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扉の向こうにあるものは・・・

一つ葉田子(ヒトツバタゴ)

2013年10月30日 03時43分55秒 | 花の神話と伝説
別 名 「なんじゃもんじゃ」

 

花言葉 「清廉 」
花言葉の由来
花の表現では、ひと固まりの雪・花など白い花の塊をさしてこの名前が付けられました。
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・木犀(もくせい)科。
・学名
  Chionanthus retusus
  Chionanthus :ヒトツバタゴ属
   retusus : 先端が、ややくぼみのある円形の
 Chionanthus(チオナンサス)はギリシャ語の「chion(雪)+ anthos(花)」が語源で、
 白い花のかたまりを雪にたとえました。
 学名のChionanthus は、ラテン語で、Chionは雪、anthusは花のことで、雪が積もったように白い花 
 という意味です。  
・開花時期は、 4/20 ~ 5/10頃。
・プロペラ型の白い花が咲きますが、すぐ散ってしまいます。
 花には芳香があります。
花後に果実径1~2cm程の楕円形の果実が多数成り、秋に黒熟します。
 春先には白い花が咲いて、秋には白い実と熟した青黒い実が同時に付いたりします。
・11月頃実は徐々に黒く熟していきます。初めは白く黄緑色から黒色の実が入り交じった状態です。
名前の由来
・ヒトツバタゴの名は、木の形状がタゴの木に似ていることに由来します。
 愛知県犬山市池野字西洞地区には、国指定天然記念物のヒトツバタゴ自生地があります
 タゴが羽状複葉であるのに対し、ヒトツバタゴは、単葉(一つ葉)であるため、
 尾張の本草 家植物学者の水谷豊文により、1825年(文政年間)に、この地で発見され、命名され たそうです。
・明治時代、東京の青山練兵場(今の明治神宮外苑)の道路沿いにこの「なんじゃもんじゃの 木」があり、名前がわからなかったので「何の木じゃ?」などと呼ばれているうちにいつの まにか「なんじゃもんじゃ?」という変わった名前になってしまったようです。
  「何でふ物ぢゃ」 →「なんじゃもんじゃ?」
・昔、江戸青山六道の辻(現在は明治神宮外苑内)の人家にあった木は名前がわからないので 「なんじゃもんじゃ」(または青山六道の辻にあったことから別名「六道木」)と呼ばれて おりました。ちなみに「なんじゃもんじゃ」とは「何じょう物じゃ(なんというものか)」 の意味です。
・水戸黄門こと徳川光圀(みつくに)が時の将軍に「あの木は何という木か」とたずねられ、 その返事に窮してとっさに「なんじゃもんじゃ!」であると答えたと言われています。将軍 に対しての名即答ぶり、さすが名君のほまれ高い黄門さまならではの逸話ですね。
・千葉県神崎町の「神埼(こうざき)神社」(利根川沿いにある)にあるくすのきは、水戸黄 門が自ら「なんじゃもんじゃ」と言ったとの伝承もあるらようです。
 ただし、一般的によく知られているのは上記青山練兵場に植えてあったのと同じ、
 「一葉(ひとつば)たご」と呼ぶ種類。
 (「たご」は「とねりこ」という木の方言名。「とねりこ」が羽状複葉であるのに対して
 こちらが単葉であることから名づけられました)

・「なんじゃもんじゃの木」という名前の木はいろいろあり、「くすのき」「あぶらちゃん」
 「かつら」等に「なんじゃもんじゃの木」の名前がつけられております。
 (関東地方で多いらしい)。
 「なんじゃもんじゃ」とは木の種類にかかわらず、その地方に珍しい正体不明の立派な木を  指していいます。

・花弁は細長く清楚な趣をしており、花は新枝の先に白い花をびっしりとつけ、長さ7~12cmの 花房にまとまって咲きます。そのサマは雪化粧のような清らかさです。9~10月になると卵形 の果実が黒紫色に熟します。実生でよく育ちますが、生育のスピードが遅く、開花するまで に約10年を必要とすると言われます。発芽時期を早めるためには、なるべく早く種を採って 種まきをするのがポイントです。用土は特に選びません。

・外苑の「なんじゃもんじゃ」(ヒトツバタゴ)は大正13年に天然記念物に指定されました が残念なことに昭和8年に枯れてしまいました。いま外苑の聖徳絵画館前にある2代目の木 は元帝国大学教授の白井光太郎博士が根接法により1代目の木から得たものを昭和9年11 月に植え継がれたとされています。そして今では外苑のいたる所で見ることができ、また明 治神宮の内苑にも昭和51年に植えられて、現在宝物殿の東側、会館車道玄関前、西参道芝 地にそれぞれ1本ずつあり、5月になるとみごとな白い花を咲かせます。

・聖徳記念絵画館の「凱旋観兵式」の絵の中にもこの「なんじゃもんじゃ」の木が描かれてい ます。

トネリコとは
モクセイ科の落葉小高木。本州の山地に自生、また人家や田の畦(あぜ)に栽植。高さ約六メートル。
芽に褐色毛を密生。葉は羽状複葉。雌雄異株。春四弁淡緑色の細花をつけ、翼果を結びます。
樹皮を秦皮といい、収斂剤・解熱剤とし、また膠(にかわ)に製する。材は家具、スキー板、野球バットなどに作る。(『広辞苑』)

※ヒトツバタゴ (Chionanthus retusus) とはモクセイ科ヒトツバタゴ属の一種。
同じモクセイ科のトネリコ(別名「タゴ」)に似ており、トネリコが複葉であるのに対し、本種は小葉を持たない単葉であることから「一つ葉タゴ」の和名があります。
なお、別名はナンジャモンジャノキですが、「ナンジャモンジャ」と名付けられる植物の樹種には、ヒトツバタゴのほかにニレ(樟)、コレ(楡)、イヌザクラ(犬桜)、ボダイジュ(菩提樹)などがあり注意を要します。

特徴
中国、台湾、朝鮮半島および日本では対馬、岐阜県東濃地方の木曽川周辺、愛知県に隔離分布する珍しい分布形態です。(但しこれらの地域以外でも植栽の樹木の実の種が野鳥に運ばれて着床して自生している自生の樹木を山林の中で観察することができる。)。成木で樹高は20mを超える大型の落葉高木。幹は灰褐色で縦に切れ目が入っております。 葉は長楕円形で4cm-10cm程度となり、長い葉柄を持ち対生し、花期は5月頃で、新枝の枝先に10cm程度円錐形に集散花序をつけます。花冠は深く4裂します。雌雄異株ですが、雌花のみをつける株は存在せず、雄花をつける株と、両性花をつける株がある雄株・両性花異株です。秋に、直径1cm程度の楕円形の果実をつけ、黒く熟します。
分布
日本において本種は希少種のひとつであり、絶滅危惧II類(VU)(環境省レッドリスト)に指定されております。天然での分布域も狭く、長野県、愛知県の木曽川流域、岐阜県東濃地方および長崎県対馬市に自生しており、それぞれの県のレッドデータブックに掲載されおります。長野県および愛知県では絶滅危惧I類、岐阜県および長崎県では絶滅危惧II類に指定されております。
愛知県犬山市池野西洞、岐阜県瑞浪市釜戸町、同県恵那市笠置町、同県中津川市蛭川の自生地は一括して国の天然記念物(「ヒトツバタゴ自生地」)に指定されております。他に恵那市大井町、同市中野方町、中津川市苗木、同市落合新茶屋の自生地が岐阜県県指定天然記念物、瑞浪市稲津町萩原の自生地が同市指定天然記念物となっていおります。
長崎県対馬市上対馬町鰐浦地区には、約3000本の本種が自生しており、「鰐浦ヒトツバタゴ自生地」として国の天然記念物に指定されております。
利用
公園木、鉢植、花壇などに利用されます。近縁種
ヒトツバタゴ属の植物は木本であり、世界で約80種が知られております。
多くの種は熱帯、亜熱帯域に分布しますが、東アジアの本種、北アメリカのアメリカヒトツバタゴ (Chionanthus virginicus) の2種は主に温帯域に分布しております。
熱帯域のほとんどの種は常緑性ですが、温帯域の2種は落葉性です。
常緑の種はLinociera属に分けられることがありまする。

