旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

136 話

2010-02-26 17:31:42 | 日記
 モトモト勉強で、福祉施設をこれだけ見て来て、一番の印象があったのはオンダン パンションホーリヘ-ベンでした。毎朝会うたびに熱い抱擁をして、いつもニコヤカなディッテが忘れられません。その彼女に会いに行ったのですが、もう施設も無くなっていて彼女が亡くなった事を知りました。

 この訪問は、かなり古い昔の様ですが、私に取っては昨日の事の様です。今までは死と言うものは人事と思っていました。私も考え無くてはいけない歳なって来たのです。
 誰でも亡くなるのです。自分は今で若いつもりです。しかし、自分の知っている10歳位上の有名な人の死亡伝わってきます。これを書いて来て思い出す事が多くて驚いています。
-ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
*オンダン パンション ホ-リヘ-ベン(Young People's Boarding Home)

  この施設は、青少年福祉事業団当局のもとに保護・監督されうべき人達に、特別な援助を必要とする若者の為に作られたものでした。一般社会人として自立するように、義務教育を受けている事が、ここの居住者の基本となっていました。

 即ち、16歳以上、21歳以下(実際は18歳)が対象者で居住者が、児童、青少年事業団の要求を満たしていなくてはなりません。

 もっとも重要な事は、家庭に住む事が出来ない、又、住むべきでない青少年に短期、長期の職業補導や紹介をする為に安定した下地を与え補える事を目的としています。そして、少なくとも、その訓練の間、援助を与える事を目的としています。それゆえに、見習いや他の訓練を受ける事も認めています。

 しばしば、家庭不和や一定の職業を持ちえない者が、余った時間を無意味、不適当に過ごしている人達にも、この施設では門を開いているのでした。
 この他に、両親の離婚により孤独をなった子供、同居困難(近親相姦等)、定職を持たない、不適当な職業を有する者等、これらの青少年の行動を適正なものにするべき活動も主な活動です。
 施設は普通の環境に囲まれた一般家庭のようである事が特色であり、それが一層発展した物を作りあげているのです。

 これらのことがこの施設で福祉の基準に丸みをつけ、他の施設にも影響を与えることになるでしょう。
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135 話

2010-02-23 20:48:07 | 日記
 
 御免なさい、今までのペースで書くのは無理になりました。このブログのデータになっているメモも日記も探しましたけど、どうしても見つかりませんので、今までの様に書く訳に行かなくなったのです。どうも、整理が悪いようです、10日に一回位に、たまに来てもらうと有難いです。

 この後は、日付は関係なく思ったまま思い出して書こうとおもいます。皆さんも何か自分の旅行の事をコメントしていただいたら嬉しいです。沢山の人が読んで頂いて有難う御座います。

 この後、この施設に後1ヶ月程居て、この後、ロンドンへ行き、キングスクロスに住んで、それからウェストハムスッテドに移り済みました。

 夏にケンブリッジでオペア(家事をしながら英語の勉強)をして、ウエストハムスッテド、その間にスコットランドへヒッチハイクをしたりオックスホ-ドの行ったり、ヨーロッパの各地を回ったりしました。そしてロンドンで、これが目的のローワーケンブリッジを取得しました。

 その後、ロンドンからニューヨーク迄、飛んで、バスでワシントンへ、そしてニュウオーリンズへ、そこの親戚回りをして南部の各州を回り、バスで遠路サンフランシスコとロサンゼルス迄行きました。

 アメリカでは、恐れを知らないと言うか、今ではできませんがバス停で一晩明かした事もありました。

 それから、ワイキキ迄飛んで、そこで又知人の弟さんの世話になって日本に帰って来ました。考えてみると、終わってみれば、これからの方が長くいて1年と数カ月いたのですが、世界1周をしたのですが、今ではできない凄い旅をしたと思います。それを思い出しながら、書いて行きますが殆ど忘れている事が多くて、前後すると思いますが、このブログを書くつもりです。

