奈良大好き☆お勉強日記

奈良大学文学部文化財歴史学科(通信教育部)卒&奈良まほろばソムリエ検定のソムリエを取得したヒトの色々な勉強の日記です♪

ジュズツナギ展覧会

2017年01月28日 | 色々・モシクハお勉強
正月早々、新潟市の「会津八一記念館」に行ってきましたが、
今度は美濃加茂市文化の森でやっていた
モノを蒐(あつ)めるまなざし 早稲田大学會津八一記念博物館蔵のコレクションとともに
を見に行ってきました。

なんで、美濃加茂市で会津八一なのかというと。

”早稲田大学・美濃加茂市文化交流事業
2007年に、早稲田大学と美濃加茂市は文化交流協定を締結し、
毎年、共催企画を実施しています。
文化交流協定は、美濃加茂市出身で早稲田大学で教鞭を取った坪内逍遙博士、
津田左右吉博士を共通項とし、文化事業について協力し合うこと、
相互発展と地域社会の活性化、学問研究の向上などに寄与することを
目指して締結されました。”

なんですって。
そういえば、そうでしたわね。
八一センセは早稲田の教授だったことがありましたわね。

”早稲田大学には、創立以来の学術研究を物語る膨大な資料が蓄積されています。
そのうち會津八一は、東洋美術史研究や教育のため、
約4,000点に及ぶ実物を蒐集しました。それらは現在、會津コレクションとして
會津八一記念博物館に収蔵されています。また同館には、長年にわたって
研究に携わった人々による様々な分野の貴重な資料や作品が収蔵されています。
また美濃加茂市をフィールドとして地道な調査と記録の蓄積、
資料の蒐集を続けた研究者がおり、それらの成果は
美濃加茂市民ミュージアムに収蔵されています。
本展では、両館が所蔵する貴重な文化遺産(モノ)を通じて、
学術研究に邁進した「蒐集者」の姿や思い、生き様を紹介します。
そして「蒐集者」が注目した社会や文化的背景にも思いを馳せる機会とします。
(主催 早稲田大学文化推進部 美濃加茂市民ミュージアム )”

ちゅうことで、八一センセが収集した「モノ」だけではなく、
他の方の集めた「物」もあって、
八一センセが集めたものは、ごくごく少なかったですが、
その中で興味深いものが出展されていました。

雙柿舎」の扁額…の拓本。

雙柿舎(そうししゃ)は熱海にある、文豪・坪内逍遙の住宅。
その家の門に掲げられた額が、会津八一の手による書を彫ったものなのだな。

坪内センセは八一センセの恩師。
博士論文の審査をして、推挙して下さったのが坪内センセなので、まさに恩師。
そして、坪内センセの出身地は現在の美濃加茂市。
(逍遥センセが生まれた当時は美濃国加茂郡太田村)
ほれ、つながった。

そんな八一センセは熱海の逍遥センセの家に入り浸っていて(をい)、
その家に柿の木が二本あるために「雙柿舎(双柿舎)」と名付けたらしいですけど。
(お宅の内部あちこちはこちらを見られたし

これ、新潟の会津八一記念館でやっていた『会津八一と刻字』
で出ていた『雙柿舎』の額(複製ですけどね)の拓本なのだな。

あら。
こんなところで再会するとは。

その展示の近くに書かれた情報では、

八一はこの額にする文字を書いた紙(彫る前の下書き)に、
・書と空白はこのままにしろ
・バランスを崩してはならぬ
・この通りに彫れ
といった意味を含んだ文章(うろおぼえだ)を、
ゴム印にして(!)ベタベタ押していたそうな。

ああ、ああ、そうそう。
会津八一記念館でもそれ見た。
現物を見たわ。
そして、笑った。大笑い。
誰もいないのをいいことに、ガハガハ笑ってしまいました。

自分の文字バランスを崩すな&このまま彫れという強い意志。
それをわざわざゴム印にして、書をしたためた空白部分に
ベタベタと押して、ものすごい彫り師にプレッシャーを与えたという事実(笑)
それほどまでに、八一センセはこだわりが強い人だったそうです。

まあ、ゲージツカはそういうもんだよね。

会場にあった会津八一の人物紹介の所の写真が、
どーもどこかで見たことがある景色のような気がする。
この写真どこかなあと思って眺めていると、
センセの手元の茶碗には「ものをこそおもへ」と書いてある。
ぴこーん。

