静岡古城研究会会長:もっちーのブログ

静岡古城研究会会長:望月のブログです。主に静岡県内の中世城郭関係の情報を発信します。※当ブログはリンクフリーです。

藤枝市郷土博物館歴史講座「今川氏の駿河支配と古城」開催のお知らせ

2015-03-21 23:51:06 | 講演会・シンポジウム情報

4月5日(日)~7月11日(土)まで、藤枝市蓮華寺池公園内の藤枝市郷土博物館・文学館において、歴史講座「今川氏の駿河支配と古城」が4回にわたって開催されます。

本講座は、南北朝時代から戦国時代の約230年間にわたって駿河・遠江を支配した今川氏の軌跡を、両国の各地に分布する城跡の紹介を交えながら時代別に振り返ろうというものです。講師は、水野会長をはじめ、平井事務局長、川村副会長、私望月の当会役員4名が務めさせていただきます。

内容及び申込み方法等は下の添付ファイルにあるとおりです。今川氏や郷土の中世史・城跡に興味のある方は、ふるってご応募ください。

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静岡市清水区西里で、水野会長の講演会が開催されました

2015-03-08 23:01:42 | 報告、その他お知らせ

3月8日(日)、静岡市清水区の興津川上流の西里にある「やませみの湯」で、当会の水野会長の講演会「信玄・家康と西里(炭焼村)」が開催されました。講演会は、約20人程の人が入る会場があふれる程の盛況ぶりで、当会からも、私望月の他、各務・小川両理事が参加しました。

西里のある両河内地区は和田島城(通称「城山」)以外は現在城跡が認められていない地区ですが、西里の更に奥には「貝伏(=甲斐武士)」といういわゆる「落人村」があり、会場近くの下黒川には真田氏を名乗る一族が住んでいること、両村には近くの山に「のろし台」があったという伝承があること、周辺には武田信玄が永禄12年(1569)と思われる時に甲斐に逃走した伝承があること等々、文献には残っていない「秘められた歴史」の話が数多く残っています。

水野会長はそれらの話を紹介しながら、川合野村の深沢氏の文書(実は偽文書)、真田氏・望月氏などの来歴などについても触れ、金山伝説との関連性から真田・望月両氏は鉱山開発者(技術者)であったのではないか、などの説を披露しました。文献史料や考古資料などほとんどないので実証はなかなか難しいかも知れませんが、大いに参考にすべき考えだと思います。

  

その後、水野会長の話にあった、下黒川の真田家「大家」の跡や、石上峠の石塔群を実際に見に行きました。石塔群の中の宝篋印塔や五輪塔は15~16世紀のものがかなりあり、大変興味深いものでした。地元のNPO法人「複合力」の人たちも過疎化に悩む地域の活性化に積極的に取り組んでおり、色々と協力して行けたら、また何か新しい発見があるかも・・・!?、と思った次第です。

 

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これが見納め! 小田原城御用米曲輪の現地説明会が開催されました

2015-03-08 22:20:48 | 県外の城郭の情報

3月7日(土)、小田原城御用米曲輪の発掘調査現地説明会が開催されました。

今回で御用米曲輪の発掘調査も一段落し、これが発掘現場の見納めということで、多くの見学者が訪れた・・・、と思いますが、私望月はあいにく所用のため正規の説明会の時間に行くことができず、やむなく朝一番で現場にお邪魔し、資料をいただいて適当に見て帰って来ました。天候は、これまたあいにくの雨模様の天気でしたが・・・。

今回の調査の主な成果としては、江戸初期の寛永10年(1633)に関東地方を襲った寛永地震の痕跡の地割れの跡が見つかったことと、昨年秋に見つかった切石敷きの庭園から続く石組みの溝が礎石建物をめぐるようにめぐらされていることが明らかになったことでしょうか!?

切石敷きの庭園遺構の中には切石を舟形に組んだものもあり、改めて御用米曲輪の庭園遺構の特異さに感心しました。この庭園遺構は、後北条氏時代の末期(天正18年に近い段階)には埋め立てられて新たな礎石建物(蔵か?)が築かれており、天正期以前のものであることは間違いないようです。

この御用米曲輪の遺構は保存のために一旦埋め戻され、来年度以降はしばらく整理期間となるようです。名残惜しいですが、一部は将来整備されてまた我々の目の前に現れてくれることでしょう。

   

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シンポジウム「歴史に埋もれた山城を考える-大庭城・早川城・深見城・真田城-」に参加しました

2015-03-01 23:10:41 | 報告、その他お知らせ

2月28日(土)、神奈川県藤沢市の労働会館で「歴史に埋(うず)もれた山城を考える-大庭城・早川城・深見城・真田城-」というシンポジウムが開催され、参加してきました。会場は約300人収容のホールでしたが、ほぼ満席という盛況ぶりでした。

シンポジウムは、藤沢市文化財保護委員の伊藤一美氏の基調講演「享徳の乱から長享・永正の乱へ-相模東・中・西部の戦国史-」で始まり、文献史料からみた15世紀後半~16世紀初頭の相模の戦国史を概観していただき、次いで鶴見大学教授の伊藤正義氏の基調講演「玉縄城・大庭城と藤沢宿-小田原北条氏の支城支配と在地社会-」では、相模における戦国期城郭の分布・構造からみた後北条氏の城郭政策と民衆の動きについて興味深いお話をいただきました。

その後、藤沢市郷土歴史課の宇都氏、綾瀬市教育委員会の井上氏、大和市文化振興課の金澤氏、平塚市博物館の栗山氏から、大庭城・早川城・深見城・真田城のそれぞれの城郭についての発掘調査報告及び考察が述べられ、最後は発表者6人が主に会場からの質問に答える形でパネル・ディスカッションが行われ、1日がかりのシンポジウムが閉幕しました。

今回とり上げられた4つの城郭は神奈川県中~東部に位置し、静岡県の人間にとっては今一つなじみの薄い城ばかりですが、特徴的な遺構や、年代的にも15世紀~16世紀初頭にさかのぼりそうな城郭であるため、個人的には非常に興味深く聴くことができました(城郭の年代観にも大きな影響を与えそうです)。特に駿河東部~伊豆にかけての城郭との類似性も考えられ、今後比較研究する価値があると強く感じた次第です。

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