 自分がこんな事をやっていたとは、こんなに多くの人達とあっていたのは驚き一杯です。自分で覚えているつもりでも、何もかも忘れている事が多いことをしりました。日記、ちょっとしたメモがいかに大事か分かりました。そこから、古い昔も思い出すものです。皆さんも日々の事を日記だと大変ですので、是非メモ程度の事を書いて下さい。
 
 自分が生きて来た証として、将来その時どう生きたかきっと役に立つ事と思います。この年になって分かります。

 そんな訳でこのブログを続けて行くつもりですので申し訳ありませんが、たまで構いませんので覗いて頂ければと思います。
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132 子供達 

2010-02-19 20:12:22 | 日記
12月3日 快晴 金曜日

 昨夜は、遅くまで飲んだけれど、直ぐに眠れると思ったが、余り良く眠れなかったのでした。起きられずにいると、隣の部屋で子供達が遊ぶ音を、ノックと勘違いして戸を開けたのでした。勿論、誰もいませんでした。

 今日こそ手紙が来ると期待したのですが、今日も来なかったのでした。家から手紙が来ないのは、淋しい事でした。こんな田舎にいると、私に取っては 手紙が唯一の外とのかかわりであると思っていたのでした。

 昼からは、子供達を連れて外に出かけました。良く見ると、少し戸惑う程急に子供が増えていました。それもそのはず、週末だけ預かる子供達もいる事が分かりました。

 もう少し慣れるまで時間がかかると思ってけれど、子供達は直ぐになつきしきりりの私に寄って来たのでした。それだけに、遊んでやらなくてはと思って一生懸命遊んだのです。

 特に、6歳のヤーナがなついてくれたのは、嬉しかったのでした。初め年よりもズート上に見えて生意気そうな子だと思っていたが、なついてくれるとホットして特に嬉しかったのです。やはり、言葉が十分できない分、若さと力で遊ぶ事になって大変疲れたのでした。

 帰ってから、TV室に大きな子供を見て回ったが、そこでもみんなに抱きつかれて大変でした。

 この子達は、外国から来ている私の事をどう思っているのか聞きたいと思っても、私のデンマーク語の実力から、そんな質問ができたとしても彼らの返答が分かるはずが無かったのでした。

 夜は、スタッフの一人のマイの部屋で過ごす事になったのでした。今日は誰も来ていないので、2人きりで長く話したのですが、彼女のタバコ臭い息で、意気消沈。彼女は21歳で、キッチンで働いているが、昼間はどうも元気に見えないのが、彼女の常であったのでした。時間は十分ある。

 明日、お城を見に行く約束をしたのでした。(お城を見てどうする。どうも、じれったくてしょうがないと思うのですが、皆さん許して下さい。しかし、タバコの臭いは忘れません。)
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131 ホームシック 

2010-02-18 21:54:29 | 日記
12月2日 曇り

 久々の休みですが、どうも疲れているのか夜眠れないし、朝早く目が覚めた。もう一度寝ようと努力しているとノックで、ドアを開けると、リトルボアを抱いてロッテが立っていた。

 京都の兄から来た手紙を持って来てくれたのでした。日本では相変わらず、毎日デモ、デモで騒がしい様でしたが、遠く離れた異国の事を言っている様で、全然現実感が湧きません。
 
 昼食後、日本への手紙を持って郵便局に行ったけれど、霧雨と言うか、良く考えなければ分からない程の雨が降って寒く感じたのでした。 帰って来て、直ぐに風呂に入ったが凄く疲れを感じたのでした。久々に拳立て(腕立て伏せ)をやったせいもあるのかも知れませんが、この施設での激務に疲れ果てたのでした。

 夕食前に、子供達を見ると、知らない子が多くて驚いたのでした。夕食はいつもと変わらなかったのです。こちらに来て、好き嫌いが無くなったと思います。京都にいる頃は、自分の嫌いな物は一切食べなかったのに、こちらに来て、取りあえず何でも食べて好き嫌い等言ってられなかったでした。
 
 食後は、こちらに来て初めて孤独感を味わったのでした。今まで、毎日多くの若者と遊んでいたが、ここに来て以来、どうもここの人々と付き合い難くて参っていたのでした。自分から進んでここの連中に取り込む勇気にも欠けていると言う事で、全くもって参ってし
まったのでした。 
 