アメリカヒトツバタゴ Chionanthus virginicusアメリカヒトツバタゴ(英語名"White fringetree")は、ヒトツバタゴ属の一種です。アメリカ東南部に産し、樹高は10m程度となる小高木。ヒトツバタゴと比較して葉はひとまわり大きく、花序は古い枝に腋生します。

自治体の木
市の木岐阜県土岐市 -- 県道66号線にはヒトツバタゴが植えられているため「なんじゃもんじゃ街道」という愛称が付けられております。
長崎県対馬市 -- 姉妹都市の岐阜県中津川市もヒトツバタゴの自生地です。
国外の市の木韓国の旗大韓民国慶尚南道梁山市になっております。
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一般名:ヒトツバタゴ(一つ葉タゴ)
学名:Chionanthus retusus Lindl. et Paxton
別名:ナンジャモンジャノキ
分類名:植物界被子植物門双子葉植物綱ゴマノハグサ目モクセイ科ヒトツバタゴ属
原産地:日本~朝鮮半島~中国 
生活型:大型落葉高木 株:雌雄・両性花異株  樹高:20~25m 樹径:50~70cm 樹幹:灰褐色地に縦の切れ目  葉色:緑 葉長:5cm 葉形:先の尖った長楕円形 葉のつき方:対生  葉柄:長い葉柄有り 葉裏:褐色の毛あり  開花期:4月下旬~5月中旬  小花色:純白 花冠:4深裂 芳香:有り 花序形:円錐状の集散花序が樹冠を覆い尽くす  花序長:10cm  果実形:楕円形 果実成実期:8月 果実タイプ:核果  果実径:1~2cm 果実色:黒熟 繁殖方法:実生、挿し木 実生~開花期間:8年  用途:公園木、花壇、鉢植え  備考:1825年植物学者の水谷豊文が発見し命名、絶滅危惧II類(VU) 

中国、台湾、朝鮮半島および日本では対馬、岐阜県木曽川周辺、愛知県に隔離分布する珍しい分布形態をとる落葉高木。雌雄別株で5月頃に白い花を咲かせる。
公園木、鉢植、花壇などに利用される。
科属:モクセイ科ヒトツバタゴ属 
学名:Chionanthus retusus 
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「一つ葉田子」は季語になっていない理由が分かりました。
当然ながら短歌にもございません。この木の歴史は新しい。
で、秋の実を季語にしたり、秋をつけたら「俳句・短歌」も出来ますね。




2013年10月23日 22時17分08秒 | 花の神話と伝説
別 名 「ヤマトタチバナ」「ニッポンタチバナ」


花言葉 「追憶」
橘と橘の実は秋の季語
橘の花は夏の季語
花橘(はなたちばな) 仲夏
子季語 橘の花、常世花

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六月ころ、梢に香りの高い白い五弁の花を咲かせる。
高貴な香りが古くから愛され、万葉 集や古今集などに多く詠まれた花です。

「五月(さつき)待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」
『古今集』という歌以来、花橘は昔の恋を追慕させる花として
詠まれております。

京都御所の紫宸殿には左近の桜と並んで、右近の橘が植えられております。
来歴 『花火草』(寛永13年、1636年)に所出。

文学での言及
吾が屋前(やど)の花橘はちり過ぎて殊に貫くべく実に成りにけり 
                 大伴家持『万葉集』
五月(さつき)待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする 
                 よみ人しらず『古今集』
実証的見解 橘は、ミカン科ミカン属の常緑低木。本州の静岡以南の海岸に
近いところで自生します。
高さは二メートルから四メートルくらい。
葉腋に棘を持つ。葉は互生し長さは五センチくら
いの長楕円形。六月ころ枝先の葉腋に直径二センチほどの白い花をつける。

・蜜柑(みかん)科。
・学名
  Citrus tachibana
   Citrus : ミカン属
   tachibana : ”タチバナ”
 Citrus(シトラス)は、レモンの木に対する古い呼び名。
 これが属名になりました。
タチバナ(橘、学名:Citrus tachibana)は、
ミカン科ミカン属の常緑小高木で柑橘類の一種です。 
・日本原産。
 柑橘類で日本原産のものは橘だけのようです。
・5~6月頃に白い花が咲きます。
 5弁花。
・みかんのような実はかなり酸っぱくて食べられないようです。
・ひな祭りのひな壇には、
 「左近の桜さこんのさくら)」に対して
 「右近の橘(うこんのたちばな)」があります。
・紋所(もんどころ)としても有名。
 ”橘の紋所”

●「古事記」にも「橘」が出てまいります。
垂仁(すいじん)天皇が、田道間守(たじまもり。
多遅摩毛理の字で書かれることもある)に「非時香菓(ときじくのかくのこのみ。
非時の香の木の実とも表現される)」という

 ”常に良い香りを放つといわれる、不思議な実”を探しに行かせました。
田道間守は9年間もかけてなんとかその実を探し当て天皇のもとに持ち帰ったが、
そのときには垂仁天皇は亡くなっていたおりました。
 田道間守は悲しみのあまり死んでしまったが、人々はその話に感動しこの
「非時香菓」のことを「田道間守」の名から
たじまもり→ たじま花(はな)→ たじばな→ たちばなの名で呼ぶようになった、
といわれております。

・「橘は実さえ花さえその葉さえ 枝に霜降れどいや常葉の樹」
   万葉集 聖武天皇

 「橘の花散る里のほととぎす 片恋しつつ鳴く日しそ多き」
   万葉集 大伴旅人

 「橘の蔭(かげ)ふむ路(みち)の八また(やちまた)に
     物をぞ思ふ妹(いも)に逢(あ)はずして」
   万葉集   三方沙彌(みかたのさみ)

「吾が屋前(やど)の花橘はちり過ぎて殊に貫くべく実に成りにけり」
    大伴家持『万葉集』
「五月(さつき)待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」
  よみ人しらず『古今集』
乗掛やたちばな匂ふ塀の内 鬼貫 「大悟物狂」
駿河路や花橘も茶の匂ひ 芭蕉 「炭俵」
橘や定家机のありどころ 杉風 「炭俵」
たちばなのかはたれ時や古館 蕪村 「蕪村句集」
老ふたり花たちばなに酔泣す 白雄 「白雄句集」


