「きちがいのペピット」
ペピットは、白くて古くて大きなお城に住んでいました。
僕は小さい頃、よく遊びに行ったものです。
ペピットは僕が、我が儘を言うと、いつもニッコリ笑って首をかしげて、こう言いました。
“さあ?!”
白くて細い首を太陽の金色の光の中に傾けて、ペピットは可愛らしい顔で笑っていました。
たとえば、僕はこんな事を言った事がありました。
“ペピット。ねぇ、そのペピットの白くてフワフワした帽子、僕にちょうだいよ”
ペピットは、ほっそりとした体を少し傾けて大きな目を、くりっとさせて、
“さあ?!”
とニッコリして、その帽子を僕の頭にかぶせてくれました。
背の高いペピットは、しゃがみこんで、僕の帽子をかぶった顔を、幸福そうに首をかしげてニッコリとしたまんま、僕が逃げ出してしまうまで、ずっと同じ姿勢で見つめていましたっけ。
僕はペピットを、お城の外で見た事は一度もありませんでした。小さい頃は、それがとても不思議でした。
僕はペピットの事を、お城に住んでいる、とても綺麗で優しい妖精のように感じていました。
ああ、どう言ったらいいんだろう。
とにかく僕にとって、あの頃、ペピットは神様みたいな存在だったのでした。
ペピットは僕のどんなくだらないグチでも自慢話でも何でもかんでも、一生懸命楽しそうに聞いてくれました。
ペピットは僕のどんな醜い部分も許してくれて、いつも変わらずに優しく僕を迎えてくれました。
ペピットの事を考えると、僕は道に唾を吐いたり、乞食の前を何もせずして通り過ぎる事さえも、とても平気には出来ませんでした。
そうです。ペピットの事を考えると、いつも僕は、とても優しくなれたのでした。
あれは僕が8才の頃でした。だからペピットは28才だったのです。
その頃、学校が終わると僕は毎日必ずペピットのお城へ遊びに行っていました。
僕は、その頃、言ってみればペピットを精神ベクトルのよりどころとしていたのでした。
ペピットだけが真実に思えました。
僕はペピットのためなら死んでもよいと思っていました。
さて、その日も僕は終業のベルが鳴り始めると、もういそいそしはじめていました。
教室を飛び出し、一目散にペピットの、お城に向かって走って行きました。その日もいっぱい話したい事があったのでした。
僕は息を切らせてペピットのお城の門の前にたどり着くと、何だかいつもと様子が違っていました。
門から見えるお庭の中で何だか真っ赤に染まったペピットが、お花畑にしゃがみ込んで泣いていました。
よく見ると、お城をぐるっと取り囲んだ大きな壁いっぱいに赤いスプレーか何かで落書きがしてありました。
汚い文字が無数に、綺麗だった壁に刻み込まれていました。真っ赤な文字で塗りたくられていました。ペピットも真っ赤なスプレーを体に噴きつけられたようでした。
たくさん並んだ赤い文字と泣き続けるペピットに、僕は衝撃を受けました。
-この檻の中には、きちがいペピットがいるぞ!-
天使のようなペピットのことを、この世界の人達は「きちがい」と呼んでいじめているんだと、その時、初めて知りました。
僕は、その時、決意しました。
僕とペピット以外は!みんな殺してやる!
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しかし、その後、大人になっていくにつれ僕はすっかりペピットの事も忘れ、あの落書きをした奴らと同じような感覚を、みにつけてしまいました。
何故、僕が今になってペピットの事を思いだしたのかは分かりません。たぶん僕は今、生きていて辛いからでしょう。
誰も、僕に優しくしてくれないし、自慢話も聞いてくれない。自分の醜い部分を話す相手なんか世界中に誰もいやしません。
とうとう、どうしてもペピットの事が気になってしかたがなくなったのです。
僕は、ペピットに会いたくて会いたくて仕方がなくなりました。また色んな話を聞いて欲しいんです。優しくして欲しいんです。
僕は、あの頃と同じ場所、あの白いお城を目指してペピットに会いに行く事を決意しました。
しかし昔の白いお城は、どこにもありませんでした。あるのは小綺麗なアパートばかりでした。
しかし、その一角に風雨にさらされて崩れかけた小さな小屋が、、今にも消えてゆきそうに存在していました。
そして、小さなたくさんの板を張り付けた、その小屋じゅうに、また例の落書きがしてあったのです。
-きちがいバアア、きちがいのペピットばばあ、ゴミクズばばあ-
僕は、“わっ”と泣き始めてしまいました。いたのです。いたのです。
小屋の中に、年老いて皮膚病だらけになって、じっと座っているペピットを僕は見つけたんです。
突っ立ったまま大声で泣いている僕に向かって、年老いたペピットはニッコリと笑って首をかしげて、言いました。
“さあ?!”
終
This novel was written by kipple
(これは小説なり。フィクションなり。妄想なり。)