10 月24日「さくら並木ネットワーク1周年さくらの集い」は大勢の方に参加していただきました。ありがとうございました。
多くの方から電話やメール、メッセージをいただき「これほど感動的な会に出会ったのは初めてです。ぜひ協力したい」「さくら並木の活動や被災地の状況が良く分かり、今後も支援したい」
「『津波そして桜』の映画がさくら並木ネットワークの活動と重なり合ってとても理解が進んだ上映が出来るのならまわりに広めたい」「普天間さんの歌と想いに涙が止まりませんでした」
さくら並木ネットワークがここまで来るには多くの人たちの支えがあった。お金のない立ち上げ時に素敵なロゴマークを無料でやっていただいたヘルべチカ社、NPO法人設立をボランテァで手続きを代行していただいた司法書士の先生。
精神的支援そして今年のシンボリック的さくら並木の植樹に基金をいただいた花業界のオールジャパン全花協。花の輸入商社クラシックジャパン西尾氏は世界中の花の生産者に呼びかけ 50 本のさくら基金を寄付していただいた。
花の資材卸最大の会社東京堂の鈴木社長は今年と来年、それぞれに分け数十本のさくら基金をいただいた。(株)ルミネ様は数ある支援組織の中から、さくら並木を選んでいただき大きな額の寄付をいただいた。
東京流通センターを取り囲む300本の八重さくらが咲き乱れるころ毎年「さくら祭」を行う。さくら並木ネットワークが続く限り、さくら祭での宣伝寄付活動をする許可をいただき、祭りでの収益金の寄付もいただいた。
海外からはサクラフロントが様々な支援で私たちの活動の輪を広げてくれた。そのつながりから在英日本商工会議所からの多額の支援や「チャリティーズ・アドバイザリー・トラスト財団」からの15000ポンドの寄付、「津波そして桜」の上映の実現はそれぞれの心がつながった結果である。
「さくらの集い」で熱唱してくれた普天間かおりは「さくら大使」としてことあるごとに「さくら並木ネットワーク」のスポークスマンとして活動してくれ、さくら並木テーマソング「千年桜」を作ってくれた。我々の組織に欠けてはいけないパートナーだ。
「さくらの集い」のオープニングで映写した「さくら並木一年の軌跡」を制作した笠井さんは、いつも名古屋から深夜バスで朝仙台につく。時にはレンタカーで時には桜野氏の車に同乗、さくら並木の活動をカメラに収め続けてくれた。お金には代えられないが何百万円にもなる作品だと思う。
紙面がどこまであっても書ききれないほどの多くの人たちに支えられた一年だった。個人の一本一本のさくら基金にも多くの想いと願いが託されている。その一つ一つが私たちに活力をくれる。それがなければとても続けることができなかった活動です。
「さくらの集い」のすべて日程が終わったのは日にちが変わってからだった。25日も早朝からの仕事、その前にメールを開けた。
4時30分、「さくら並木一年の軌跡」で何度も画面に出てきた波伝谷の三春の滝桜の子孫木、この桜を寄贈してくれたニューヨークのHさんからメールが届いていた。メールを読んでいると涙が止まらなかった。読者の方にもこのメールを読んでいただきたいと思い抜粋しました。
「5月から NY 補習授業校の5年生有志と保護者有志で続けてきましたさくらプロジェクトも、先週の土曜日にベイクセールという大きな山場を終え、あとは12月の子ども達の募金活動を残すのみとなりました。
ベイクセールでは沢山の保護者が、前日または、早朝からカレー、やきそば、ホットドッグにケーキ、あんぱん、などなど、、その数300食?それ以上??を作り、準備したテーブルでは乗り切らない出品となりました。
販売開始1時間ほどで全て完売となり予想を上回る募金が集まりました。NYではまだまだ被災地のことを忘れていませんよ∼。
今のところ両方併せて3000ドルほどになります。これは、企業様や他の個人さんからすればたいした金額ではないかと思いますが、子ども達が、真夏の登下校時に学校に早く来たり遅くまでのこって、1本1ドルの水や、アイスポップを売ったりして集めた金額です。ご理解ください」
夏休み細沼代表と、ニューヨークの子供たちと2時間を超え「さくら並木」の活動のこと、被災地のこと、桜のことを話した記憶がよみがえった。
お母様と子供たち4人と別れた後、二人で「あの子供たちが2時間を超えておとなしく話を聞けるのはなぜなのか」二人で感心していた。このことが重なりいつまでも涙が止まらなかった。
支援の大小ではなくその支援にどのような想いがこもっているのか、我々までにたどりつくまで何があったのか、それこそが我々の原動力だ。