概要日本に古くから野生していた日本固有のカンキツです。
和歌山県、三重県、山口県、四国、九州の海岸に近い山地にまれに自生します。
近縁種にはコウライタチバナ(C. nipponokoreana)があり、
萩市と韓国の済州島にのみ自生しております
(萩市に自生しているものは絶滅危惧IA類に指定され、国の天然記念物となっている)
静岡県沼津市戸田地区に、国内北限の自生地が存在します。
日本では、その実や葉、花は文様や家紋のデザインに用いられ、
近代では勲章のデザインに採用されおります。
三重県鳥羽市ではヤマトタチバナが市の木に選定されております。
特徴
樹高は2 メートルから4 メートル、枝は緑色で密に生え、若い幹には棘があります。
は固く、楕円形で長さ3 センチメートルから6 センチメートルほどに成長し、濃い緑色で光沢がります。
果実は滑らかで、直径3 センチメートルほど。
キシュウミカンやウンシュウミカンに似た外見をしているが、
酸味が強く生食用には向かないため、マーマレードなどの加工品にされることがあります。
タチバナの名称で苗が園芸店で売られていることがありますが、ニホンタチバナではなくコウライタチバナと区別されず混同されていることがあります。
コウライタチバナは、葉や実がタチバナより大きく、実がでこぼこしているのが特徴。
文化
日本では固有のカンキツ類で、実より花や常緑の葉が注目されました。
マツなどと同様、常緑が「永遠」を喩えるということで喜ばれておりました。
古事記、日本書紀には、垂仁天皇が田道間守を常世の国に遣わして「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)・非時香木実(時じくの香の木の実)」と呼ばれる不老不死の力を持った(永遠の命をもたらす)霊薬を持ち帰らせたという話が記されております。

古事記の本文では非時香菓を「是今橘也」(これ今の橘なり)とする由来から京都御所紫宸殿では「右近橘、左近桜」として橘が植えられております。ただし、実際に『古事記』に登場するものが橘そのものであるかについてはわかっておりません。

奈良時代、その「右近の橘」を元明天皇が寵愛し、宮中に仕える県犬養橘三千代に、杯に浮かぶ橘とともに橘宿禰の姓を下賜し橘氏が生まれました。

『古今和歌集』夏、よみ人しらず「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」以後、橘は懐旧の情、特に昔の恋人への心情と結び付けて詠まれることになりました。1937年に制定された文化勲章は橘をデザインしております。
昭和天皇の意向で意匠が橘花とされたとする説については「文化勲章」を参照して下さい。
家紋
橘紋(たちばなもん)は、タチバナの実と葉を図案化した家紋。
文様としては平安時代末期ごろに現れ、江戸時代には90家余りの旗本が用い、蔦紋や桐紋などとともに十大紋の一つに挙げられております。元明天皇が、葛城王に橘姓を下賜したことにちなみ橘系の氏族が家紋として用いられました。『見聞諸家紋』に記された、薬師寺氏(丸に三つ立ち橘)、小寺氏(藤巴に三つ橘)が文献上の初見になっております。
使用井伊氏、黒田氏などが用い、黒田氏の橘紋の由来は、黒田職高が小寺氏に仕えた際に下賜されたことからであり、井伊氏は、井伊共保が生まれた際の故事にちなむとされております。なお日蓮宗の寺紋「井桁に橘・日蓮宗橘」は、開祖の日蓮が井伊氏一族の出身であることに由来するといわれております。

京都府八幡市の「石清水八幡宮」では、八幡神を勧請した僧・行教の紋が橘であったため、橘紋と三つ巴が神紋とされております。また本殿の彫刻には真ん中に橘の実があり、その実の両側から鳩が向かい合っている形のものがあります。本殿前には左右共に橘の木が植えられており、授与品としてこの橘の実を使った御神酒も作られております。
図案
『法然上人絵伝』に見られ、構図の種類には「橘」、「丸に橘」、「井桁に橘」、「三つ葉橘」などがあります。同様の図案で「茶の実紋(ちゃのみもん)」がありますが、チャノキの実を図案化したもので橘紋の実の部分に3枚の葉がない構図になっております。

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ウィキ その他より 資料が少ないため、加筆の可能性がございます。





秋を纏める

2013年10月17日 18時44分30秒 | 扉を開けて






秋(あき)は、四季の1つであり夏の後、冬の前に位置する。

北半球ではグレゴリオ暦の1年の後半、南半球では1年の前半に秋がある。
サマータイム実施国ではサマータイムが終了し、時計の針を1時間戻すこととなる。

中緯度の温帯地方では広葉樹が葉を落とし草が枯れるなど冬へと向かう季節である。

稲などの穀物や果物が実る時期であり、成熟などを意味する。

日本では夏の暑さがやわらぎ過ごしやすい季節。
日中は暑いが、朝晩に肌寒さを覚えたり、
吹いてくる風に爽やかさを感じたりする。

夏の蝉は次第に鳴りをひそめ、赤とんぼの群れや、
虫の声が耳にとまるようになる。

夏休みが終わって新学期が始まり、運動会や文化祭がある。

稲が黄金に色付き、栗、梨、葡萄などとりどりの果実が店頭を飾る。

台風がしばしば日本を襲い、秋雨が永く続くこともあるが、
晴れた空は高く澄み渡り俗に「天高く馬肥ゆる秋」ともいわれる。

夜が長くなり、月や星を賞でたり、読書や夜なべにいそしんだりする。

朝寒夜寒が段々とつのって、昼夜の温度差が大きくなり、
野の草には露が置き、木々は紅葉してくる。

色付いた葉が散りはじめると、重ね着が増え、暖房が入り、
秋も終わりに近づく。

行事
気候がよく過ごしやすいことから、秋祭りや運動会などの行事も多く開かれ、
たいへん賑やかな季節でもある。

「食欲の」「スポーツの」「読書の」「芸術の」など、
さまざまな言葉が冠される。

以下に、日本の秋の行事を記述する。
スポーツの秋 運動会(体育祭、体育大会) - 祝日「体育の日」があり、
その前後に多くの学校で運動会や体育祭、体育大会が開かれる。
校内と地区ブロック内の年2回する学校は春と秋に実施することが多い。

文化
(読書、芸術)の秋 文化祭
音楽会
大学祭 - 多くの大学で秋に行われる。

衣替え
七夕(旧)
中元(旧)
お盆(旧)
月見 十五夜、中秋の名月 : 旧暦八月十五日。
十三夜、後の月見 : 旧暦九月十三日。

秋彼岸
重陽
紅葉狩り
菊人形

定義北半球での定義には以下のようなものがある。南半球では半年ずれる。
社会通念・気象学では9月・10月・11月 。
二十四節気に基づく節切りでは立秋から立冬の前日まで
旧暦(太陰暦)による月切りでは七月・八月・九月。
上に似ているが最大半月ずれる。

年度では10月・11月・12月。
英語ではこの3ヶ月をfall quarter(米)またはautumn quarter(英)という。

天文学上は秋分から冬至まで
ここでの「秋分」「冬至」は「秋分の日」「冬至の日」ではなく
太陽黄経が180度、270度になった瞬間。

西洋では伝統的に、秋分(の日)から冬至(の日)の前日までとすることがある。
熱帯地方では「1年中夏」、極地では「1年中冬」とされ、秋がないとされることがある。
積雪や海の凍結がある地方では、その始まりを秋の終わりとすることがある。