 そんな中、他の部屋から楽しい話声が聞こえて来たのでした。暫くして、ウラが誘ってくれて、マイとロッテも一緒に酒場へ行く事になったのでした。飲み代はマイが奢ってくれました。

 もう、帰ろうとしたら、レスベットとソニアがやって来たので、結局、1時まで飲んだのでした。 誘われる前に、自分からもっと早く誘い出して行ったら、こんなにも多くの仲間がいるのに今まで気づいていなかったのでした。
 奢ってくれたマイには感謝しなくてはいけません。又、誘ってくれたウラにも、みんなに感謝しなくてはいけないと思ったのでした。

 帰る時には、酔って道路で、みんなで踊って帰ったのでした。
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130 トイレから‘おはようー’ 

2010-02-16 21:31:31 | 日記
11月30日 曇り

 朝暗い内から起きなければならなかったので、本当に辛かったのでした。今日は子供達の朝食の世話から始まりました。しかし、一部屋分、2人を面倒見るだけで良かったので、仕事に少し慣れた私としては楽なものでした。

 一週間泣き続けたアニと、それに面倒ばかり掛けるトーマスもいなかった。新入りが一人いてこの子がやたら重い位であったが、オムツ交換はしないで済み、久々に楽しく仕事が出来たのでした。

 年中者の所へ行く時に、子供たちのトイレがありますが、ちょうどアメリカの西部劇のバーの様な内側にも外側にも開く扉で仕切られているのですが、子供用の便器が8つ(4つずつ向き合ってオープンになっているのですが、分かりますかね?)ありました。
 
 そこを通る度、一番端の子が2人してドアを押さえて8つの便器に座った男の子も女の子も子供達8人全員が、便器に座ったまま私の名を口ぐちに呼んでくれて、グモ-ン(お早う)と行ってくれるのでした。可愛くて、今でもその光景が思い出されます。

 こんなに男も女も子供の時からオープンになっているのは、デンマークの良さのあらわれだと思いました、オムツを取る練習をしていたのでしょう。全ての疲れがいやされる一瞬でした。

 午前中は、折り紙を集中して折った、これも他の仕事から逃れる為と言うもので褒められたものではありません。

 お昼は、みんな30分以上もかかって食べていたが、今日はうるさ型のFruハンセンがいなかった為と思われました。いつもこれが本当の姿なのですが、私は子供達と同じように、どうも早く食べ過ぎる傾向にありました。

 今日はリンデゴー氏が加わり賑やかになったのでした。私も今日は4時まで働くように言われて、やっと仕事ができると認識してもらって嬉しかったのです。彼が私の仕事に対して評価をしてくれたと確信したのでした。

 今日は、給料日でみんなは、子供の前も構わずに受け取ったのを見せたのでした。オウラ等ほぼ全てのスタッフが無頓着には驚かされたのでした。私は当然ですが、無給と言う事が分かりガッカリしたのでした。

 午後は、6人も子供を見ると言う事、夜には停電の為にさらにヘンリックを見るなど総じて付いていない日でした。
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128 デンマーク語

2010-02-15 21:58:17 | 日記
11月29日 曇り

 午前中は、仕事が無かったので、比較的にのんびりできました。日本へ手紙を書いて過ごしました。1通は友達の為の誕生日カードで郵便局に持って行った所、1クローネ30で済んだのでした。

 帰ってから、昼の来るのをまって、さあ仕事の開始でした。仕事はそうしんどくは無かったですが、2日間の休みで身体は重くだるかったのです。みんなの声や泣き声にイライラしっぱなしで、非常に時間の過ぎるのが遅く感じたのでした。
 
 食後に、オウラと子供達とで小鳥を買おうと町にでました。町は思ったよりかなり大きく子供達は大喜びでした。何でも買えそうな町でした。

 施設に帰りましたが、仕事終了迄、子供達の泣き声はやむ事は無くて頭が痛くなった程でした。どうも言葉が通じないので、イラついてお尻を叩くと言う最終手段に頼らなければならないのでどうにかしなくてはならないと思っていました。しかし、良く泣く子供達で、疲れ果てました。

