桔梗ちゃんの日記。

妖怪、忍者、神社にフジヤマ。日本がやっぱり一番好き。

東叡山大縦走

2016-01-31 11:58:54 | 旅行
先週末に、四回目の怪談闇歩きツアーに参加してまいりました。今回のタイトルは

「加門七海+中野純と歩く酷寒の東叡山大縦走ナイトハイク」

極寒の、でっせ!
これを見た瞬時に、「あ~ぁ、思いっきり言っちゃって。絶対寒くなるんだろうなァ」と、
笑おうておりました。

言霊、恐るべし。予報ではこの冬一番の寒さ。
しかも大雪&雨予報でギリギリまで中止か決行か宙ぶらりん状態。笑
決行という判断がくだり、一番心配していた雨に見舞われることがなかったのが幸いでした。

上野の東叡山と不忍池の周辺を歩くというもの。4時半に西郷さんの像前に集合し、
お穴様、お化け階段、根津神社の胞衣塚、庚申塚、
暗闇坂、京成地下門、お化け燈籠などを見ました。

湯島エリアは花街、しかも男色という言わばゲイバーの街だったんですね。
グクったらホント、寛永寺の住職が御贔屓の男色茶屋が、多かったとある。
おやまぁ。

「湯島天神:ニッポン花街・遊廓跡めぐり」
http://www.gonzoshouts.com/place/5067/

案内にあった「電竜の咆哮に耳を澄ませ、東叡山の山鳴りを体感します」は当日まで
ナンジャラホイであったのですが、いやー、山鳴りというか、地鳴りを体感いたしました。
あれ、昼間だったら絶対に気がつきません。車の振動と思っちゃう。
「聞き鉄」、でしょうか。笑 こういう楽しみ方もあったのですね。

今回の「闇おやつ」はどらやき。ほかほかでした。


お穴さま。


暗くて肉眼では見えませんが、フラッシュをたいた写真では金色のオブジェ(?)が写っていました。


今回の「怪異」っていったら、そうだなぁ、
根津の十字路で加門さんの後ろに日本髪を結った女性の首が浮いていたことかな。笑

ただ、「首」はリアルに見ると何の変哲もないただの濃い緑色のジョウロなんだけど、
加門さんにピントを合わせると私たちを覗きこむ白い首になるっていう。

脳内錯覚ってやつ?あははは。

合計4回確認して、それでも首に変換されちゃうし、その後「ここは下級武士が住んでました」と
江戸時代の話が始まったのでそうなのかな、だからなのかなァ、なんて思ったり。

あとはですねぇ、稲荷神社で座わっていたはずの加門さんがいなかった、とか。笑

正確に言うと、参加者さんがお稲荷さんに参拝中、小さい人が石に腰掛けていたんです。
小柄な方だから加門さんだって思いながら横を通ったのですが、振り向いたら誰もいなくて。

参拝風景


でもこれだって単純に本当に腰掛けていらして、素早く立って行かれたのかもしれないし。

とはいえ、あれっ??と思った時に視界にあったのは暗闇にズラーッと並ぶ沢山の鳥居でしたから、
お陰さまで真相はともかく、狐につままれた気分になれました。



根津神社の近くに「幽霊坂」と呼ばれる坂があります。
以前昼間に来たことがあり、下段から上段へと上っていったのですが、
印象はいわゆる普通の階段。というか、そこが「幽霊坂」だったことさえ気がつかなかったという。

今回は上から下へと降りることになったわけですが、暗がりで上から見下ろすと印象は一転します。
形が歪んでいるのです。段も均一ではないし。
お年寄りはちょっと困っちゃうかも。

27人でわーっと降りてきた後、ブログ用として写真を数枚撮ったのですが…

「幽霊坂」写真一枚目。普通です。


二枚目を撮ろうとiPhoneを構えたら、白くて細長い、はっきりとしたモノが捻れながら
左から右へと移動していくではないですか。
画面の縦3分の2ぐらいの大きさですから、大人の背丈ぐらいで目の前を横切っていったことになります。