三秋 初秋→立秋から白露の前日までの期間をいい、孟秋ともいう。
仲秋→白露から寒露の前日までの期間をいう。
晩秋→寒露から立冬の前日までの期間をいい、季秋ともいう。11月から12月初め頃

自然
秋の風物、斜陽を浴びるススキの穂波
秋は春と肩を並べるにぎやかな季節である。
様々な花が咲き、果実が生じる。
これは夏ほど暑くない、好適な気温の季節であること、

それに冬を迎えるために多年生の生物は冬を越す準備を、
そうでないものは往々にして生活史の終結を迎えなければならないためである。

空気は晩秋へ向かうほどに透明度を増し、斜陽が独自の陰影を作る。

植物
秋の花としては秋の七草が有名である。
園芸植物では菊が代表格であり、野草では彼岸花、コスモス、芒などが
秋を代表する草花として知られる。
また、果実が生産されるのも目を引く。

冬への準備としては落葉やそれに先立つ紅葉、冬芽、休眠芽や球根、
根茎の形成などがある。

動物
ほ乳類の場合、秋は冬への準備として、栄養を蓄積しなければならない時期である。
植物における果実、あるいはキノコの生産はこれを支えるものとなっている。
動物はこれによって皮下脂肪を蓄積する。
「天高く馬肥ゆる秋」もこれにちなむものと考えられる。
秋の果実の生産が少ないとこれらの動物の冬期における死亡率が高くなる。
クマが人里に出る年は、その前の秋に果実が不作であった年である。
また、大型ほ乳類では往々にして秋から冬が繁殖期である。
これはこの時期に妊娠が始まると、春に出産が迎えられるからである。

天文
空は秋が深まるにつれ、夏の高い湿度から開放され、
大陸の乾燥した空気が日本を覆い澄み渡るようになる。
入道雲に代わり、積雲、いわし雲(巻積雲)など秋特有の雲が多くなり、
空の色は青さを増し、高く見えるようになり、
中国の諺である「天高く馬肥ゆる秋」の表現が、しばしば使われる。
天文における秋の夜空は、一等星を持つ星座は一つ
(みなみのうお座のフォーマルハウトだけ)しかないため、
他の季節と比較して物寂しい印象を受ける。
しかしながら、秋の夜空は天体観測、天体観望に適しており、
年中を通して黄砂、天の川、その他の影響が少ないため、
暗い星も含め、澄み切って見える。
また、ギリシア神話で知られる英雄ペルセウスの冒険にまつわる星座が多い。

別名
高秋(コウシュウ:空が高く澄みわたる秋)
素秋・白秋(ソシュウ・ハクシュウ:五行思想で秋=金=白より )
白帝(ハクテイ:秋を掌る神のこと)
金秋(キンシュウ:秋=金)
三秋(サンシュウ:初秋、仲秋、晩秋の三つの秋)
九秋(秋の九十日間=三ヶ月のこと)   
などがある。

ことわざ
天高く馬肥ゆる秋(四字熟語の「天高馬肥」(秋に匈奴が漢に侵入・略奪してくる故事に由来)を借用したもの)
秋風が吹く
秋を吹かす
一日三秋
一日千秋
一刻千秋
千秋晩成
春秋の争い
春秋に富む
春秋高し
物言えば唇寒し秋の風
一葉落ちて天下の秋を知る
秋の夜と男の心は七度変わる
暑さ寒さも彼岸まで
女心と秋の空(関連:「男心と春の空」)
秋の日は釣瓶(つるべ)落とし:日がどんどん短くなっていく実感がこもる
秋茄子嫁に食わすな;秋サバは嫁に食わすな
「秋ナス-」は身体が冷えるから食べさせるなと言う意味と、
うまいものだから嫁に食わせるのはもったいないという意味と二通り伝えられている。
また、元来は嫁ではなく夜目であり、ネズミを指したとの説もある。
秋の扇
秋の鹿は笛に寄る
柿が赤らむと医者が青くなる、サンマが出るとあんまが引込む
いずれも旬のおいしいものを食べると健康になるという意味

和歌
小倉百人一首より
秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ(第1番:天智天皇)
(解釈) 秋、田に実った稲の穂を刈る季節――田の側の掘っ建て小屋は屋根の苫の目が荒いから、私の袖は落ちてくる露でぬれ続けていることだよ。

奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき(第5番:猿丸大夫)
(解釈) 山の奥深くで、積もったもみじを踏み分けて妻を恋い慕って憐れに鳴いている鹿の声を聞くときには、何にもまして秋が悲しく感じられる。

み吉野の 山の秋風 さ夜更けて ふるさと寒く 衣打つなり(第94番:参議雅経)
(解釈) 吉野の山から冷たい秋風が吹き降ろし、夜も更けて、かつて都であったこの吉野の里は更に寒くなり、砧で衣を打つ音が寒々と聞こえてくることだよ。

三夕
三夕(さんせき)とは、下の句が「秋の夕暮れ」で終わる有名な三つの句のこと。

寂しさは その色としも なかりけり 槙立つ山の 秋の夕暮れ (寂蓮法師)
心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ (西行法師)
見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ (藤原定家)

季語
秋を含む季語には次のような物がある。


麦秋
秋近し
秋を待つ
夜の秋


仲秋
行秋
秋めく

実りの秋

実りの秋から転じて、季節に関わらず収穫時期を秋と呼ぶことがある。
麦秋(ばくしゅう):麦の穂が色づく初夏を指す。
南国高知では盛夏8月に早場米の取り入れをするが、
炎天下の稲刈り作業も『アキ』と呼ばれる。

秋を題材にした作品
文学新美南吉:『ごん狐』
芥川龍之介:『秋』
大岡信:詩集「秋をたたむ紐」

音楽クラシック
ヴィヴァルディ:協奏曲集『四季』 - 「秋」
ピアソラ:『ブエノスアイレスの四季』 - 「ブエノスアイレスの秋」
武満徹:「ア・ストリング・アラウンド・オータム」(大岡信「秋をたたむ紐」が題材)「ノヴェンバー・ステップス」「秋」「秋庭歌一具」
細井博之 : 「ヴァイオリンとピアノのためのロンド『秋』」


童謡・唱歌「ちいさい秋みつけた」(作詞:サトウハチロー 作曲:中田喜直)
「もみじ」(作詞:高野辰之 作曲:岡野貞一)
「まっかな秋」(作詞:薩摩忠 作曲:小林秀雄)
「夕焼け小焼け」(作詞:中村雨紅 作曲:草川信)
「赤とんぼ」(作詞:三木露風 作曲:山田耕筰)
「里の秋」(作詞:斎藤信夫 作曲:海沼實)
「虫のこえ」(作詞・作曲:不詳)
「どんぐりころころ」(作詞:青木存義 作曲:梁田貞)
「秋の子」(作詞:サトウハチロー 作曲:末広恭雄)
「村祭り」(作詞:葛原しげる 作曲:南能衛)
☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆

立秋
読み方:りっしゅう
8月8日頃
立秋とは、秋に入る日のことを言います。
この日から「暑中見舞い」は「残暑見舞い」に変わります。
秋に入るとは言え、まだまだ暑さが続くこの頃は、全国高校野球がはじまる時期です。

処暑
読み方:しょしょ
8月23日頃
処暑とは、暑さが終わるという意味です。
まだ昼間は暑い日が続きますが、朝夕は涼しい風が吹き渡わたり、
気持ちのよい時期です。
また、この頃には秋の台風が訪れます