 そんな中、リーサが新しい環境慣れずにかなり落ち込んでいたのでした。今までの所では年長者であったのが、4歳以上の子がいる新しい環境で一番年が小さくなったのが、答えたのでしょうがそれを上手く伝えられないもどかしさだけで、何もしてやれなかったのでした。今まで何を勉強したのか、この時程、デンマーク語を話したい話せたらと思った事はありませんでした。

 もっと言葉を習わなくてはいけません。そんな気持ちになりました。誰もリーサの事を分かってくれませんでした。みんなが目の前の自分の仕事で精一杯で、この事に気づく人はいませんでした。

 思うは易しでした、夜にエアンのお尻を叩いて泣かしてしまったのです。どうもベタベタされるのが嫌で直ぐに頭に来るのでした。相手が子供である事を忘れてかっとなってお尻を叩いたのでした。全く子供染みた自分に情けなくなるのでした。

 男としては、リスベットの気持ちが、良く分からないのでした。良く微笑み掛けるから気があるのかなと思い折り紙の花を持って行くつもりであったが、彼女はいないと、どうも間の抜けた事をしていたのでした。

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127 デニシュ 

2010-02-13 22:11:39 | 日記
11月28日 曇り

 12時近く迄、ベッドにいて、久々に良く眠れたと思ったのでした。しかし、鏡を見て自分の顔がヒドイくブザマなので愕然としたのでした。(今なら、朝の4時に起きているのに、凄かったです)

  ここで、驚いた事ですが、朝食に食べるパンですが、以前に黒パンのお話をしましたが、今回は白いパンです。フランスパンに似ていると思ってもらっていいと思うのですが、パンにカビが生えていると言っても青カビです。花が咲きかけのカビですが、みんなはカビが生えているパンと生えていないパンがあっても、美味しそうにカビの生えたパンを取って食べるのです。

 勿論、私はカビの生えていないパンを食べましたが、余りにカビのパンが人気があってみんな食べるので、私も意を決して食べてみました。やはりカビでした、お餅に生えたカビと同じでした。

 これは、どうしてでも食べられなかったです。それ程、ひどいものをここの人たちは好んで食べたのです。このパンが、ここだけで食べられているのか今となっては確かめ様がありません。今、デニィシュパンがどこでも買えますが、私はそのパンを現地で知りません。それよりも懐かしい黒(茶)パンが何処かにあったら、知らせて下さい。日本ではまず合わないし食べないと思いますが、美味しいです。今日思い出したので、書き入れました。

 昼食前、後に、リスベッドのいる部屋で折り紙を折って、日曜日にも関わらず忙しい一日でした。仕事をしているのと、全く同じ様に子供達と遊んだのでした。リンデゴーさんから、12月15日から、大きな子供達の方へ行き折り紙を教えてくれるように
頼まれたのでした。
 気分が変わり、この変更には私に取って大変有難く思ったのでした。それは、オムツ替えを心配する必要が無くなったのであった、実際助かったのでした。

 毎度の事ですが、取りとめの無い話になりました事をお詫びします。

  

 

 
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126 ユースでみんなと 

2010-02-12 19:36:54 | 日記
11月27日 曇り

 昨日は夜遅くまで話込んで、そのまま眠る事が出来ずに又、比較的に早く起きたのでした。

 居候2人が残って、他の連中は仕事に行ってしまったのでした。一人はドイツへもう直ぐ出発であると言う事や、その他 昨夜よりもっと自分の事を話したのでした。
 もう一人のゴンベイ(誰かどんな人間か忘れてしまったのですが、その時のゴンベイと名乗っていたようです)が、自分たちと女の娘の事を話したが、私と違い上手くやっている様でした。

 みんな、女の娘と上手くやっている様で、どうもこの点で恥かしながら、自分自身上手く行って無いと思ったのでした。

 私はこの人たちの事は全然覚えていません、この連中が、どんな関係でここにいたか、今となっては分かりませんが、少しの関わりでもあったら、こうやって泊まって行ったのでしょう。いい時代だったと今思います。

