日本棋院からの新刊「打ち過ぎ撃退法」を一言で言えば、「打ち過ぎ」。
いやテーマがでなく、本の作りが。
打ち過ぎと言われて私が思ったのは、「無理な打ち込み」や「無理なヒラキ」。
要するに「無理気味な手」というものだった。
が、本書はそれ以外にも「味消しの手」や「相手についていく手」なども含まれ、ほとんど「説明可能な悪手」に近い。
そうなると当然星の数ほどケースはあるわけで、いわゆる普遍的な「法」に当たるものは望むべくもない。
第1章はまずまず面白く読めた。
しかし第2章以降はテーマ図が示され
「ハイ、この手は『打ち過ぎ』です」
「ハイ、だからこう打てばそれを咎められます」
というカタログの列挙に過ぎず、自らの実戦に応用するためのノウハウは乏しい。
多くの囲碁棋書がこの形ではあるのだが。
加えてテーマ図までの手順が記されているのはいいのだが、その説明にまで不要にページが割かれており、肝心のテーマの説明が希薄になっている。
巻頭に
「参考図が足りないかもしれませんが、級位者から有段者まで盤面なしで読めるように…」
と書かれているが、その理由がこれでは納得できない。
プロの碁ならともかく、アマチェアの碁の細かい過程の説明は読者は望んでいないだろう。
想像するに構成の矢幅弘一氏は、解説の小長井克プロと30以上のアマチェアの棋譜を詳細に検討したのだと思う。
そしてそれを出来るだけ万遍なく読者に伝えようとするあまり、こういう構成になってしまったのではないか?
その気持ちはわからなくもないし、値段を抑えた点からしても丁寧に作っていることに好感をもった。
だからあまり非難したくないが、なにぶん「誰に」「何を」伝えたくてこの本を出したのかが絞りきれていない。
そういう点でちょっと残念ではあるが、合格点を出すわけにはいかなかった。
難しいことは承知しているが「法」というならば、もうちょっとテーマとターゲットを絞り、かつ応用可能な方法論きちんと備えた本を希望する。
いやテーマがでなく、本の作りが。
打ち過ぎと言われて私が思ったのは、「無理な打ち込み」や「無理なヒラキ」。
要するに「無理気味な手」というものだった。
が、本書はそれ以外にも「味消しの手」や「相手についていく手」なども含まれ、ほとんど「説明可能な悪手」に近い。
そうなると当然星の数ほどケースはあるわけで、いわゆる普遍的な「法」に当たるものは望むべくもない。
第1章はまずまず面白く読めた。
しかし第2章以降はテーマ図が示され
「ハイ、この手は『打ち過ぎ』です」
「ハイ、だからこう打てばそれを咎められます」
というカタログの列挙に過ぎず、自らの実戦に応用するためのノウハウは乏しい。
多くの囲碁棋書がこの形ではあるのだが。
加えてテーマ図までの手順が記されているのはいいのだが、その説明にまで不要にページが割かれており、肝心のテーマの説明が希薄になっている。
巻頭に
「参考図が足りないかもしれませんが、級位者から有段者まで盤面なしで読めるように…」
と書かれているが、その理由がこれでは納得できない。
プロの碁ならともかく、アマチェアの碁の細かい過程の説明は読者は望んでいないだろう。
想像するに構成の矢幅弘一氏は、解説の小長井克プロと30以上のアマチェアの棋譜を詳細に検討したのだと思う。
そしてそれを出来るだけ万遍なく読者に伝えようとするあまり、こういう構成になってしまったのではないか?
その気持ちはわからなくもないし、値段を抑えた点からしても丁寧に作っていることに好感をもった。
だからあまり非難したくないが、なにぶん「誰に」「何を」伝えたくてこの本を出したのかが絞りきれていない。
そういう点でちょっと残念ではあるが、合格点を出すわけにはいかなかった。
難しいことは承知しているが「法」というならば、もうちょっとテーマとターゲットを絞り、かつ応用可能な方法論きちんと備えた本を希望する。
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