今日のころころこころ

2017・12・7 かながわの建築物100選 鎌倉市・聖母訪問会モンタナ修道院聖堂 神のことばを受けたマリアは急ぎ旅立ちエリサベトを訪問された

江ノ電・腰越駅。

かながわの建築物100選・聖母訪問会モンタナ修道院聖堂へとスマホのナビで歩き出す。
川に沿うように神戸川上流方面へと行く。



神社さまやお寺さまがあったり、鎌倉彫の工房があったり。







お!あそこだな。







聖堂へ。



かながわの建築物100選・聖母訪問会モンタナ修道院聖堂。
所在地・鎌倉市津550
竣工年・昭和40年
構造・RC
規模・1F
設計者・今井研究室
施工者・清水建設



扉を開けた瞬間に妙なる調べが流れてきた!
思わず息をのむ。

CDとかではなくシスターと信者さんが讃美歌を歌っていたんだ。
なんて美しい聖堂なんだろう!(^^)!



ご奉仕を終えたシスターが色々とお話してくださった。ありがとうございますm(_ _)m
青い光はマリアさま。黄色い光はエリザベトさま。そしてイエスキリストさま。

設計は今井兼次。
長崎に行かれたことはありますか?と問われ、いいえとお答えしたら、今井兼次氏の素晴らしい教会があるんですよ!ぜひとも!と教えていただいた。
聖フィリッポ西坂教会に日本二十六聖人記念館。
画像検索してみたら、ガウディに私淑していたというだけあってガウディだ!
でも、この聖堂はシンプル。
十一時半くらいが綺麗ですよとおっしゃる。曇りの日も綺麗ですよとおっしゃる。
どうやら天然の光を取り入れ、その光が時間によって様々に織り成す光の聖堂のようだ(^^♪



ところで聖母訪問会とは?
フランス人アルベルト・ブルトン師が創立されたようだ。
アルベルト・ブルトン師とは?
よくわからない(^^;
たぶん布教活動のために日本へ派遣された神父さまなのだろうか?
1912年、病気療養のために母国に帰国していたブルトン師は不治の病と診断され日本への帰途にロサンゼルスに立ち寄り日本人移民への布教活動を開始。
1915年、ブルトン師の活動を助けるために4人の日本人女性が渡米。ブルトン師のもとで修道的グループを結成。
1921年、四人は帰国。その後国内外で奉仕活動。
それが聖母訪問会の始まりのようだ。
で、アルベルト・ブルトン師はどーなったんだろ?

わからないけど、こうして素晴らしい聖堂がここにある。



今度は晴天の十一時半ごろにうかがいますとシスターに申し上げて教会を出た。
聖母訪問会モンタナ修道院は、腰越駅から歩いても鎌倉高校前駅から歩いても同じくらいの時間。
鎌倉高校前駅へと向かう。
神奈川県立鎌倉高等学校。

ここから鎌倉高校前駅への坂を下った踏切は人気の撮影スポット。



鎌倉高校前駅。





私はここでぼけーとしてるのが至福なんだなぁ(^^♪

コメント一覧

うさぎ
ピースオレンジさまありがとうございますm(_ _)m
鉄川与助。
初めて知りましたm(__)m
とりあえずウィキをみただけですが、死没は横浜市となってました。
親族のどなたかが横浜市在住だったのかな?

築地本願寺さまは幕府から事実上江戸から追い出されたということだと思いますが、門徒衆が20年かけて海を埋め立てて再建したといいます。
どうしてもそういう気持ちになれない私は、時々そういう情熱が羨ましくなることがあります。

長崎に行かねば近代建築はわかりませんね!
一度行ってみたいなぁ。
ピースオレンジ
教会建築
http://blog.goo.ne.jp/peaceorange

教会建築は祈りの場から始まった。
それは聖域であり、信徒の拠り所でもあった。

貧困にもかかわらず教会建築の資金を捻出し、奉仕し食うや食わずの暮らしの中で祈りを捧げた。
五島崩れのように
牢屋の窄の虐待と屈辱と弾圧を受けても
信じた神を祈り続けた。
だからこそ、その建築にオーラを感じた。
かつての鉄川与助のように・・・

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