 私は習った折り紙を再度勉強して、5つの違った折り方をマスターしたのでしたが、それの方に熱心でした、全く可愛いものでした。
 仕事に行った連中は1時過ぎに帰って来たが、少しだけ話して、私はエリザ(ミセス クヌードサン)の所へ行か無ければならないの為に、1時30分にそこを離れたのでした。
  
 約30分程でエリザの所へ着きました。土曜日なので、クヌードサン氏以外は、家族みんながいたのでした。早速、今どんな事をしているか等、色々話したのですが、彼女が何でも良く知っているので、かえって驚かされる事が多かったのです。

 クヌードサン氏が帰ってきて、同じ事を言わなくてはならないのです。彼は初めて会ってからどうも話が合わない事が多くなっているが、ここはどうしても合していかなくてはならないといけないと思ったのでした。
 サンとマーチンら息子たちが、興味があるからと拳法の手を教えたりしたのでした。この旅行に行く前に護身術として少林寺拳法を習っていたので、色々教えたのでした。
 夕食後に、ミスターの運転で近くのリンビー迄送ってもらったのでした。そこから乗り継いで帰ったのでした。

 ロナリュウに着くと、日本から手紙が、届いていたので、久々なので大変嬉しかったのでした。
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125 久々のコペン 

2010-02-10 21:58:56 | 日記
11月26日 霧雨

 今日から7時間の労働が始まったのでした。午前中はいつもの様にオムツ替え、遊びの相手と本当に疲れる事をしたのでした。子供の相手は、私は言葉が出来ないので7-8人を一人ずつ机の上からジャンプした子を受けてやっのですが、みんなに大変喜がばれたのですが、それが非常にきつかったのです。1通りで終わりと思ったら、次から次へと後ろに回るのでエンドレス状態でした。喜んでくれるので止めようがありませんでした。かまってもらえない子供達の喜ぶ姿に、複雑な気持ちでした。

 金曜日だったので、オンダンパンションホーリヘィベンへ午後2時になったので直ぐに出ようと部屋で着替えたのでした。出る間際に、こちらに来て一番好きな歌バタフライ(AldrigMere)が、ロッテの部屋から聞こえて来たのでした。たまらなくなって部屋に入って聞きました。そこでロッテが未だ18歳と知りました。この様な若い娘が、ここで働いているんだと驚いきました。時間が無いので駅に行くと、次の電車迄1時間も待つ必要があったのでした。

 たまたま一緒になった、ティーナと少し話す機会を得たのでした。彼女は英語をかなり話す様に思ったのでした。コペン迄同行する事になったけれで、英語で話す会話に困ったのでした。

 コペンハーゲンに行ったついでに靴を買うつもりでイースターガードに寄ってきましたが、値切るつもりでいましたが、駄目でした。それでも、仕方無く靴を2足買ってからオンダンパンションへ挨拶に行ったのでした。

久々のペンションでベントが歓迎してくれたり、一番会いたかったディッテにいつもの様に熱い抱擁と大歓迎を受けたのでした。彼女はスープを進めてくれたのですが、思わず涙がでました。殆どの時間をキッチンで過ごしたのでした。みんな来てくれて暖かく迎えてくれまして本当にいい時間を過ごしたのでした。

 その後、ユースに行きひと夜を過ごす事になったが、そこでラーメンや味噌を御馳走になったのでした。ユースにやたら居候が増えて、総勢6人にもなっていたのでした。

 今夜はここで過ごす事になりました。

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124 慣れた仕事 

2010-02-09 19:47:39 | 日記
11月25日 雪 後 小雨 後 曇り

 大分慣れて来たので、できるだけ楽な仕事を務めてやる様にしたが、その方が返って仕事をサボっていることが分かると気を使わなくてはならない様になったのでした。結局仕事をした方が、楽であった。(慣れるとサボる悪い癖がでてます。)

 オウラが私の仕事の一日7時間の労働で時間表を作ってくれたので、かえって自分のやる事がハッキリしたので仕事がやり易くて精神的に楽でした。明日から、このスケジュールで働く事になりました。
 