おほてら の まろき はしら の つきかげ を 
 つち に ふみ つつ もの を こそ おもへ
』だな。たぶん。

となるとこの写真、唐招提寺だな、きっと。
後ろに写っている建物は入母屋造りだから、講堂かな。
(唐招提寺の現地建物配置はこちらを参考に

なんか新潟→美濃加茂→奈良とつながって、
奈良行きたくなっちゃったぞ(ははは)←毎度まいどのセリフだけど。

でもって、会津→早稲田もつながっちゃったから、
早稲田大学にも行きたくなっちゃったわさ。

こうなったら、いつか早稲田の會津八一記念博物館にも行ってみたいもんです。

ま、私のことだから、近々のうちに行く気がするけど★
八一センセ・数珠つなぎは、こうしてどんどんリンクされていくのであった。

(追記)
美濃加茂文化の森の展覧会は終わってしまいましたが、
2017年2月8日(水)~3月7日(火)の会期で、
早稲田大学26号館大隈記念タワー125記念室にて、
同内容で展示が行われるそうです。詳細は→こちらから。
関東方面の方は、ぜひそちらへどうぞ。(無料です)
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今日は何の日

2017年01月26日 | 色々・モシクハお勉強
本日は文化財防火デーです。
文化財は大切にね。

それとは全然関係ないけど、
本日は宣伝(のみ)です(ってなんじゃいな)

去年というか、先月マレーシアとブルネイに旅行した時の記録、
『マレブル旅行記』がようやく完結しました。
よかったら読んでください。

わたしが奈良以外の所に行くなんて珍しいし、
ましてや海外に行くなんて、この先あるかどうかわからんし。

旅行に行くまでの逡巡も読みたい方は→こちらから。

旅行記だけでええわって方はさくっとこちらから→こちらから

いずれも楽天ブログ(ココじゃないです)
>お遊び関係なので別ブログでやってます。
※ここ「おべんきょうブログ」だし(え?そーだったの?)

どぞよろしゅう。
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遊びに行きたし足は無し

2017年01月14日 | 色々・モシクハお勉強
1月14日が土曜日ということで、
「茅原のとんど@吉祥草寺」とか「鬼走り@念仏堂」とかに行こうかと、
ひそかに思っていた今週はじめ。

ダンナが「今年は奈良行かないの?」
「はあ?」
「いや、いつも今頃奈良行ってるから、今年は行かないのかなと思って」
恐るべしダンナ。
例年の私の行動パターンを把握している。

例年は奈良検定受験記念ウォークってことで、
奈良検定を受けた後、あちこちを歩いていたけど。

今年は私の周辺の人が奈良検定を受験してないので、
記念ウォークは無し。

ただ、土曜日にそれらの行事がぶつかったので、グッドタイミング!
行こうかどうしようか悩んでいたら…。
この土日は大雪の予報!(悲報)
ということで、今年の火&火行事は無しになりました(涙)

奈良は雪降ってますか?
電車止まったらやばいので行けませんでしたけど。
寒いのは何とかなるけど、電車止まるのはかなわんしなあ。

そこでこの週末はおうちにこもってパソコン三昧。
某たまっていた旅行記の写真を整理したり、書き始めたり。

そうそう、このブログの正月記事に写真を追加したりしてました。
(ガラケーに入っていた写真も取り出してupしたし>岐阜大仏

まだまだのんびり正月気分です。
まあ、明日くらいまではいいか>小正月ってことで。

雪は降る~♪
あなたは来ない>奈良へ。

わーん、行きたかったよお~(T_T)
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いかがでしたか?

2017年01月08日 | 奈良検定お勉強日記
奈良検定受験者の皆様、受験お疲れ様でした。
試験の手ごたえはいかがでしたか?

皆様の受験の感想や情報をお待ちしております。
あちらの掲示板でも結構です)
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初詣もハシゴしまくり

2017年01月07日 | 色々・モシクハお勉強
先日は博物館のハシゴをしましたが、
本日は神社仏閣のハシゴをしてきました。

まずは神社へ初詣。
ダンナの実家は毎年ココ!ってことで「伊奈波神社」へ。

ここのご祭神は「五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)」
なにやら第十一代垂仁天皇の長男で、第十二代景行天皇の兄なんですってよ。
(知らんでお参りしとったんかい!)

お祀りされたのは薨去の翌年(景行天皇14年>2000年くらい前ですよ)
へー、すごく古い。
(まあ伝承ですから、素直に信じる必要はないですが★)

もともとは稲葉山(現在の岐阜城のあるお山)の中腹にあったけど、
山のてっぺんの稲葉山城に斎藤道三(まむし!)が住むことになった際に、
神様の上に住むのはどうかってことで、この地に移されたんだとか。

ここはパワースポットとして人気なんだそうな。
(伊奈波神社自らがそういう看板出してたし)
神社で、パワースポットねえ。
「気」を感じるとかじゃなくて、パワーねえ(うだうだ)

ま、そんなことはいいとして。
本日は神門が開いていて、拝殿にてお参りすることができました。
(あいてないこともあるのでご注意を)

神社でパンパンした後は、同じ敷地にある「善光寺」へ。
最初来た時、「岐阜で善光寺?!」と思ったものの、由緒は正しい(?)らしい。

武田信玄がアノ善光寺からホトケサマを持出して(!)
甲府に新・善光寺を建ててお祀りしていたんだと(!!)
そして信玄が亡くなると、今度は信長によって岐阜に迎えられた(!!!)

