デジカメぶらりぶらり

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子守唄

2011-11-30 08:01:58 | Weblog
子守歌の発掘を進めている西舘良子さんが紹介している。「子どもたち早く寝なさい、寝たら、父さん母さんが夜なべ仕事をするよ」と歌うのが北海道。それに対して「早く寝なさい」までは同じだが「寝たら父さん母さんはおいしいお酒を飲むよ」と歌うのが北陸。

北陸の移住者の多い北海道開拓村の厳しさがうかがえて、どこか切ない。ねたはずの子どもが起きてきて大人が困ることもないではないが、子どもを寝かしつけた後で、夫婦が語らう姿はほのぼのする。

子守歌は庶民の暮らしの歌でもある、11月22日は「いいふうふ」日だった。西舘さんによれば、子守歌には、夫の浮気封じや姑の悪口を織り込んだのもあるそうだ。素朴な口調の中に夫婦円満を願う女性たちの気持ちもしみこんでいる。

4月22日「よいふうふの日」だ。子守歌が子育ての苦労と喜びの2つを歌ったように「よい夫婦」も一日にして成らず、喜びの陰に苦労ありだ。「祈念日」は何度あってもいい。

損失

2011-11-28 08:13:56 | Weblog
オリンパスの巨額損失は、90年代の財テク失敗に端を発するという。10年以上とも、20年に近いとも言われる時間を隠蔽に費やしたことになる。

昭和20年の終戦に例えれば、昭和30年代後半か40年ごろに相当する。荒廃から立ち上がり繁栄の基盤を築いた時間とほぼ同じだ。

終戦時に生まれた子が成人している。企業の「寿命30年説」でいえば、生まれて、育ち、老後を迎える時間に近い。「20年後」というオー・ヘンリーの小説がある。

20年後の再開を約束した親友同士が出会う。一人は指名手配犯、片方は警察官になっていた。旧友を自ら逮捕するのに忍びなく、警官は現場を去る。

「20年の歳月は、善人を悪人に変えてしまう」のセリフがオチだ、日本のバブル期は罪つくりな時代だった。優良企業をカネの亡者に変えてしまった。投資家や消費者をあざむく不正企業に変貌させた。

一つのうそを隠すのに、いくつもうそを重ねる悪循環は、ひとりオリンパスだけの問題ではなかっただろう。不正に向けたエネルギーが、正当な企業活動に発揮されていたならと思う。この損失こそ計り知れない。

忠犬

2011-11-26 08:55:03 | Weblog
北海道奈井江町で24日、横転した車の中で飼い主の無職相馬愛政(よしまさ)さん(81)と孫娘の木村澄海(すかい)ちゃん(3)に寄り添って体を温め一夜を過ごしたラブラドルレトリバーの「ジュニア」(雄、7歳)を表彰した。

ご褒美に、金色のメダル付き首輪とドッグフードが贈られた。同席した相馬さんの奥さんの妻アサ子さん(78)が北よい良治町長から表彰状を受け取った。

ジュニアは首輪をかけてもらい表彰式の間、おとなしくお座りをしていた。アサ子さんは「これからも大事に育てたい」と話していた。このような飼い主を救う忠犬ジュニア君あっぱれだ。

王子様

2011-11-24 07:37:06 | Weblog
ある国に、金銀財宝に飾れた王子様の銅像があった。王子様はツバメに頼んで宝飾をはがして貧しい人たちに届け、裸になって朽ちていく。この悲しい話の題名を「幸福の王子」という。

幸福とは何かを、考えさせる物語である。豊かな財産に取り囲まれていることが幸せではない。人のため自分を犠牲にすることに、人間の幸せはあると読み解いた人もいる。

日本の四国には「幸福の王子」から転落した「不孝の王子」がいた。なかなかのイケメンで、英才教育を受けて東大卒。42歳で大企業のトップに。豪邸に住み、芸能人の取り巻きをつくり、カジノで100億円も使って遊び暮らした。

その揚げ句の逮捕である。金銀財宝が招いた不孝な人生だ。幸福論がブームである。ブータンの「国民総幸福量」が話題になり、福井が幸福度ナンバー1とのデータが出て北陸3県が幸せ度ベスト3に入った。

だが、幸福とは数字や項目で表せるものでないことは、だれも知っている。幸福と不孝は紙一重、1枚の紙の表裏ではないだろうか。大王製紙の御曹司がひとりで演じた「幸福の王子」と「不孝な王子」の物語だ。



大仏

2011-11-22 08:21:43 | Weblog
目鼻だちの大きな、大陸系の飛鳥大仏を思わせる顔、TPP参加反対の急先鋒だった山田前農相に存在感があった。

一方、ハワイで交渉参加を表明した野田首相の大きな丸顔は和風の大仏さまに似っている。TPPとは、日本の新たな国際化をどう迎えるかの問題でもあった。

対象的な二人の「大仏さま対決」は印象深かった。政治家の顔が軽くなったと言われて久しい。池田、佐藤、田中、三木、福田、大平ら歴代首相と比べての感想だが、顔の変化は政治家だけではなかった。

80年代以降の日本全体が「男も顔」の時代になったのだという(顔の文化誌=村澤博人著)すごみが嫌われる時代になった。「悪代官みたい」と言われる始末である。

いい政治家は優しい顔をしているとの幻想が、テレビなどの映像文化拡大とともに浸透したのではないか。二人の「大仏さま対決」は、政治家の顔と重さを考える機会になった。

日本の首相がころころ変わり「覚えきれない」と言われた。APECの記念撮影では珍しく中央に日本の首相の顔があった。「大仏さま」が各国首脳にインパクトを与えたのだろうか。