 今日は先日預けたパスポートをリンデゴーさんから返してもらった、VISA延長も無事に終わったのでした。スタッフの数も多くて仕事は凄くはかどり楽であったが、それよりも終わりまでが長く感じたのでした。

 昨日少し飲み過ぎた為に、少し風邪をひいたのか、のどが痛く辛かったのでした。気をつけなくては、前回の様になると思いました。

 夜7時迄働かねばならなかったので、5時頃、4歳児以上の部屋を見に行くと、TV室にリーサとクラウスが居心地悪そうにいたのでした。彼女等は大きくなったので、別棟に移って来たのでした。少し、泣いた様な顔をしていたのでした。しかし、他の人に話しかけて、僕を無視したような態度を最後までとって、別れの時に無くかとおもったけれど、泣かなかったのです。少し、淋しい気分になったのでした。

 夜に、デンマーク語をリスベスから、ならったが、余り彼女は乗り気でなく学校に行くように言われたのでした。もう、デンマーク語を学校で習う事は考えていないので、彼女に教える気が無ければ他の手だてを考えねばならなかったのでした。

 仕事はかなりなれてきたように思えました、夜は久々にTVを見て過ごしたのでした。
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123 雪の街

2010-02-08 21:54:24 | 日記
11月24日 晴れ

 今までにない、夜の寝付きが悪く、それに夜に2-3度起きて良く眠れないのでした。どうも、忙しい疲れる、新しい環境に慣れて無いようである。今まで、ゆっくりする生活に慣れていた様です。
 朝起きるのが辛かったのですが、部屋は暖かくて冬の朝と言う感じでは無かったのした。
 
 それでも、どうにか起きて行くと、少しリスベットが早かったのか既に食事の用意をしていたのでした。

 オウラについて紙を買いに車でリーサ、パネラ、クラウスと一緒に出かけたのでした。やはり、寮での生活に変化をもたらす為に、事あるごとに外に連れて行くのだと思いました。そこで、紙は高いのは知っていたが、そもそも、京都にいる時には紙の値段など、気にしていない生活をしていたので分からなかったのですが、実際に物凄く高っかたのでビックリしたのでした。それ以外に馬にやる木くずを袋につめて帰りました。(馬を飼っていた記憶は無いですが、多分ここで、書いてあるから飼っていたのでしょう。)

 昼には、少し余裕ができたので、写真を撮りに外に出て行ったのでした。町は小さくて王家の夏の別荘といっても広いものでした。雪に覆われた家々がお伽話の様な街並みで、その通りの突き当たりに小さな肉屋がありました。その店で、今までに日本で見た事が無い、毛皮が付いたままウサギを店の中につっていました。これを多分店で皮と剥ぐのだろうが(確かめた訳ではありません)、丸っきりお伽の世界でした。

 警察に届け出を出す必要があったので、寮長のリンデゴーさん(頭の真中が薄くなった男性)がパスポートを預かってくれまして、手続きを代行してくれました。彼はとても優しくて気を良く話してくれますが、英語は一言も話せず全てデンマーク語でありました。

リスベットが、私に良く微笑み掛けるので気があるのかと思いました。今夜、ミーティングがあるので、部屋迄来て欲しいと、こちらが誘って欲しかったので喜び勇んで部屋に行ったのでした。
 部屋をノックすると直ぐに部屋に入れてくれたので、これはと思ったけれど、直ぐに用事で出て行って筋書き通り?にはナカナカいかないのでした。すべてこの調子で丸っきり駄目でした。
 
 ミーティングでは、ビールを沢山飲んだけれど、少しの期待もあったが意識してか入れ違いになってしまったのでした。
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122 やっぱりオムツ替え 

2010-02-06 21:27:32 | 日記
11月23日 曇り

 昨日苦労してオムツ替えをやったせいか、少しオムツの替えも慣れたのでした。今日の担当はリルボアだけだったので比較的に上手くいったのでした。昨日の様に、リルボアはウンチを蹴る事も無くて、汚くはなくて大助かりでした。
 それでも、やっぱりウンチをした時の替えはいやでした。