一年の節目でまた勉強をさせていただいた。
多くの方から電話やメール、メッセージをいただき「これほど感動的な会に出会ったのは初めてです。ぜひ協力したい」「さくら並木の活動や被災地の状況が良く分かり、今後も支援したい」
「『津波そして桜』の映画がさくら並木ネットワークの活動と重なり合ってとても理解が進んだ上映が出来るのならまわりに広めたい」「普天間さんの歌と想いに涙が止まりませんでした」
さくら並木ネットワークがここまで来るには多くの人たちの支えがあった。お金のない立ち上げ時に素敵なロゴマークを無料でやっていただいたヘルべチカ社、NPO法人設立をボランテァで手続きを代行していただいた司法書士の先生。
精神的支援そして今年のシンボリック的さくら並木の植樹に基金をいただいた花業界のオールジャパン全花協。花の輸入商社クラシックジャパン西尾氏は世界中の花の生産者に呼びかけ 50 本のさくら基金を寄付していただいた。
花の資材卸最大の会社東京堂の鈴木社長は今年と来年、それぞれに分け数十本のさくら基金をいただいた。(株)ルミネ様は数ある支援組織の中から、さくら並木を選んでいただき大きな額の寄付をいただいた。
東京流通センターを取り囲む300本の八重さくらが咲き乱れるころ毎年「さくら祭」を行う。さくら並木ネットワークが続く限り、さくら祭での宣伝寄付活動をする許可をいただき、祭りでの収益金の寄付もいただいた。
海外からはサクラフロントが様々な支援で私たちの活動の輪を広げてくれた。そのつながりから在英日本商工会議所からの多額の支援や「チャリティーズ・アドバイザリー・トラスト財団」からの15000ポンドの寄付、「津波そして桜」の上映の実現はそれぞれの心がつながった結果である。
「さくらの集い」で熱唱してくれた普天間かおりは「さくら大使」としてことあるごとに「さくら並木ネットワーク」のスポークスマンとして活動してくれ、さくら並木テーマソング「千年桜」を作ってくれた。我々の組織に欠けてはいけないパートナーだ。
「さくらの集い」のオープニングで映写した「さくら並木一年の軌跡」を制作した笠井さんは、いつも名古屋から深夜バスで朝仙台につく。時にはレンタカーで時には桜野氏の車に同乗、さくら並木の活動をカメラに収め続けてくれた。お金には代えられないが何百万円にもなる作品だと思う。
紙面がどこまであっても書ききれないほどの多くの人たちに支えられた一年だった。個人の一本一本のさくら基金にも多くの想いと願いが託されている。その一つ一つが私たちに活力をくれる。それがなければとても続けることができなかった活動です。
「さくらの集い」のすべて日程が終わったのは日にちが変わってからだった。25日も早朝からの仕事、その前にメールを開けた。
4時30分、「さくら並木一年の軌跡」で何度も画面に出てきた波伝谷の三春の滝桜の子孫木、この桜を寄贈してくれたニューヨークのHさんからメールが届いていた。メールを読んでいると涙が止まらなかった。読者の方にもこのメールを読んでいただきたいと思い抜粋しました。
「5月から NY 補習授業校の5年生有志と保護者有志で続けてきましたさくらプロジェクトも、先週の土曜日にベイクセールという大きな山場を終え、あとは12月の子ども達の募金活動を残すのみとなりました。
ベイクセールでは沢山の保護者が、前日または、早朝からカレー、やきそば、ホットドッグにケーキ、あんぱん、などなど、、その数300食?それ以上??を作り、準備したテーブルでは乗り切らない出品となりました。
販売開始1時間ほどで全て完売となり予想を上回る募金が集まりました。NYではまだまだ被災地のことを忘れていませんよ∼。
今のところ両方併せて3000ドルほどになります。これは、企業様や他の個人さんからすればたいした金額ではないかと思いますが、子ども達が、真夏の登下校時に学校に早く来たり遅くまでのこって、1本1ドルの水や、アイスポップを売ったりして集めた金額です。ご理解ください」
夏休み細沼代表と、ニューヨークの子供たちと2時間を超え「さくら並木」の活動のこと、被災地のこと、桜のことを話した記憶がよみがえった。
お母様と子供たち4人と別れた後、二人で「あの子供たちが2時間を超えておとなしく話を聞けるのはなぜなのか」二人で感心していた。このことが重なりいつまでも涙が止まらなかった。
支援の大小ではなくその支援にどのような想いがこもっているのか、我々までにたどりつくまで何があったのか、それこそが我々の原動力だ。
一年の節目でまた勉強をさせていただいた。