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沈む朝日

2014-09-15 10:30:02 | Weblog

朝日新聞の誤報は事故ではなくて事件である。この信頼を取り戻すことは、恐らく何十年もの歳月がかかると思われる。一般社会において誤ると言うのは反省し二度とおなじ撤を踏まないと言う誓いであると思うのだが、先ごろの社長や担当役員の会見ではその感じは見られなかった。

これまで新聞記者はそんなに偉かったのかという場面を何回も見てきたが、これほど言論の砦と言われる新聞社で悲しいくらいの過ちを謝ると言うことではなく、まだ自分たちは一寸したミスだったと言う位の感覚で記者会見に臨んだ社長以下は非常識人ではないかと思うのである。今は違うかもしれないが昔は黒塗りのハイヤーで社旗をたなびかせる車で取材をしてた記者を見たことがあるが、新聞って結構儲かるもんだと思っていた。

自分の知っている鎌倉支局に居たYと言う記者は一人でこの地区を自転車に乗ったりして動き回っていた事を思い出すと地方の記者たちはどんなに悔しい思いをしているかと思うと可哀想でならない。どの企業でも現場は冷遇されて華やかな本社の打ち上げ花火を遠くから見るしかないのか、いずれ自分も本社で活躍したいと思っているのか、地回りでコツコツ地味な仕事をやり遂げるのか、今度の件は朝日の全ての人達に問いかけているのだと思う。

直接記事などに拘わらない部署の人ほど、又同様に苦しんでいるに違いない。まして家族の人達にとって大きなとばっちりが来なければ、特に子供たちにと心配するものである。テレビなどに出てくるコメンテーターと言われる編集委員クラスはいわば朝日の代弁者だが、品があり、スマートな人達が多いが、そこはサラリーマンの辛いところで通り一遍の事しかいえないので、今回の件でも率先してここが悪かったと言える人が出てくれば良いと思っている。

民主主義において言論の自由は最も大切な事で今回のことを事を喜んでいる人達も居ることも事実だが、対応を誤ればその人達にも累が及ぶと言うことを全てのメディア業界の人達は自覚すべきである。言論界の保守と革新、尊王攘夷みたいな二分裂な思考ではなく、国益に沿った報道、国民への責務、言論の保護、永世中立を錦の御旗にして国民の信頼を取り戻す事が肝要と思うが如何だろうか?

この件で朝日は恐らく購読件数が減るであろう。私も数年前から朝日の購読を止めている。それは記事が面白くなかったからで、今回の件とは違うが今の新聞の内容は朝日に限らずネット配信のほうで十分情報は取れるし、その反応も見られるから町場の人間としては紙はいらなくなってきているのである。その事をわきまえてこれからの新聞作りを進めれば良いのではないだろうか?

何しろ新聞を含めメディアの権威主義が今回の事件の底流にあるのだから、もって銘ずべきである。他の新聞社も批判ばかりでなく、ブーメラン効果で自分に戻って来ることを覚悟しておかねばならないと自覚すべきである。権力や世の不正と戦うと言う本来の使命を働かせることを期待する。

 

 

 

 

 

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