珍味

2011-11-20 08:14:32 | Weblog
「珍膳も毎日向かえばうまからず」と昔の人の言葉にある。珍味や高級料理はたまに食べるからいいのだという意味である。

幼い時に食べ慣れた懐かしい味に勝る味はない。舌の上に遠い日がよみがえる。舌は目や耳以上の記憶力の持ち主である。本屋と映画館の間の狭い洋食屋で食べた焼きめし。

結婚して子供が生まれ少々ぜいたくかなと思いながら家族で食べた特上の天丼。同僚と飲んだくれたほろ酔い横丁の赤提灯(ちょうちん)。食の記憶は青春の歴史でもある。

富山の駅前にある昭和そのままの飲み屋街も懐かしさにあふれている。店のドアを開ける時に何やらときめいた日を思い出す。演歌の巷そのもの、生きた博物館の雰囲気がある。

各地に生まれる「昭和館」を見に行くまでもない。足もとにそれはある、レトロとは近代化から取り残されたものではない。いいものを古くなるまで使い込む精神だろう。

都市の開発と再生になくてはならない隠し味だ。

敵地

2011-11-18 07:38:19 | Weblog
敵地での闘いには、厄介なことが付きまとう。サッカーでは常識だそうだが、モノには限度がある。そう痛感したW杯予選の北朝鮮だった。

応援団の渡航は厳しく制限され、日の丸の旗もご法度。選手は入国審査で長時間、足止めされた。「平壌」(ピョンヤン)と聞くと、つい身構え、緊張する。

「完全敵地」は、日本代表にも微妙な影響を与え、惜敗という結果になったのか。「平壌」という舞台らしく、中継の画面からは、動員された5万人がある意志に従って振る舞っているように見えた。

不自然な大声援に包まれて闘う選手たちが、敵味方の区別なく気の毒に思えた。

787

2011-11-16 07:46:03 | Weblog
米ボーイング社の旅客機787が話題になっている。全日空が羽田―岡山、羽田―広島などに投入して快適さでも好評だ。

機体に炭素繊維複合材が多用されて軽量化したのが特徴である。飛行機にするか新幹線で行くのかの判断の分かれ目は3時間から4時間の間にあるといわれ、岡山と広島便はその「境界線」の代表格だ。

空港と陸路の時間競争に大切なのは空港までのアクセスである。狭い日本では飛行時間に比べて街から空港に行くまでの時間が長すぎる。だが、その余分な時間があるから、鉄道会社が巻き返す余地があり、サービス合戦も生まれる。

国内で最も便利なのは地下鉄で都心から5分程度で着く福岡空港だろう。JR便がよくて好評なのが千歳空港か。鉄道と航空会社はライバルだが、助け合うこともある。快適な新型機登場でサービス合戦はどう変わるだろう。

円形

2011-11-13 07:58:53 | Weblog
円形の「○」は人類が最初に描いた。平和を表す形だとの説がある。どこが上か下かの判定がむつかしい。古くは一揆の首謀者が分からないように円形に署名した連判状であった。

最近の国際会議でも、各国首脳が上下の差がない丸テープルに座る。「□」や「△」の図形もあるが「○」が一番古いともいわれる。世界中の古代住居に、縄文字時代のような円形プランが多いからだ。

震災後の日本では、原発を中心に描かれた大きな「○」が、ひんぱんに登場するようになった。防災地域は30キロ圏内か50キロ圏内か。遠いと思っていたのにすっぽり円に入ってしまう市町村もある。

福島では円の内と外で、がらりと暮らしが変わった地域もあった。かって平和の象徴だった「○」は、今や残酷で不気味な形の象徴である。原子力安全委員会のメンバーがコンパスを手に描く丸い輪は、情け無用で非常な線引きである。

原発周辺住民どころか日本の運命を握っている。一本の線で、どれだけの財産が奪われ、人生が狂うのか。円を描いた役人は緊張と責任感の重さにコンパスを持つ手が震えるほどだったはずと、推察する。

下剋上

2011-11-11 06:36:28 | Weblog
プロ野球の実況中継で、「下克上(げこくじょう)」という聞き慣れない言葉が連発される。日本一の座を目指す争いがたけなわで、リーグ優勝を逃がした2,3位の球団もそれに加わっている。そんなルールに変わった。

上位球団を倒して天下を手にできるから「下克上」。うまいことを言う。織田信長が足利将軍を倒し、豊臣秀吉が織田家の天下を奪ったのが下克上。授業でそう習った。

プロ野球の戦いは、主従終関係にない徳川家康や前田利家、石田三成らが争った姿に似る。下克上とは違う気もするが、目くじらをたてる話でもなかろう。キザな片仮名言葉は、野球中継でも乱用される。

だから余計に「下克上」という漢字の響きが新鮮である。ベースボールを「野球」と見事な言葉に訳した先人にならって、実況でも言葉に磨きを掛けてほしい。守備範囲の広いショートは「遊撃手」、転がる打球は「ゴロ」。

手本は幾つもある、今の試合の名称は「クライマックスシリーズ・ファイナルステージ」とか。知恵と恥じらいのない命名に恐れ入る。実況の騒々しさには閉口するが、「下克上の戦い」の方が数段ましである。