で。
信長は本能寺の変であの通り(?)亡くなったらしいので、
信長の次男である織田信雄(←のぶかつ、だよ、奈良検定でお馴染みの)が
尾張の甚目寺に移した(?!)かと思ったら、
秀吉によっては京都の方広寺に移され(?!!)、
次の家康に浜松の鴨江寺に移されて(?!!!)、
あちこち連れまわされたあげく、
元の善光寺にようやく戻ることができたそうです。
(え~その間、信濃の善光寺ってどうしていたの?ご本尊も無くに)

岐阜にはこんな感じで、善光寺さまがお祀りされていた過去があるので、
信長の孫の秀信が稲葉善光寺堂を建立して、
善光寺さんの御分身をお祀りすることになりましたとさ。
めでたしめでたし。
(ってそうなのか?)

ということで、長野の善光寺さんをお参りするのと、
同じご加護があるのではないかと。
わたし、二回ほど長野の善光寺に行っているけど、
そんな因縁(?)あるとは知らんかったなあ。
(ダメじゃん)

伊奈波神社と善光寺詣ではセットなので、これでワンペア。

ささ、ではでは前から行きたかった、
あそこも行きましょってことで、「正法寺」へ。
ここは日本三大仏のひとつ、岐阜大仏があるんですって。


正法寺正面(寺じゃなくて城みたい)

奈良の大仏を見慣れているものとしては、
大きな仏さんってのは別に驚かないのだけど、
ここの仏さんはちょっと変わっている。

日本三大大仏とは、
奈良の大仏、鎌倉の大仏、そして岐阜大仏なんだそうです。

大きさでいえば、
14.98m(奈良)>13.63m(岐阜)>11.35m(鎌倉)
というデータなんですってよ。
ほほー、確かに大きさでいえば、そうかもしれない。

鎌倉の大仏ってあんまり実物を見た体験が少ないから、
記憶を頼りには比較できないけど。
奈良の大仏よりは小さいけど、結構デカい。

「かごの大仏」という名でも呼ばれるそうで。
何故そう呼ばれるかというと…。

大イチョウを真柱として、骨格は木材をもって組み、
その外側は竹で編んで(←これがカゴってことですかね)、
その上に粘土をぬり、さらにその上に経典を張って、
漆をぬり、金箔を貼って完成。
つまりは乾漆造なのだな。
この大きさで乾漆造?!
日本最大級の乾漆像だそうですわ。


こんな風になってますって断面図(大仏様を切るとは…)

横から見ると、ちょっと前のめりの、というか



見上げている人に向かって、
腰をかがめて顔を近づけて下さっているようなお姿に、


よ!って感じの大仏さま

なんだか温かみを感じまして。
顔もにっこりとしているように見えます。



思わず手を振りたくなるような気分(実際手を振ってみたけど)

さて、大仏様にも会えたし、
帰る?となったとき。

そうだ、あそこ行こう!「薬師寺」と思い立ち、立ち寄ることに。

薬師寺といえば、奈良の薬師寺が有名ですが、
あの薬師寺の別院が岐阜にあるのです。
「薬師寺・岐阜別院」
”本家”はちょっと遠いので、それではと、ここにも詣でることに。


各務ヶ原・薬師寺

以前訪問した時は段の下で、ナムナムしただけでしたが、
本日は正月詣でということで、堂の上へあげてもらおうかなっと。
靴を脱いで、階段を上がって、引き戸を開けると…あら、
正面には吉祥天女様がおわしますではないですか!

”本家”でも、東京別院でも、年越し写経をした際に、
お目にかかっていますが、岐阜の地にもお出まし下さるのだとは知らず、
思いがけず吉祥天女さまに会えて感動しました。

正月三が日は国宝の吉祥天画像が薬師三尊さまの前にお祀りされていますが、
これが三日間だけなのでなかなか会えない。
(15日までは平成の写しがお祀りされていますが)

写しとはいえ、本家の写しですからね~。
他に誰もいず、ちょっと寂しい感じですが、
それでも吉祥天さま独り占め~(あ、ダンナもいたけど)

ということで、神社ひとつに、寺みっつ。
はー、本日も満腹満腹でございました。
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