白露
読み方:はくろ
9月8日頃
白露とは 「陰気ようやく重なり、露凝って白し」ということから名付けられました。
これは、秋が本格的に到来し草花に朝露がつくようになるという意味です。
太陽が離れていくため、空もだんだんと高くなってきます。
小学校などでは運動会の練習が始まる頃でしょうか。

秋分
読み方:しゅうぶん
9月23日頃
秋分は春分と同じく、昼の長さと夜の長さが同じになる日です。
この日を境に夜の方が長くなっていきます。
まだ夏の暑さは残っていますが、少しずつ秋へと移行していることが感じられます。
また、秋分は「秋分の日」ともいい、国民の祝日の1つにもなっています。

寒露
読み方:かんろ
10月8日頃
寒露とは、草花に冷たい露が宿るという意味です。
秋の長雨が終わり、秋も深まり始める頃です。
東日本ではもみじの紅葉が始まり、農作物の収穫も行われます。
また、10月10日が体育の日である事もあり、
寒露の頃に運動会が開催される地域が多いようです。

霜降
読み方:そうこう
10月23日頃
霜降とは、霜が降りるという意味です。
東北地方や本州中部では霜が降りるようになります。
この頃になると、すっかり秋も深まり、もみじや楓は紅葉します。
日本列島が北から徐々に、燃えるような赤色に染まります。

秋分の日
読み方:しゅうぶんのひ
関連語:彼岸・秋
毎年9月23日頃を秋分の日と言い「祖先を敬い、亡くなった人をしのぶ日」として
1948年に法律で制定されました。
また秋分の日は、祝日法の上で「秋分日」とされています。
毎年2月1日に、国立天文台が作成する「暦象年表」という小冊子に基づき
閣議で来年の(秋分の日の)日にちが決定されます。

意味・目的祖先を供養する日
秋分の日は春分の日と同様に、昼と夜の長さが等しくなる日です。
しかし、春分の日よりも昼の平均気温は10度程高く、
まだ夏の気配が残ります。
秋分の日を中心とした一週間を「秋彼岸〔あきひがん〕」と言います。
各家々では、家族そろってお墓参りに行ったり、
祖先を供養する「法会〔ほうえ〕」が行われたりします。

起源・歴史自然信仰から生まれた祖先供養の日

元々農村部では、春分の頃に豊作を祈り、秋分の頃に豊作を祝う自然信仰があり、
山の神様である祖先の霊を春分以前に山から里に迎え、
秋分以降に里から山へ送る儀式が行われていました。
しかし、仏教の浸透とともに秋分は「秋の彼岸」として
祖先を供養する意味を持ち始めました。

明治時代に秋分の中日を「秋季皇霊祭〔しゅうきこうれいさい〕」と定め、
宮中において祖先をまつる日となった事がきっかけで、
一般市民の間でもそのように定着していきました。

1948年には、お寺参りの日・先祖供養の日など、
宗教的慣例としてのまつりの日だけではなく、
広い意味で「祖先を敬い、亡くなった人を忍ぶ日」として
国民の祝日に制定されました。

行事秋分の日と彼岸
秋分(春分)の3日前の日を「彼岸の入り」といい、
3日後を「彼岸の明け」と言い、その7日間を彼岸と言います。
秋分・春分はその中間に位置するため「彼岸の中日」と呼ばれています。
また「彼岸」とは元々仏教用語で「煩悩に満ちた世界から解脱した悟りの世界」を指します。
これは、簡単に言えば「亡くなった先祖達の霊が住む世界」のことです。
その祖先の霊を供養するために、私たちはお彼岸になると「お墓参り」へ行きます。

■参考文献・ウェブサイト
子どもに伝えたい年中行事・...萌文書林編集部 萌文書林 1998
年中行事・儀礼事典東京美術選書川口謙二 池田孝 池田政弘 東京美術 1997
祝祭日の研究―「祝い」を忘...角川oneテーマ21産経新聞取材班 角川書店 2001

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ウィキペディアその他より
加筆ございます。

紫式部

2013年10月17日 16時53分41秒 | 花の神話と伝説
別 名 「実紫」

花言葉  「愛され上手」「上品」「聡明」「聡明な女性」

花は夏の季語
実は秋の季語


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晩秋
実紫/紫式部の実/小式部/白式部
クマツヅラ科の落葉低木。
秋、紫や白のあざやかな球形の実を結びます。
山地に自生、観賞用にも栽培されております。

名は『源氏物語』の作者、紫式部に由来します。
・熊葛(くまつづら)科。
・学名
  Callicarpa japonica
   Callicarpa :ムラサキシキブ属
   japonica : 日本の
 Callicarpa(カリカルパ)は、ギリシャ語の
 「callos(美しい)+ carpos(果実)」が語源。
 「美しい実」の意味。 
美しい実」にちなみ、種名の「japonica(ジャポニカ)」は「日本の」を意味しております。
・山野などに生えます。
 都会では、植物園以外ではあまり見かけることはありません。
・紫色の実の清楚な美しさを、平安美女の「紫式部」(西暦1000年頃の人)にたとえてつけられました。
 また、紫色の実をびっしりつけることから「紫重実、紫敷き実(むらさきしきみ)」と呼ばれていたものが、いつのころからか源氏物語の作者・紫式部を連想させて「紫式部」となっていった、との説があります。
・11月5日の誕生花(紫式部)

原産地:日本 中国 朝鮮半島 台湾
樹高:2m~3m
主な開花期:6月-7月 果実:9月-10月

北海道の南部から沖縄にかけて分布し、山野に生えております。
樹高は2メートルから3メートル。
葉は楕円形で、向かい合って生える(対生)。
葉の縁には細かなぎざぎざ(鋸歯)があります。
葉の脇に集散花序(最初の花が枝先につき、その下に次々と側枝を出して花がつく)を出して
淡い紫色の小さな花をたくさんつけます。

花は筒状で先が4つに裂けて平らに開きます。
雄しべは4本、雌しべは1本で、花冠から飛び出ております。
結実期は10月から12月。
実は直径3、4ミリの球形で、きれいな紫色に熟します。
材はまっすぐに伸びて強靱であることから、金槌などの道具の柄や杖として利用されております。
ムラサキシキブ(紫式部)の名前の由来
花が咲いた後、秋につける丸い紫色の果実の清楚な美しさを、平安時代の才女で美女の「紫式部」に喩えられました。
また、紫色の実をびっしりつけることから「紫重実、紫敷き実(むらさきしきみ)」と
呼ばれていたものが、何時のころからか「源氏物語」の作者である「紫式部」を連想させて紫式部」となっていったとの説があります。

別名を秋に紫の実をびっしりとつけることからミムラサキ(実紫)とも呼ばれております。
「 国内では北海道~沖縄まで分布し、山野の林縁などに生えております。
都会では植物園以外では余り見かけない。高さは2~3mほどになります。
葉は先が細長くのび、長さは5~10cmで、各節2枚ずつつく対生になっております。
開花時期は6月~7月ごろ。
葉の脇(葉腋)から花序を出して桃紫色の小さい花を沢山つけます。
花序には、特に初めのころ少し星状毛が生えておりますが、
よく似た種の「ヤブムラサキ (藪紫」ほど目立たちません。

