葉山の海と森

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50年の記憶

2010-06-27 14:58:47 | Weblog
日米安保条約が結ばれて、50年と言う月日が経ち未だアメリカ軍が駐留すると言うこの現実は確かに異常かもしれない。只世代や地域によってはその事に対する温度差が確実に違っているのが、此処のところ顕著になっているようだ。

少し自分の事をお話しすると、鎌倉で生まれ育ちアメリカ人が比較的身近に居たせいもあって、軍人の駐留が余り不思議に感じられなかったからかもしれない。
御成小学校の前は大きなキャデラックが止まっていて、恐らく上級軍人の借り上げ住宅であったし、由比ガ浜方面の一軒家には一般の将校クラスの住宅も沢山あったので、子供心としては只羨望の景色であった。
偶然、ある将校一家と親しくなり、50年経った今でもメールやカード交換を未だにやっているし、彼らがアメリカに帰った後でも自分も遊びに行ったし姉は大学時代にそこの家に1年ホームステーし、勉強してきてその人生を決めたようです。

未だ安保条約がどういうものかも知らない学生時代、国会を囲んだ学生や労働組合を意外と冷たい目で見ていたような気がします。戦後気持ちの良いアメリカの音楽やカントリー、ハワイアンなど日本に無かった音や物が沢山流入してそちらに目が行ってしまい目晦まし戦術に乗ってしまったのかもしれません。
1960年7月から8月にかけて約一月間のアメリカ旅行に行きました。高校2年の時です。その年にアメリカのボーイスカウトが設立50年の記念ジャンボリーがコロラド州のコロラドスプリングスで行われそれに日本代表で参加するためでした。
まだアイゼンハワアーが大統領でした。

未だジェット機が無くプロペラ機でアンカレッジへ行き給油してバンクーバーまで行き、それからグレイハウンドのバスでロッキーからネブラスカまでの旅でした。今更ながら良く一人で回ったと思いながら、アメリカ人の懐の深さとボランティア精神の豊かさに驚いたものでした。そして何よりも驚いたのは我々がアメリカの情報として持っているものより、彼らは日本の事を殆ど知らないのです。
中国の事は共産圏と言う事で知っていても、いわば戦争に負けた日本など問題にしていないのです。これは今でも恐らく変らないと思います。

横須賀のベースの友人が云ってましたが、日本に来る事になって初めて勉強してこの国が素晴らしいシステムの国だと言う事を知ったと言います。
コロラド大学やカリフォルニア大学を出て将校になった連中でさえ、こんな文化や技術、人間性の素晴らしい事を知らなかったと言います。
国を自国で守ることは当たり前の事ですが、50年経っても何も変らないというのはやはり何かおかしい、何があるんだという疑問を持つべきです。

申し訳ないのですが、我々戦中生まれの人間にはアメリカ大好き人間ばかりで変えられないかもしれません。小泉元総理のプレスリー邸でのバカなパフォーマンスを見ればお分かりと思います。まして彼などは基地あればこその人間ですから。バブル時代の恩恵に与っていない心ある政治家や産業人、グローバルな識見を持つ学究に委ねたいと思います。今度の参議院選挙でも民主、自民など党利党略でない対アメリカ政策、対中国政策、対ヨーロッパ政策など複眼思考の党派に入れたいと思っています。

日本が本当に世界から尊敬される国になるためには、軍事力ではなく民間の技術力や人間の体温を暖めるような政策で国内外の平和と安心社会を作りましょう。
その為には我々年とった者でも知恵を出し、サポートし孫子の代に喜ばれる遺産を残しましょう。そして今度の選挙は必ず投票しましょう。






























コメント
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