に行ってきました

2017-08-27 18:02:23 | 県外の城郭の情報

5月の静岡古城研究会の見学会には仕事で参加できなかったため、先日、夏季休暇を利用して、あの時参加者の皆さんが行ったであろう城跡を中心に、2泊2.5日で回って来ました。 天候は、時折にわか雨も降りましたが、思ったより「猛暑」でもなく、夏にしてはまずまずの気候でした。

先ずは、渋川市の白井城を見学しました。この城は、関東管領を務めた山内上杉氏の家宰であった白井長尾氏の居城であった城で、15世紀には築城されていましたが、16世紀末~17世紀初頭の徳川氏配下の大名(本多氏、井伊氏、松平氏、西尾氏)が入った時代の遺構であろう枡形虎口、石垣などが目立っており、土塁・堀などもその時代の改修の影響が色濃く残っており、中世の姿は今一つわからない状態でした。

  

次に、井伊直政ゆかりの城である高崎市の箕輪城に行きました。箕輪城は以前行ったことがありましたが、以前に比べるとだいぶ整備されており、特に馬出の虎口の部分に門が復元されていたのが目を引きました。その他の部分も草がきれいに刈られて歩きやすくなっており、大河ドラマの影響もあり「井伊直政の城」として注目を浴びているのに応えようという地元の意気込みが伝わってきました。

   

翌日は、昨年の大河ドラマ「真田丸」でも話題になった城跡を中心に回りました。先ずは名胡桃城に行きました。実は、恥ずかしながらこの城に行くのは初めてで、どんな感じになっているのだろう?、と興味津々で行ってみたのですが、さすが「真田丸」で話題になった城だけあり、ガイダンス施設も充実していて整備もまずまずの状態で、一般の方でも非常に歩きやすく、構造が理解しやすい状態になっていました。現地の説明板によれば、山の陰になってしまい名胡桃城から沼田城は直接見えない、とのことでしたが、沼田城方面の河岸段丘は一望に見渡すことができ、戦国時代の最後を飾る秀吉の小田原攻めの原因となった同城の位置付けを、肌で感じることができました。

    

更に、後北条氏の沼田城攻めの拠点の一つであったとされる中山城に行きました。この城は、写真のように主郭は土塁等も良好に残存しており保存状態はいいのですが、堀はこの季節に行くのは無理で雑草が繁茂しており、他の曲輪の大半は畑になっているという状況でした。しかも、主郭につながる道には「真田氏ゆかりの城」というような幟が立てられており、後北条氏の影の薄さ(というか、人気のなさ)を痛感しました。

    

次に、真田昌幸が天正10年(1582)、武田勝頼を迎えようとしたとされる岩櫃城を見学しました。この城も、恥ずかしながら麓までしか行ったことがなく、初めての訪城となりました。同城もやはり昨年の大河ドラマの影響か、登り口近くに広い駐車場があり、ガイダンス施設もありました。遺構も、堀・土塁等の見どころはきれいに草が刈られており、地元の方々の熱意が伝わってきました。個人的には、横堀・竪堀の組合せが大変素晴らしい城だと思いました。今回は時間の関係で本丸跡までしか行けませんでしたが、また機会があれば山の上の方まで行ってみようと思います。

    

更にその翌日、先ずはこれも「真田丸」で話題になった城である沼田城に行きました。同城は、失礼ながら、有名な割には遺構がしっかり残っている所が少なく、公園となっている本丸跡周辺に石垣や堀跡、鐘楼などがわずかに残っているくらいです。公園入口手前の売店には天守閣の模型が飾られており、往時をしのばせてくれました。また近くの中央公民館には、かつて鐘楼にあった釣鐘が展示されており、これも往時をしのばせる遺物として参考になるものでした。

      

次に、中山城同様、後北条氏の沼田城攻めの拠点の一つであったと考えられる長井坂城に行きました。ここの遺構の状況も中山城と似たようなもので、本丸周辺は山林で土塁・堀等がよく残っていますが、二の丸、三の丸等の周辺区画は畑となっており、将来的な整備が期待される城でした。なお、同城の下を関越自動車道が通っているという丘陵上の城跡なのですが、城跡に行くには狭い農道を行くしかなく、しかも駐車場もなかったので、行くのにかなり難儀をしてしまいました。

   

最後に、関東管領上杉氏の上野での拠点となった、平井城を見学しました。同城は15世紀~16世紀半ばまで関東管領山内上杉氏が根拠地とした由緒ある城郭ですが、道路沿いにある立派な土塁が当時の関東管領家の権威を物語るようでした。ただ、本丸跡とその付近が公園となっているのみで、遺構の大半は住宅地や畑、豚舎等になっていました。本丸跡東側は堀と木橋が復元されていましたが、本丸跡の公園と豚舎を隔てて向う側のため、訪れる人もほとんどおらず、由緒ある城だけに少しもったいなさを感じてしまいました。

  

 -以上、今回は群馬県の埋蔵文化財センターや群馬県立歴史博物館、世界遺産の富岡製糸場の見学も入れたため、これだけの城跡を巡るのが精一杯でしたが、まだまだ群馬県には見応えのある城跡がたくさんありますので、また機会を見つけて色々行ってみようと思います。

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