映画 ご(誤)鑑賞日記

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リヴァプール、最後の恋(2017年)

2019-04-11 | 【り】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv66603/

 

以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 1981年9月29日、ピーター・ターナー(ジェイミー・ベル)の元に、かつての恋人グロリア・グレアム(アネット・ベニング)がランカスターのホテルで倒れたという知らせが飛び込んでくる。「リヴァプールに行きたい」と懇願するグレアムに対して、ターナーは自分の実家でグレアムを療養させることにした。

 グレアムはターナーの家族やリヴァプールを懐かしむが、まったく病状を明かそうとしない。心配になったターナーは主治医に連絡を取り、病状を確かめる。グレアムの死が近いことを悟ったターナーは、不意に彼女と楽しく過ごした日々を思い出すのだった……。

=====ここまで。

 ジェイミー・ベルが出ていなきゃ見に行かなかった映画。

 

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 『リトル・ダンサー』がベスト5に入る私にとっては、ジェイミー・ベルは“滅多に会わない遠縁の子”みたいな感じなのであります。つまり、遠くから見守っていたい存在。『リトル・ダンサー』以降、実は結構色んな作品で頑張っているんだけど、どうもパッとしない感じが続いていて、遠縁のおばばにしてみれば心配の種であったのです。そこへ来て、今回はほぼ主演格での出演作ということで、ラブストーリーは得意分野ではないけど頑張っておばばは見に行きましたよ、劇場へ。

 

◆恋多き女性の実態は、、、。

 最初に書いておくと、私はグロリア・グレアムという女性があんまり好きになれない。彼女は“恋多き女性”なのではなく、ただの“男依存症女”だと思う。彼女が美しくて、有名女優だったから絵になっただけの話で、その辺の平凡な女が同じことをやっていたら、好き者と言われるのがオチだろう。彼女は、自分では恋愛しているつもりでも、男の存在がないと生きていられない人だったのだと思う。

 男を取っ替え引っ替えしているから好きになれないというのではなく、彼女の依存するのはたまたま“男”だったけれども、その対象が、同性であれ、友人であれ、我が子であれ、とにかく、誰かに依存する“他人依存症”なところがイヤなのよ。私は親に依存された身なので。

 本作でも、ピーターはグロリアに依存され、振り回される。ピーター自身はそれを“真剣な愛”だと思っているし、まあ、それはそうだったんだろう。こんな回顧録(本作の原作本)も書いているくらいなんだから(まあでも、これで一儲け、、、ってのも当然あったでしょ、そりゃ)。

 この“愛”という名の依存ほど厄介なモノはない。ピーターとグロリアの場合は、本作ではグロリアが随分長い間ピーターの家に居候したみたいな描写になっているが、実質的には6日間ほどだったらしく、6日間じゃ、そらキレイな思い出で済むはずよ。NYでの2人の楽しい生活も、1年にも満たなかったようだし、2人の関係は泥沼にならずに済んだから、このようなロマンチック・ラブストーリー(?)になっただけの話。

 しかし、実際には、他人依存症者に“愛”を振りかざして依存される者は、ハッキリ言って地獄です。本人は愛だと信じているから、依存された方は彼らを冷たくあしらえば(理不尽にも)罪悪感に苛まれる。でもね、それが依存する側の狙いなわけで、こっちはまんまと相手の思う壺にハマっているわけ。愛は愛でも自己愛、自分のことしか考えていないただの自己チューなだけなの、実態は。自分が生きやすいように、手頃な人間をコントロールしたいだけなのね。

 だから、本作でもグロリアは、ピーターにとんでもない迷惑を掛けているのに、ピーターに「病院に行け」「治療を受けろ」と言われているのに、そんなの聞く耳持たずに自分の意の向くままに行動する。ピーターは家族に「グロリアの息子に託せ」と説得されるが、「愛しているから(見捨てるようで)辛い」と言って泣く。このピーターの涙が、罪悪感そのものなんである。……ったく。