当然呆気にとられてしまいまして。
「何コレ??」と言いながら、見入ってしまいました。
で、我に返り慌てて撮ったのがこれ。シャッターが切れた頃には右端へと移動してしまいましたが、
かろうじてその一部が撮れてました。



いっときますが、私の指ではないですよ。笑
ちゅか、闇で光ったらETの指ですわ。ETフォンホーム!w

で、もう一度撮ったら全体的に変な色に。


駄目押しで最後にもう一度。それは最初の写真と同じくノーマル写真になってました。

その時は「はぁ?」と首をかしげるぐらいでその場を後にしましたが、
あと少しで午前様の帰宅途中、少々嫌な気持ちになりましたので、
頂いた塩をまきました。

なんだったんでしょうねぇ。
やっぱり宇宙人かなぁw

一番上の写真は、民家の下(!!!)を通る驚愕の京成線。
 


石船神社

2016-01-17 09:06:20 | 旅行
首、を見に行ってきました。護良親王の(かもしれない)首を。

後醍醐天皇の皇子として生まれた(1308年)親王は、11歳に比叡山延暦寺に入り、
20歳で天台座主となりました。このとき、比叡山の大塔にいたことから「大塔宮」と呼ばれます。

父が発起した鎌倉幕府討幕運動に参戦、功績を残していくものの、
同じく征夷大将軍の座を求めていた足利尊氏と対立。
後醍醐天皇の命によって捕らえられ、足利方に身柄を渡され鎌倉東光寺へ護送、幽閉されます。
その九ヶ月後、尊氏に敵対した北条時行が鎌倉に迫り、「敗走する尊氏の弟直義の命を受けた淵辺伊賀守義博の
虐刃(ぎゃくじん)によって28歳の生涯を終え」ました。

その幽閉されていたときの話も怖いけど、その死に様もすさまじくて。
斬りかかった刀の刃先を噛み折り、首が跳ねられた後もくわえてはなさかった、というのだから。

以前、鎌倉宮でその土牢を見ましたが、場の雰囲気が尋常ではありません。
木の根がまるで首をしめるように土牢の横でうねっていて。
蜘蛛の巣もあり、生きていたとはいえフナムシがひっかかっていたという。
フナムシっていったら海でしょ、普通。
鎌倉だから海のそばとはいえ、それでも結構距離がありますし。歪んだ空間で奇妙でした。

土牢の環境って劣悪だと思うんですよ。まず簡単に想像がつくのがヤブ蚊やブヨ。
生き地獄だったんだろうなぁ。

余談ですが、当然鎌倉宮は、この土牢に向かって拝殿があるのですが、
そこで七五三のお祝いをしている親子をみかけました。脳天気にピースとかしてましたけど
…いいのか!?

あ、そうそう。まだこれ鎌倉宮にあるのでしょうか?2011年7月にお参りした際、
庶民の不浄の身代わり(!)になるために突如入魂されてしまった(!)村上義光「撫で身代わり像」を見つけました。
これはちょっと…酷いなぁ。するなら供養だと思います。



話がそれました。ここが土牢で、


ここが護良親王の跳ねられた首が置かれた場所です。


さて、その首はどこへ行ったのか。
説は複数あるみたいですが、当時護良親王の子供を宿していた雛鶴姫が従者とともに首をかかえて山超えし、
いろいろあって石船神社へ納められたというのです。

やーっとここで本題に入りますが、その首を見に行ったのでした。
宮司さんに直接電話して問い合わせた後、神事に間に合うよう電車&タクシーの予定を組んだのですが、
当日、まさかの人身事故!!!

電車が止まってしまい、最悪の事態。
もう駄目かと思いましたが、なんとか石船神社へ到着しました。

当然神事はとっくのとうに始まっており、拝殿をのぞくと撤饌(てっせん)の儀の真っ最中。
すぐにマスクをした宮司さんが登場、手には鍵を持ち、金庫の扉の前へ。
件の御首級が出されました。

賽銭箱の前で見えない、見えない、とつま先立ちしていると、
「宮司さんが金庫の中に置いたら終わってしまいますよ」とお声がかかり、慌てて靴を抜いて拝殿へ。
ほんの数秒でまた金庫の中へ、守り刀と共に中へ納められました。
ちらリズムですよ、チラリズム!