花の後、果実は直径5mm程度の鮮やかな紫色になり、
晩秋のころ、葉がほとんど落葉してもまだ果実はよく残っているのが見られます。

花序は「集散花序(しゅうさんかじょ)」
集散花序というのは、まず中心となる花柄(花軸)の先端に花がついて、
その下から枝分かれして花が咲きます。
そして、その花の下からも枝分かれして花が咲くという花序のことです。
よく見ると三又になった部分が残っておりますので、
その都度花の下から枝分かれして出る枝の数は2本だということがわかります。

ヤブムラサキ(藪紫)の場合は、花冠、萼、花序に星状毛がもっと密生して目立ち、
葉にも毛が多い。果実の時期にも星状毛が密生した萼が残ります。

また、一般に「ムラサキシキブ(紫式部)」として流通し
庭木によく植えられのは「コムラサキ(小紫)」が多いのだといわれております。

コムラサキ(小紫)の場合は、枝が下垂し、
葉が小さく縁にギザギザの鋸歯があるのは先半分だけで。

よく似た「コムラサキ(小紫)」は、ムラサキシキブ(紫式部)を
小さくしたものなのでこの名前になりました。

ムラサキシキブ(紫式部)とコムラサキ(小紫)の違い
ムラサキシキブ(紫式部)は、やや大型(背が高い)。
実も大きめ。 実は比較的バラバラにつけます。

コムラサキ(小紫)は、やや小型(背が低い)。実も小さめ。
実は枝に沿って固まるようにつけます。

ムラサキシキブ(紫式部)の幹はまっすぐに伸びて、しかも強靱であるところから、
金槌などの道具の柄や、杖に用いられております。
また戦国の火縄銃の時代には、銃身掃除や弾丸込めのための唐子棒にも使われておりました。 


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ウィキペディア その他より 加筆等ございます。

    

蓮と蓮の実

2013年10月07日 15時04分10秒 | 花の神話と伝説
別名 「水芙蓉 (すいふよう みずふよう)」「不語仙 (ふごせん)」
   「池見草 (いけみぐさ)」「水の花」



花言葉 「雄弁」「休養」「沈着」「神聖」「清らかな心」「離れゆく愛」
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 ハス(蓮、学名:Nelumbo nucifera)は、インド原産のハス科多年性水生植物。
名称など
古名「はちす」は、花托の形状を蜂の巣に見立てたとするのを通説とされております。
はす」はその転訛。
水芙蓉(すいふよう、みずふよう)、もしくは単に芙蓉(ふよう)、
不語仙(ふごせん)、池見草(いけみぐさ)、水の花などの異称をもちます。

漢字では「蓮」のほかに「荷」または「藕」の字をあてられます。

ハスの花と睡蓮を指して「蓮華」(れんげ)といい、仏教とともに伝来し
古くから使われた名となっております。

また地下茎は「蓮根」(れんこん、はすね)といい、野菜名として通用致します。

属名 Nelumbo はシンハラ語から。
種小名 nucifera はラテン語の形容詞で「ナッツの実のなる」の意。
英名 lotus はギリシア語由来で、元はエジプトに自生するスイレンの一種
「ヨザキスイレン」 Nymphaea lotus を指したものといいます。

7月の誕生花であり、夏の季語。特徴

原産地はインド亜大陸とその周辺。
地中の地下茎から茎を伸ばし水面に葉を出します。
草高は約1m、茎に通気のための穴が通っております。
水面よりも高く出る葉もあります(スイレンにはない)。

葉は円形で葉柄が中央につき、撥水性があって水玉ができます(ロータス効果)。

花期は7~8月で白またはピンク色の花を咲かせます。
早朝に咲き昼には閉じます。

園芸品種も、小型のチャワンバス(茶碗で育てられるほど小型の意味)のほか、
花色の異なるものなど多数ある。

なお、果実の皮はとても厚く、土の中で発芽能力を長い間保持することができます。
1951年(昭和26年)3月、千葉市にある東京大学検見川厚生農場の落合遺跡で発掘され、
理学博士の大賀一郎が発芽させることに成功したハスの実は放射性炭素年代測定により
今から2000年前の弥生時代後期のものであると推定されました。(大賀ハス)。

その他にも中尊寺の金色堂須弥壇から発見され、800年ぶりに発芽に
成功した例(中尊寺ハス)や埼玉県行田市のゴミ焼却場建設予定地から、
およそ1400年から3000年前のものが発芽した例(行田蓮)もあります。

近年の被子植物のDNA分岐系統の研究から、スイレン科のグループは被子植物の
主グループから早い時期に分岐したことがわかってきました。

しかしハス科はそれと違って被子植物の主グループに近いとされ、
APG分類体系ではヤマモガシ目に入れられております。

利用
食用、薬用、観賞用として湿地で栽培されます。

地下茎
地下茎はレンコン(蓮根)として食用になる。
日本では茨城県、徳島県で多く栽培されており、
中国では湖北省、安徽省、浙江省などが産地として知られている。
中国では、すりつぶして取ったでん粉を葛と同様に、
砂糖とともに熱湯で溶いて飲みものとする場合もある。


※葉については「蓮の葉」を参照。

種子
はすの実と呼ばれる果実(種子)にもでん粉が豊富であり、生食されます。
若い緑色の花托が生食にはよく、花托は堅牢そうな外見に反し、スポンジのように
ビリビリと簡単に破れます。
柔らかな皮の中に白い蓮の実が入っております。
種は緑色のドングリに似た形状で甘味と苦みがあり、生のトウモロコシに似た食感を持っております。

また甘納豆や汁粉などとしても食べられます。
中国や台湾では餡にして、月餅、最中などの菓子に加工されることも多い。

餡にする場合苦味のある芯の部分は取り除くことが多いが、取り除いた芯の部分を
集め蓮芯茶として飲まれることもあります。
また、蓮肉(れんにく)という生薬として、鎮静、滋養強壮作用があります。


果実の若芽は、果実の中心部から取り出して、茶外茶として飲用に使われる。


ハスを国花としているベトナムでは、雄しべで茶葉に香り付けしたものを
花茶の一種であるハス茶として飲用します。
資料によれば甘い香りが楽しめると言う。
かつては茶葉を花の中に挿入し、香りを茶葉に移しておりました。


撥水性の葉と茎がストロー状になっている性質から、
葉に酒を注いで茎から飲む象鼻杯(ぞうびはい)という習慣もあります。

ベトナムでは茹でてサラダのような和え物にして食べます。
日本においては食べやすく切った茎を煮物の材料として用いられます。
産地である秋田県では、茎を用いた砂糖漬けが作られております。
茎の表皮を細かく裂いて作る糸を「茄絲(かし)」、
茎の内部から引き出した繊維で作る糸を「藕絲(ぐうし)」と呼び、
どちらも布に織り上げる等、利用されます。

象徴としてのハス ※(加筆あり)
ハスの花、すなわち蓮華は、清らかさや聖性の象徴として称えられることが多かった。
「蓮は泥より出でて泥に染まらず」という日本人にも馴染みの深い中国の成句が、
その理由を端的に表しております。

宗教とハス
ヒンドゥー教
古代インドでは、ヒンドゥー教の神話やヴェーダやプラーナ聖典などにおいて、
ハスは特徴的なシンボルとして繰り返し登場する。
例えば、『バガヴァッド・ギーター』11章で、クリシュナは「蓮華の目を持つ者よ」と美称され、
アルジュナは「ハスの上に座す梵天(最高神)を、そしてシヴァ神、あらゆる賢者たち、
聖なる蛇たちをわたしは見ます」と語る。