 午前中はそんな訳で時間を見つけて、この機会に、できうる限りサボる様に心がけたのでした。そうでもしなくては、ハードな仕事で、この先身体が持たないと思いました。そうは、言っても人が再々くるので、サボりを誤魔化す意味もあって得意の折り紙に精だして、今日は色々な箱を折って作ったのでした。

 すこし横になって見ていると、子供達が誰も見ていないと思い、リ-サ、ヨアンそれに少し大きな子でお医者さんゴッコをしていたのでした。流石に大きな子は、悪い事をしている意識があるのか間が悪そうに止めたのでした。 
 
 昼食後、初めてオウラと他の4人の子供と共に、ドライブに出かけたのでした。特に何が目的か分からないまま車に乗ったのですが、途中にちょっと太めのカーリンが乗りました。狭い思いをしながら、着いた家は、オウラの家族がいる家でした。

 こちらの習慣で、ファストネームを一番初めに言い握手をしあうと言うのを、その時点で未だ慣れていないので、私の名前を言うのが恥かしかったのでした。

 そこで、牧師と言う人と少し話したが、凄く英語が上手くて、余り上手なので私の英語が恥かしくなって誤魔化した所を、指摘されました。自分の英語は、まだまだとモット勉強すべきと思いました。
 これ以降は、心がけて英語はハッキリと話す様にして、疑問点や間違っているなら聞き直してもらう様にしています。

 暫らくして、雪の深い景色を見ながら帰りましたが、このデンマークでも雪の中でスリップしている車とかエンコしている車を救助したりした。何台も雪の中に入っている車も見たのでした。

 
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121 オムツ替え

2010-02-05 17:34:53 | 日記
11月22日 雪

 デンマークでも、この仕事は人の良し悪しに頼るのは仕方無いことでして、ここでも人の良さに頼るのみであるのが良く分かりました。

 リスベットの手伝いをしたのでしたが、オムツの交換を初めに教えて、彼女が楽にできるように、私に全てまかしたのでした。オムツは替えるとそのまま包んでまとめて持って行ってもらう為に、一ツ箇所にする事で、今、思うと業者が取りに来ると思います。40年近く前にこう言うのがあったのでした。今なら、もっと簡単に紙オムツで済ましのですが、当時はこれが最新でした。

 今までに、オムツは替えた事が無かった私は、兎に角、目も回るぐらいでした。リルボワのオシメ替えの時には、ウンチのついた足で蹴られたのには、怒ってはいけないと思いながら、本当に頭にきたのでした。カチンと来た時に、服の着替えをするとどうしても荒くなってしまうと言う事で、自分を抑えるのが大変でした。これを無料奉仕ではやっていけないと、又、この状況が誰にも言えないと言う事でフラストレィションが溜まって仕方なかったのでした。

 リスベットは自分の仕事を人に回せたせいで、常より少し楽だったのですが、わりと英語が話せたので、色々話したかったのですが、取りあえず忙しかったので話すどころで無かったのでした。
 少し話ができたので、私は今日が初めて仕事についたと言いました。回りは女の娘ばかりだと言いましたが、仕事が終わると、疲れてしまってそれどころでは無かったのでした。
 
 昼に、疲れた為に、3時間休みを貰ったのですが、寝たか寝て無いか分からない程でした。一日中子供の泣き声がこだまする中で過ごして、いらいらしどうしでありました。そんな中で子供達の笑い声がただ一つ救いでありました。

 その中で、ステェーンが、折り紙のペンギンを私が作ったと言ってみんなに見せたのが、嬉しがったのでした。彼は、恥かしがって余り近寄って来ませんが、気の強い所もあり、私も好きな子の一人でした。

 何しろ、本当に疲れたのでした。どうにかして助けて欲しいと思いました。
 
 
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120 厳しい施設

2010-02-04 22:30:01 | 日記
11月21日 曇り

 7時前から、何度も目が覚めて良く眠れない、全く先が思いやられるのでした。今まで、わずか2日前迄、のんびり朝遅く起きていたのが響きました。

 子供達は早起きでした。もう少し寝さして欲しいがそうも言っていられない程、みんな早くから騒々しくて、寝ている訳にはいかないのでした。赤ん坊の世話と、ますます辛い仕事でした。

