神戸RANDOM句会

シニアの俳句仲間の吟行・句会、俳句紀行、句集などを記録する。

2012=夏雲に誘われてゆく伯耆みち 見水

2012-09-02 | 俳句紀行

夏雲に誘われてゆく伯耆みち

 

 9月になっても暑いので、大山に1泊旅行をした。

 小説の神様・志賀直哉は「暗夜行路」の最終場面を伯耆大山にした。数年前の夏、三朝温泉・鳥取海岸・大山を車で走った。昨年の夏には出雲大社まで足をのばし、大山を仰ぐ皆生温泉に泊まって境港の水木しげるロードや安来の足立美術館をまわった。

 大山から望む島根半島は小説に描かれたとおり雄大で、山麓を車で走る爽快さや、境港まで続く弓ヶ浜に打ち寄せる波の荒々しさは忘れられない。

 夏が来れば大山にあこがれ、大山の水ばかり買って飲んでいる。

=1日目=

 神戸から米子までは中国道・米子道で3時間。朝8時に出発した。中国道は山陽道と違ってトンネルが少なく、移り変わる風景が楽しい。山崎・佐用の山間部で激しいにわか雨にあったが、美作におりるとまた夏景色。落合JCTから米子道にはいると、もう目的地についた気分になる。

  ゲリラ雨あがって夏空ただ西へ

 蒜山高原SAで小休止し、米子に到着。ネットで見た海鮮丼の店で昼食。蟹汁付きで840円。

  炎天下海鮮丼にまっしぐら

 SAにあったパンフレットや地図をながめ、午後の予定を決める。前回素通りした松江に行こう。米子から山陰道を西へ。島根半島は本州と平行に長いフランスパンを置いたような形状で、あいだに湖がひろがり、両端を弓ヶ浜の砂州と出雲平野が埋めている。

 松江市は人口20万人。市街地は、川のように狭くなった海を挟んで本土側と半島側に分かれる。大橋を渡って松江城に到着した。

 松江城は、美濃攻めから関ヶ原を生き延びた堀尾吉晴(茂助)が5年かけて築いた。山陰で唯一、明治後も残った天守閣は、桃山風でどっしりとし、濠をめぐらせた城郭は大きい。天守閣を最上階まで登る。

  松江城天守を通る風涼し

 南側一帯に汽水の湖、中海と宍道湖がひろがる。松江藩は堀尾氏、京極氏のあと越前松平氏に引き継がれる。松平氏第7代藩主の風流人・治郷(不昧公、1751-1818)が、松江を風雅な城下町にした。

 曇るぞよ雨ふらぬうちに摘んでおけ

   栂尾の山の春の若草  不昧公

 1890年、日本に魅せられて40歳でアメリカから来日したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、英語教師として松江に赴任し、その後、熊本・神戸・東京に移り、日本について多くの著作を残して、54歳で亡くなった。愛弟子に、子規や漱石、虚子とも親交のあった大谷正信(1876-1933)という文学者がいる。

 湖をちこち 何を漁る火 天の川  大谷繞石

 宍道湖沿いの美しい道を走る。夕日の名所だという。

 山陰道と米子道をもどって、溝口ICで下車。ホテルへ向かおうとすると、すぐに山道。ガソリンの残りが心配なので、スタンドを探して満タンにし、赤松の林を抜けてホテルへ。

 全国チェーンのホテルだが、大山山麓の森の中にぽつねんと建っている。駐車場に止まっている車は、神戸・なにわナンバーも多い。チェックインし、大浴場へ。温泉成分表には単純放射線泉・温度30℃とある。

  ひぐらしの声に聞き入る露天の湯

 夕食はバイキング。冷えた生ビールがうまい。豊かな地元食材を使って料理した表示もある。目の前で揚げる天ぷらもいただき、最後はシジミ汁。

  烏賊大根甘海老旨し生ジョッキ

 ぶらぶら土産店をのぞき、部屋に戻ると眠気がおそう。空調なしで涼しい。

=2日目=

 翌朝、いつもどおり朝6時前に目が覚める。窓の外は暗いが、くっきり大山のシルエット。見上げればオリオン座の三ツ星がかがやいている。

  大山は快晴夏のオリオン座

 朝風呂に行くと、昨日もいた小学生の男の子がもう来ていて、一人で湯に浸かっている。だんだん夜が明け、雲がわいてきて、日が昇るころには大山の山頂は雲の中である。

 午前9時出発。大山寺へ。林の中をぐんぐん登って、見おぼえのある展望台に着いたが、今回は雲がかかって島根半島の眺望はいま一つだった。

 蒜山高原への道路標識に従って進む。この「蒜山・大山スカイライン」は冬場は通行止である。すがすがしいブナの林がどこまでも続く。秋の紅葉が美しいと聞くが、夏の緑のトンネルで大満足。数か所、林を過ぎたとたん砂防ダムの上にいるような危なっかしい場所がある。大山の崩壊した石がころがっていく「沢」だそうである。

  緑陰をぬけて二ノ沢三ノ沢

 山麓を縫って走る。ミネラルウォーターの採水場を通過し、四方を山に囲まれたのどかな草原、奥大山の休暇村で休憩。大自然に心が洗われる。

 蒜山高原が近くなった場所に、鬼女(きめん)台というおどろおどろしい名前の展望台がある。北に大山、南に蒜山高原を望む絶景のポイントで、阿蘇の外輪山の徳富蘇峰が命名した「大観望」の記憶がよみがえった。

  鬼女(きめん)台大山蒜山夏姿

 鬼女台から、蒜山高原にくだっていく。蒜山高原には、かつて雪の頃に来たことがあり、見覚えのある蒜山高原のセンターに到着。昼が近いので、山小屋風のレストランで昼膳。ジンギスカンやひるぜん焼きそばもあるが、あっさり系にした。高原を車で少し走り、帰途についた。

  蒜山の蕎麦とおこわで夏のシメ

=旅を終えて=

 今年2012年は古事記編纂1300年である。

 司馬遼太郎に「生きている出雲王朝」という楽しいエッセイがある。昭和36年3月、37歳で新聞社を辞めて作家生活に入る頃に書いたものだ。昭和46年から「街道をゆく」の連載を始め、「砂鉄のみち」(S51)ではタタラ製鉄から古代出雲を探り、「因幡・伯耆のみち」(S61)では大伴家持が因幡の国守に赴任した鳥取市から美保関まで、初夏の出雲路をのんびりと旅している。

  神無月国を引いたり譲ったり

 出雲神話では素戔嗚や大国主が活躍し、国引き、国譲りの話があるが、出雲地方には遺跡が少なかった。ところが、昭和59年荒神谷で、平成8年加茂岩倉で、農道整備中に、おびただしい数の銅剣や銅矛、銅鐸が出土した。

 本やネットで古代出雲のロマンにひたっていたら、秋が来て、ふと、朝刊をひろげると、国の原子力規制委員会が原発事故時の住民避難地域を30キロ圏とする指針案をまとめた記事が、全国の原発地図といっしょに載っていた。

 島根原発は松江城から7~8キロの距離。30キロ圏に44万人が暮らし、出雲大社・水木しげるロード・足立美術館・荒神谷・加茂岩倉・中海・宍道湖はその中。ある日、事故が起きれば、大勢の避難者の群れに交じって、古代の神々や妖怪たち、宍道湖七珍たちもぞろぞろと避難をするのだろうか。

(2012秋・見水)

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