小網神社blog

東京・日本橋に鎮座する強運厄除の神さま・東京銭洗い弁天の社 小網神社のブログです。

水は上より下り 大海に注ぐ。

2014年09月19日 | 小網神社教学
自然態とは、いわゆる森羅万象の力により支えられる形をいいます。

それは、人聞の限られた能力の所産などではない崇高でさえある形といえます。

この自然の姿から、我々は何かを学ぶことがあります。

例えば、水の流れは上流といわれる水源に生じ、中、下流を経て流れを増し、やがて大海原につながっています。

その自然態は、集団の長が、中、下流そして大海原という集団を形成する多くの人々と和み親しみ、声なき声を聞き、長としての役割を深めていくのに似ています。

上の者へ下の者がもの申すのを待っていては、集団は無力となり、やがて枯渇してしまう危険性を孕みます。

神道でいう「惟神(かんながら)の道」とは、神の御心のまゝということ。

惟神を、組織・集団の目指すものと考えれば、一つの組織、集団が、その目的を達成するには、リーダーが、常に水の自然の流れの姿で、集団、組織の心を集約実践し、目的達成の先頭に立って努力すべきでしょう。

それが惟神の道に通じ事を成就に導くものであるといえます。

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子は祖の具現像。

2014年09月10日 | 小網神社教学
子供は精神的にも肉体的にも、親、ひいては先祖の流れを引きついでこの世に生を受けています。

そして己自身も、自らの子へ孫へと伝えられていくものです。

神道でいう祖孫一貫の道とは、まさにこれをいいます。

我々は常に、祖先に喜ばれる子孫となり、子孫に尊ばれる祖先にならなければならないということでしょう。

子供は親を見て育つといいいます。

同時に子供は、親から多くのものを与えられて、この世を生きています。

まもなく敬老の日ですが、自らの子育てにお悩みの方も多くいらっしゃいましょう。

身近な祖先でもある親や祖父母を敬いつつ、自らを省みることに解決のヒントがあるのではないかと存じます。

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「学び」の基本・「守」「破」「離」。

2014年09月03日 | 小網神社教学
芸術・芸道を学び、大成するには守・破・離の段階を経ねばならぬと、伊崎富士夫さんはいわれます。

守とは学びの第一段階で、師の教えに従って、その作品をそっくり真似ること。

教わる者は、自分の個性を奥に秘め、ひたすら師の教えに従い、それを守るので、教わる者に素直さが要求されます。

自分のやり方を固守するものには「守」は完うできず、進歩は期待できないといえます。

「破」は、自分の個性、能力を、守の中に確立する過程をいい、更なる努力で、師の枠から独立し、明確な自分自身の個性ある芸術や芸道を創造した「離」の段階へ到達するのではないでしょうか。

この守・破・離の道は人生にも通じることで、人が人として大きく成長するには、素直な心が大切であることを、改めて知らされる思いがいします。

これらは神道で、人に求める浄・明・正・直の徳目の「直」にあたるものであるといえます。

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