豪華客船。
設計上、絶対に沈まないと言われていたが、氷山に激突して沈んだ。
一部の人間は救命ボートに乗って脱出したが、ほとんどの人間は海に投げ出された。
男は迷っていた。
救命ボートの定員は8人。
既に、ボートの定員はいっぱい。
しかし、女の子が助けを求めている。
必死にこちらのボートに向かって泳いできている。
彼女を乗せれば、ボートは沈んでしまう。
男には、娘がいた。
娘のためなら死んでもいいと日頃から思っていた。
女の子は娘と同じぐらいの歳。
彼女には、これから未来がある。
助けてあげたい。
しかし、今ボートに乗っている人を殺すわけにはいかない。
自分が少女の変わりに海に飛び込もう。
でも、父親の死を知った娘は、どんなに悲しむだろうか。
娘には幸せな人生を送って欲しい。
男は悩んだ。
「まさか、あの女の子を助ける気?
1人の人間を助けたら、9人全員が死ぬわよ」
醜く太った女が言った。
「そうだ。我々が先に救命ボートに乗ったのだ。我々には生きる権利がある」
老い先の短い老紳士が言った。
「今は緊急事態だ。あの子を見殺しにしても、我々は罪に問われることはない」
知的な男が言った。
男は決断した。
自ら海に飛び込み、少女を助けて自分は死んだ。
その後、彼は英雄として語り継がれた。
彼の葬式で家族は悲しそうな顔をしていた。
周りの人間に誉められても、全然嬉しくなかった。
未来ある少女の命を救った英雄も、自分の家族の笑顔は守れなかった。
だがしかし、あの時、あの女の子を見捨てていたら、男とその家族は心から笑えていたのだろうか。
<おわり>