 朝は7時から、夜は6時頃迄、途中に休みは入るものの殆ど働きぱなしでありました。ここに来て3日目の事とは思えないほど私も十分に戦力になっていたのでした。今日はソーニアにオムツ換え迄、やらされたので仕事が終わるともうヘトヘトでした。

 全くもって、私の事を何と思っているのかみんなに聞きたいと思ったのでした。昼間は子供を相手に遊び、と言っても会話ができないから身体で対応と言うのでこれも疲れてしまうのでした。

 しかし昼から、コニーが来たので、俄然やる気になったのでした。彼女は美しくて私の好きなタイプでしたが、週2回だけ来ると聞き残念に思ったのでした。年を聞くと、何と16歳になったばかりでした。如何に何でも16歳の娘に憧れ参ってしまうとは、こちらでは普通の事ですが、私は日本人であると変なプライドを持っていたのでした。

 それと、食事がまずいので参ってしまったのです。ディッテに作ってもらう食事と大違いであって、子供が主流であるが為に、どうしても質が落ちている感じがして仕方ありません。その子供達の笑顔が無かったら、この施設から逃げる事も考えなければならないと思ったのでした。それ程、不味い食事もいずれ慣れると自分に言い聞かせて今日の所は、済ませました。

 まだ、ここに来て、数日でした。始まったばかりで、1-2週間は辛抱しなくては何も見えて来ないと思いました。それから、疑問点をまとめれば良いと思いました。自分が望んだ道であると、ここを紹介してくれたミセス クヌードサンにもきっちり報告するまで辛抱しなくてはいけないと思いました。

 今は、一日の仕事を終えるのが精一杯で、とにかく疲れる、参ったの一言でした。
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119 子供達 

2010-02-03 17:00:00 | 日記
1月20日 晴れ

 昨日の夜に、もう春まで地面は見られない様な、新しい雪が積もりました。新しい所へ来た為か枕が合わないと言うか、夜中に何度も起きるなど、余り良く眠れなかったのでした。
 それは、前の夜と大違いです、子供相手と新しい生活の一日でかなり疲れたのでした。新しい環境に慣れるのに今回は時間がかかりそうでありました。ここでは、サボっている間が無いのでした。

 リーサにお早う‘グッモン’を言う為に彼女の所に行きました。彼女は昨日程、私の名前を呼ばなかったのでした。しかし、暫らく後には、彼女の本来の姿と思うのですが、私にジャレついて来たのでした。本領発揮でやっぱり、これは疲れるなと思いました。

 オウラはまだ来ていなかったので、聞くと昼から彼は来ると言う事でした。今日は日曜で早速スタッフ数が少ないので、いろいろ忙しい様で、既に泣いている子や他の子の面倒を見なくてはいけなかったのでした。まるっきり初めての仕事なのに、ほぼフル活動でした。

 突然の仕事、今までと違う子供相手は、非常に疲れるのであったのです。取りあえず、名前を覚えた子は、ヨアン(3歳)、昨日のリーサよりも私の名前を繰り返し呼びまくりました。この子らは、全く罪のない可愛い子でした。
 ただ、クラウスと言う子は、盗癖があると言う事でしたが、良く見ると、人にかまってもらえない為に、目立つ事をする様で、常に人の嫌がる事をする様でした。
 
 ここで、冬を越すかと思うと頑張らなくってはいけないと思ったのでした。この子供達の面倒を見る事に全力を尽くさねばなりません。
 全く可愛い、そして可哀そうな子供ばかりで、このクラウスと言う子も他の子供と同じ様に対応しなくてはと思いました。しかし、つい腹立ててしまう自分に、思うは易し、行うは難しいと、実際の所は悩み多しです。
 
 それ以外に、今日覚えた子供の名前、コニーは6歳で優しい子、ソニアは余り顔が良く無い子(そう私の日記に書いてある)、そして、スタッフであるロッテは非常に良く働いていました。

 デンマークでも、これだけ多くの子供をこれだけの若いスタッフで仕事をしなくてはいけないと言う状態に、まして、スタッフの能力にかかっていると言う事は驚き以外の何物でもありませんでした。
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