 末期癌と医者に言われた後、敢えてピーターに冷たくして関係を強制終了させておきながら、結局、ピーターに頼ってくる。こういうところがね、、、何かイヤ。ピーターと強制終了させて終わりに出来たなら、もうちょっと好きになれたかも知れないケド。少なくとも、ピーターのことを考えての行動と思えるから。

 本作のストーリー自体も平板で、こう言っちゃ悪いけど、かなり陳腐。年の差がなければ、そこら辺に転がっている三流以下の難病モノ。だったら、演出が良いかというと、まあ、それも特別どうという感じもなく、、、。映画としてもイマイチ。

 ジェイミー出演作のことを悪く言いたくないんだけど、そう感じてしまったのだから仕方がない。

 

◆ええ役者になったのぉ、ジェイミー!

 ……とこき下ろしてきたけれど、遠縁のおばばとしては、ジェイミーがとっても良い役者になっていたことに、心底感動した。これは嘘偽りのない感想。

 演出自体はパッとしないけど、ジェイミーの一つ一つの演技は素晴らしかった。表情や仕草、佇まいが、実に雄弁にピーターの心情を表わしており、相当彼は苦労してここまで来たんだろうと想像する。このまま役者として精進を続ければ、いつか必ず良い役が巡ってきて、ビリー・エリオット以上のブレイクを果たすだろう。

 ピーターとグロリアがノリノリでダンスするシーンがあるんだけど、ダンスはやっぱりジェイミーの十八番、実にキレの良いダンスを見せてくれて、おばばは感激。

 NYでグロリアに追い出されることになったとき、家族に説得されてグロリアを息子に託して別れたとき、その時々に見せるジェイミーの表情が実に素晴らしい。ええ役者になったのぉ、、、ウルウル。

 そうよ、良い作品に恵まれて実力がなくても人気者になって大物扱いされるより、こうして地味な作品でもコツコツ努力を続けて地力を蓄えた方が、長い目で見れば役者としては絶対に良いはず。彼はまだ若い。これからきっとチャンスはあるはず。おばばは期待しているよ。

 グロリアを演じたアネット・ベニングは良い歳のとり方をされている様子で、容貌は経年変化を見せているけれど不自然さは全くなく、チャーミングさは相変わらずで素敵だった。ジェイミーの相手役が彼女で良かった。大胆に脱いでいたのも立派。こういう肝の据わった役者さんは好きだわ。彼女の出演作は『アメリカン・ビューティ』しか見ていない(多分)ので、『リチャード三世』とか評判が良いから是非見たいと思っているけどDVDもちょっと手の出ない値段になっちゃっているし、、、。ジェレミー・アイアンズと共演している『華麗なる恋の舞台で』も見たいなぁ。こっちはレンタルできそうだから見てみようかな。

 イギリスの誇る名女優ジュリー・ウォルターズが、本作ではジェイミーの母親役だった。『リトル・ダンサー』から20年近く経っているのだからムリもないが、大分お歳を召されて一回り小さくなったような感じだった。出番も少なく、こんな素晴らしい俳優をもったいない使い方で、やっぱりこの監督はイマイチなのでは。あのドラマ「シャーロック」を手掛けた人らしいが、「シャーロック」は私はダメなクチだったから合わないのかな。

 あと、余談ですが。劇場に、いろんな媒体に掲載された本作の評がベタベタ貼ってあったんだけど、その中に、何の媒体かは分からないけど、芝山幹郎氏が書いていた文章を見て、私は“怒髪天”であった。だって、ピーターを演じた役者のことを「あの『リトル・ダンサー』で主役ビリー・エリオットを演じていた人」なんて書いているのだよ!! 何、演じていた“人”って!!! 彼は立派な俳優でござんす。ただの人じゃありません。それに、そんな書き方、仮にも“映画評論家”の肩書きを持つ人がするか? ジェイミー・ベルのことをそんな風に書くなんて、アンタ映画何見てんだよ、と聞きたい。……あ、ちなみに私は芝山氏のことは決して嫌いではありません。でもあの文章は許せん。きっと、私の髪の毛は逆立って天を衝いていたことでせう、、、嗚呼。

 

 

 

 

 

 

ピーターの両親があまりにも寛容でビックリ。

 

 

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