同5章の記述「結果を最高神に任せ執着なく義務を遂行する者は、罪に迷わない。
あたかもハスの葉に水が触れぬがごとく」は、後の仏教における「ハス」の象徴的用法と近いものを含む。
泥から生え気高く咲く花、まっすぐに大きく広がり水を弾く凛とした葉の姿が、
俗世の欲にまみれず清らかに生きることの象徴のようにとらえられ、
このイメージは仏教にも継承された。 性典の中では、「女陰」の象徴。

多神教信仰から女神崇拝が生まれその為、
古代インドでは女性に対する4段階の格付けが生まれ上から
パドミニ(蓮女)、チトリニ(彩女、芸女)、シャンキニ(貝女)、ハスティニ(象女)
といい最高位の「蓮女」の象徴としてラクシュミーという女神が、崇拝された。
参照―性典『ラティラハスヤ』

仏教
仏教では泥水の中から生じ清浄な美しい花を咲かせる姿が
仏の智慧や慈悲の象徴とされ、様々に意匠されている。

如来像の台座は蓮華をかたどった蓮華座であり、
また厨子の扉の内側に蓮華の彫刻を施したりしている。

主に寺院では仏前に「常花」(じょうか)と呼ばれる金色の木製の蓮華が置かれている。

一方で、仏教国チベットでは標高が高く生育しないため、
想像でかかれたのかチベット仏教寺院では日本に比べ、かなり変形し、
その絵はほんのり赤みがかった白い花として描かれている。

また死後に極楽浄土に往生し、同じ蓮花の上に生まれ変わって身を託すという思想があり、
「一蓮托生」という言葉の語源になっている。

「白龍山寶珠寺」(はくりゅうさんほうしゅじ)和歌山県新宮市木ノ川360番地の蓮池には、
毎年7月から8月末までの間に、白蓮が開花する。
宝珠寺の古文書によると、200年前より蓮池が存在し、蓮もそれに由来する。
蓮の葉が80cm以上で大きく、花も開花すると30cmと大きい。

なお、経典摩訶般若波羅蜜経には「青蓮花赤蓮花白蓮花紅蓮花」との記述がある。
ここでの青や、他で登場する黄色は睡蓮のみに存在する色である。

仏典においては蓮と睡蓮は区別されず、共に「蓮華」と訳されている[2]。

密教密教においては釈迦のみならず、ラクシュミー(蓮女)である
吉祥天女を本尊として信仰する吉祥天女法という修法があり、
蓮は特別な意味を持つ。

その他インド、スリランカ、ベトナムの国花。
中華人民共和国マカオの区旗にもデザインされている。

国内では、以下の地方公共団体が「市の花」に採用している。
愛知県愛西市
滋賀県守山市
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蓮の実

ハスの実とは?
●基本情報
ハスの実とは、スイレン科の多年草のハスの花托(かたく)から採れる種子のことです。
世界の熱帯・温帯地域にかけて広く自生し、沼や池、水田で栽培されています。

ハスは水生植物で、地中の地下茎から茎を伸ばし、水面に葉を出します。
葉・茎・花には空気を運ぶための通気孔があり、全ての部分が縦に貫通していることが特徴です。
地下茎は野菜の一種であるレンコンとして親しまれています。

ハスは夏の早朝に紅色や白色などの美しい大きな花を咲かせますが、
昼を過ぎるとすぐに閉じてしまいます。

花の開閉を3回繰り返し、4回目に開いた際には閉じることなく散っていきます。

秋になると花托が肥大し、蜂の巣のような形になります。
上面にあいたたくさんの穴に入っている種子がハスの実と呼ばれるものです。

ハスの実は、緑色でどんぐりのような形をしています。
甘みと苦みがあり、生のトウモロコシに似た食感があります。

ハスの実である種子は千年以上も発芽力が消失しない程、
強い生命力を持っているといわれています。

<豆知識①>象徴としてのハス
日本ではハスの地下茎であるレンコンが、通気孔である穴を持っていることから
「見通しが良い」といわれ、縁起が良い野菜であると考えられています。
おせち料理の食材としても知られています。

古代インドでは、神がハスから誕生したという神話から吉祥の象徴とされたり、
種子であるハスの実が多くつくことから生命や多産のシンボルとされています。

また、ハスは泥の沼の中から出てきたとは思えないような美しい花を咲かせ、
花と同時に実をつけます。
このため仏教では、迷いの世界(泥水)の中にあっても、
迷いに染まらず悟り(花と実)を得ることをハスの花に例え、
仏教の台座である蓮台にハスの花の形が使われています。

日本や中国では、仏教での極楽浄土とは蓮池のことであるとされていたため、
寺院などの境内には蓮池がよく見られます。

<豆知識②>ハスの葉の表面張力
ハスの葉の表面には数マイクロメートル程の非常に小さなデコボコがあり、
そのデコボコの表面にはさらに小さな突起がついています。
そのため、表面張力が働き、ハスの葉は雨に濡れることも泥で汚れることもありません。
この構造を参考にしたコーティング技術の研究が進められ、家の外壁やトイレの便器、
繊維などに応用されたり、雨が降っても窓に水玉がつかず、
ワイパーを必要としない自動車などが開発されています。

●ハスの名前の由来
ハスの実がつく花托が蜂の巣とよく似ていることから「蜂巣(はちす)」と呼ばれていましたが、その後、蜂巣が略されてハスと呼ばれるようになりました。
漢字の「蓮(ハス)」は漢名からきたもので、ハスの実が連なって実ることから
この漢字が使われるようになったといわれています。

●ハスの実の歴史
ハスは、白亜紀後期の約1億年前には地球上に出現していたとされている植物です。
インドでは紀元前3000年もの古い時代からハスが食用とされていただけではなく、
宗教などにも深く関わっていると考えられ大切にされてきました。
ハスの実は、松の実やクコの実と同様に健康食品として重宝され、
古代中国では皇帝への貢物として用いられていました。
今でも精進料理に欠かすことのできない食材です。
日本でも約2000年前の弥生時代の地層からハスの実が発見されていることから、
古くから親しまれていた植物であったと考えられています。

<豆知識③>大賀ハス
1951年、千葉県にある東京大学検見川の落合遺跡から、
植物学者である大賀一郎博士により今から2000年以上前のものとされる
古代のハスの実が発掘されました。
発掘された3個のハスの実のうちのひとつを発芽・開花させることに成功し、
国内外に「世界最古の花・生命の復活」と伝えられ、注目を集めました。
その後、その種子であるハスの実が「大賀ハス」として日本各地をはじめ世界各国に伝えられ、
友好親善を深めています。
1993年、大賀ハスは「千葉市の花」に指定され、千葉公園に移植されました。
毎年6月下旬から7月にかけて美しい花を咲かせています。

●ハスの実の用途
未熟なハスの実は柔らかく甘みがあるため、剥いて生のまま食べられます。
熟すにつれて暗黒色の硬いハスの実となります。
熟したハスの実は煮たり、炒めたりする他、天日干しをして乾燥させて食べられています。
また、甘納豆や汁粉にしたり、中国や台湾ではつぶしたハスの実を餅にして、
月餅や最中などのお菓子の材料に使用しています。
ハスの実の芯の部分を集め、お茶にして飲まれる場合もあります。

