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水生生物雑記帳・男鹿半島幻想・接写と拡大写真

男鹿半島幻想:荼毘沢(だみざわ)

2014-09-20 15:25:57 | 男鹿半島幻想


 2014.9.23 海からの眺め。画面の上から1/3のところを車道が走っている。




 2014.9.24 車道から上を眺めた。


 門前と加茂の中間に、荼毘沢と変わった名前で呼ばれる谷があり、
海から頂(いただき)近くまで続いている。

 現在もおこなっているかは知らないが、レーダー基地の自衛隊が
訓練で下ってくるような場所である。
 
 荼毘は、ふつうは「だび」とよんで、火葬とか葬式の意味であるが、
なぜこんな名前がつけられているのだろうか。




 タニウツギ




 タニウツギ


 男鹿ではタニウツギをダミ花とよんでいる。
きれいな花なので職場に持ち込んだら叱られたことがある。

 しかし、「男鹿の春風」には、
"野山では金帯花(タニウツギ)をこぎとり、あるいは手折って、1年の糧としている。"
とも書かれているから、半島内の地域で、あるいは時代によって違っていたのかもしれない。

 ダミ花とは葬式に飾る花なのかと思っていたが、
そうではなく、棺の蓋を止める木釘をこの木から作ったのだという。

 タニウツギがたくさん咲く谷だから、荼毘沢という名があるのだと
私は推測していたが、その逆だったのかもしれない。





 「熊野信仰と東北」の中の「男鹿の風土と熊野信仰」に次のように載っていた。

 「・・・ふたたび"男鹿図屏風"に戻って、詳細は確認できなかったが、
最近の伝聞を略記して終えようと思う。
・・・・右隻五扇にある"あし乃くら"は現在は草木に覆われた平地であるものの、
あちこちに人工の礎石らしいものがあるといわれるともに、
棺輿(ひつぎごし)がこの地に飛び来たったという
荼毘(だみ)沢伝説のある地としても知られているという。
芦の倉(あしのくら)は僧坊と同じような意味で用いられる。・・・」

 棺輿(ひつぎごし)は、墓場まで運ぶ輿(こし)。

 このあとに、菅江真澄の「男鹿の島風」の原文が続いていたが、
その部分は、内田武志現代語訳の「菅江真澄遊覧記」から引用する。

 「むかしはこの山に天真穴(金抗)があったのだろう。
芦倉泉元(あしくらせんげん)といって、金(かね)を掘ったという谷がある。
それは、所々にある岩窟をみてもうなずかれた。
 蓮花台から西北の細道をたどって行くと、古い塚原と思われるところがあって、
苔むす五倫石・無縫塔などが倒れ伏していたり、砕けたりしている中に、
新しい石碑もたくさん立っている。」

 五倫石は石を5つ積み重ねた石塔(墓)
 無縫塔(むほうとう)は台座の上に卵形ものがのっている石塔(墓)

 「芦の倉」沢は、荼毘沢の南隣の沢である。
 狩野定信の「男鹿図屏風」をみると、1650年頃には、
芦の倉沢が海に流れ込むところに、家が2棟と屋根だけ1棟分あった。
そして、流れ下って白糸の滝となる沢は、現在は白糸沢であるが
釈迦沢と表示がされている。

 これらのことから、すこしは何か幻想できるのだろうか。

 菅江真澄が行った「塚原」が芦の倉沢でないことは確かである。
当時、道がないから舟でなければ芦の倉沢へは行けなかったはずだし、
文章からも門前のすぐそばと判断できる。
多分その場所は、五社堂駐車場そばを通る車道の海側で、
徐福の墓は道路の下にあったのだろう。

 芦の倉はかなり広い範囲を指しているから、
ここもそうよばれていた可能性もある。
 しかし、芦倉泉元は文章から別の場所を指している。
芦の倉沢のような気がする。この旅では舟で加茂から来ているから、
当然芦の倉沢は見てきたはずであるが、
そのときは説明されなかったことも考えられる。

 男鹿図屏風に家が描かれいる芦の倉沢の浜は、
シケが来ればたちまち波で流されてしまう所で、
寺社があったとはとても思えない。
描かれた家は漁師番小屋ともとれるが、ここにわざわざ作る必然性はない。
流されるのを覚悟の上で建てるのは、資金を豊富に与えられた金鉱探索人ではないだろうか。

 かなり大きな地図を載せたが、眺めていると、沢の名前の謎に
毛無山(けなしやま)が関係しているように幻想が進んでいく。

 毛無山は各地にあり、その由来も論争になっている。
「蒼山遊渓」には次のような説が載っていた。

(1)文字通り木のない山だという説
(2)「毛成し」から木がよく生い茂る山という説
(3)アイヌ語起源説

 男鹿の毛無山はアイヌ語起源説が違和感なく当てはまりそうである。
 アイヌ語辞典には、

 ○ケナシ[kens]:
   平地、平野、平らなやぶ原、
   岸(川端の山がひっこんで低くなり林になっているところ)。

と載っている。

 しかし、たんに表面的意味だけではなく、なにかが付加されているように、私には感じられる。


 地図はフリーソフト、カシミールで描画。

参考:
・熊野信仰と東北-名宝でたどる祈りの歴史-「熊野信仰と東北展」実行委員会
      男鹿の風土と熊野信仰 嶋田忠一
・菅江真澄遊覧記5  内田武志・宮本常一編訳  平凡社(eBook)
・蒼山遊渓 西尾寿一 京都山の会出版局
・萱野茂のアイヌ語辞典 三省堂


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