ハスの実を入れたお粥は、造血作用や精力の強化などに効果があるとされ、
薬膳料理としても親しまれています。

●ハスの実に含まれる成分と性質
ハスの実には、ビタミンB₁、カリウムやカルシウムなどの体をつくることに必要不可欠なミネラル、
食物繊維などが豊富に含まれています。

漢方では、ハスの実が「連実(れんじつ)」と呼ばれ、滋養強壮や婦人病、
下痢止めなどに効果があるといわれています。

1:多年草とは、茎の一部、地下茎、根などが枯れずに残り、複数年にわたって生存する草のことです。]
2:花托とは、花びら・雄しべ・雌しべ・萼(がく)などを支えるための、花の台座となる部分のことです。]
3:蓮台とは、蓮華の形につくられた仏様が座る台座のことです。]
4:マイクロメートルとは、長さの単位で、1マイクロメートルは1000分の1mmです。]
5:薬膳料理とは、健康保持のための食事として、中国の医食同源(薬食同源)の
考えから生まれた漢方薬の材料を使った中国料理のことです。]
蓮の実は秋の季語
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・睡蓮(すいれん)科。
・学名
  Nelumbo nucifera(蓮)
   Nelumbo : ハス属
   nucifera : 堅果を持った
 
 漢字の「蓮」は漢名からで、種子が連なってつくことからといわれる。

・夏の朝に
 水面まで花茎を立てて開花。
 朝早く開き午後3時頃には閉じる。
 花の開閉は3回繰り返し、4日目には花びらが散る
     
・仏教では、西方浄土の極楽は神聖な蓮の池、と信じられているため、
 寺の境内にハス池をつくって植えるようになった。
 また多くの仏典に「蓮華(れんげ)」の名で登場し、
 仏像の台座にもその形がよく使われる。

 ちなみに、古代エジプトで神聖視されたのは蓮ではなく熱帯睡蓮(スイレン)。
 (参考)
  蓮華草  睡蓮

・泥の中にある根の部分はふくらんで蓮根(レンコン)になります。
 花、葉、茎、種子なども食用になります。

・「荷葉飯(かようはん)」とは、ハスの葉で包んで蒸した加薬飯(かやくめし)のこと。
 <加薬飯(かやくめし>
  関西の表現で、五目飯などに入れる肉や野菜の具のこと。

・葉は蝋状になっているため水をはじきます。
 雨水のしずくが水玉になるため、葉っぱを持って水玉移動させる遊びがあります。

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ウィキ他より  加筆等ございます。
重複する内容であっても表現方法の違いを掲載しております。

洞庭藍 (とうていらん)

2013年10月04日 15時04分04秒 | 花の神話と伝説
別 名 ベロニカ  


花言葉 「常に微笑みを持って」「汚れない心」

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主に秋に咲くベロニカです。
名前の由来
花の色が中国の有名な湖、洞庭湖の水の色のように美しいというのでつけられました。

● 海岸に生える高さ40~60cmの多年草。
● 江戸時代には観賞用に植えられていました。

白い綿毛におおわれ、全体に白っぽく見えます。
茎の先に穂のような総状花序をだして、青紫色の小さな花を密につけます。
クワガタソウ属の中で、トウテイランのように茎の先に花を密につけた総状花序を
つくるものをルリトラノオ属として分ける見解もあります。

・胡麻の葉草(ごまのはぐさ)科。
・学名
  Veronica ornata Veronica :クワガタソウ属
  ornata : 飾った、華美な

 Veronica(ベロニカ)は、キリスト教の聖者「Veronica」に対して
 捧げられた名。
 
宿根草(耐寒性多年草)。
花期は夏~秋。 草丈は50㎝前後。
丈夫で育て易いトラノオの仲間ですが、自生地(近畿から山陰地方)では
絶滅が心配されている花です。    

白に近いシルバーリーフと澄んだ青色の花のコントラストが素敵です。
絶滅危惧種ではありますが性質は強健で育て易く、年々広がり
たくさんの花を咲かせます。   
暑さ、寒さに強く、日向からやや半日陰でも育ちます。
花穂が伸びる特徴的な草姿が美しく、イングリッシュガーデンには
欠かせない植物です。

   
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弁慶草

2013年10月03日 19時51分06秒 | 花の神話と伝説
別 名
「活草/血止草/根無草/ふくれ草/つきくさ/八幡草/葉酸漿」






花言葉   「穏やか」「静穏」「平穏無事」

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ベンケイソウ科(ベンケイソウか、Crassulaceae)とは、被子植物の科のひとつです。
およそ33属1400種を含みます。

別名と共に大変丈夫な事に由来する命名。

葉は円形肉厚、花は淡紅色、五弁。薬草としても栽培されてきました。 

名前の由来
、茎葉(けいよう)が多肉質で、切って捨てても枯れないという意味から、古くは、伊岐久佐(いきくさ)と呼ばれました。
その後に、武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)のように、枯れない強い草という意味から、弁慶の名が頭について、ベンケイソウという名になったという由来があります。

多肉質の葉をもち、乾燥に強い強健な性質から、歴史上の猛者・弁慶になぞらえた名前となりました。
また、物類称呼(ぶつるいしょうこ・1775)では、ベンケイソウの漢名、景天(けいてん)を、京では、ベンケイソウ、江戸では、イチヤクソウと呼ぶという記述があります。

ベンケイソウの花の咲いた茎を糸でつるしておくと、乾燥したあとでも、雷鳴があると必ず色が増すので、強い草という意味から、弁慶草と名がついたという記述もあります。

中国原産といわれ、日本には古くに渡来したことがわかります。

薬草として栽培していたものが野生化したといわれています。

「カランコエ」は仲間のひとつです。

現在は中国原産の「オオベンケイソウ」やヨーロッパ系の「ムラサキベンケイソウ」が一般的です。

オオベンケイソウは漢方薬にされております。

《この花の基本情報》ベンケイソウ科 多年草
原産地 日本、中国
高さ 30~70センチ
花期 9~10月
花色 ピンク、紅、白


特徴
多肉質の葉および茎を持ち、水分を貯蔵できます。
分布は世界中に広がっておりますが、特に北半球と南アフリカに多く、水の乏しい乾燥した地域に産します。
常緑の多年草で、カネノナルキ(金のなる木)のように茎が木質化し小潅木のようになるものもあれば、エケベリア属のようにロゼット状になり茎はごく短く退化するものもあります。

葉の大きさ、形、色や繊毛の有無など形態はさまざまです。

この科の植物は食用としてはグラプトペタルム属の一部が野菜とされる程度で、重要なものではないが、花卉園芸用に多くの種が流通する。それら品種の多くは特異な魅力を持ち、頑健で育てやすいことから人気が高い。カネノナルキやカランコエもこの科に属します。

多くは属、種間での交雑が容易で、野生、または人為の交雑があり、しばしば分類は容易でない。旧来の分類ではベンケイソウ科はバラ目に含まれたが、分子系統解析ではユキノシタ目に属する結果が得られます。

また、CAM型光合成(Crassulacean Acid Metabolism)という名称は、
最初にこの科の植物からこの代謝経路が発見されたことにちなみます。


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ウィキペディア他より