!!!よく間に合ったなぁ!!!

そのまますぐに直会になってしまい、かけこみセーフの私にも、ありがたいかな、お食事とお餅を下さいました。

あまりにもマニアックすぎて一般観光者は私しかおらず(笑)、山梨テレビのインタビューをお願いされるという
ハプニングもありましたが、
タクシーを降りた後、ほんの10分そこらであっさり終了。

なんか、気分は不完全燃焼。笑

実際に行ってみて知ったのですが、石船神社は九鬼山の麓に位置しているんですね。
本殿も赤く塗られており、鬼の面がついてました。

「鬼」に「丹」色の本殿か。意味深だ。笑



そのまま又あっさりタクシーで帰るのもなんなので、神社から猿橋駅まで歩くことにしました。
当然山越えになるのですが、ガッツリ登山することはせずに林道を歩きました。

リニアモーターカー


ゲゲゲッ!と思ってたら・・・


林道はこのようにヤバかったです。


古い街道だったのか、石垣もありました。





山越え中にふと気がついたのですが、(これは全くの偶然なのですが)
前日の仕事で生きた首がゴロゴロと床をまわりながら会話する内容に
携わっていたことに気がつきました(どんな仕事だ。笑)
そして皮肉にも朝は人身事故。首、首、と
想像をたくましくしてしまい、ホラーっぽかった(汗)。

そのチラリズムの写真がこれです。上の写真は加工したものです。
苦手な人は見ないでください。
合掌。


















岩殿山ハイク

2016-01-04 11:00:14 | 旅行
明けましておめでとうございます。

3日に先の『猿橋』ブログで登山できなかった岩殿山へ行ってきました。
とった道は岩殿山から天神山、稚子落としをまわるコース。



今回初めて大月エリアの山をハイクしたのですが、富士山の綺麗なこと!!!
加えて山は落葉樹がほとんどなので視界を遮るものもなく、
トレッキング中、ずーっと山頂に雪を頂いた日本一の山を拝むことができました。

昔話『桃太郎』を体感するために猿橋駅からアプローチ。
申年の正月三が日でもありますしね!
8時25分に駅を出発、サクサクと歩いたのですぐに鬼の杖へ着きました。
いい天気!



そこで前は気がつかなかった、新たな発見が。


面白いですね、「猿山」のとなりは「山王沢」っていうんですね。
山王っていったら日枝神社や日吉大社でしょう。
そこの山王信仰の神使は猿なんですよね。

おもしろーぃ そして何か裏がありそうな感じで怪しげー

円通寺跡を抜け岩殿山へ。前回、お寺ピンポンして拝観させていただいた七社権現様がいらした
洞窟が現れた。

でっか!もっと小さい洞穴を想像していましたよ。


標高は634mという小さい山なのであっと言う間に山頂へ。
まだ10時でしたが、早々にお昼にしてしまいました。笑

山頂には武田氏の重臣、小山田氏の城跡があり、実際に行ってみて
その「難攻不落の要害城」と言われる理由に納得。
360度見渡せます!

ここだったらどこで狼煙が上がってもすぐにわかるもんな~
同様に見渡せる陣馬山や飯綱山の山頂でも思いましたが、信玄って本当に名将ですよ、うん。
大好き、武田信玄。らぶ・ゆー!笑

絶景ですわ!しかも、本丸から富士山も拝めるし。
手前にあるのは桜です。春もまた綺麗でしょうね。


鏡岩の分岐点から「稚子落とし」方面へ。
私の頭の中では、子供も歩ける楽チン林道(低山だから)を想像していたのだけど、
高を括っていた私が甘かった ! www
さすが修験道が生まれたニッポン、ここも一歩間違えれば、ハイ、サヨウナラーの絶壁多し。

短いとはいえ岩壁も登りますし!
ひとつめは自分を騙しだまし鎖で岩壁をよじ登りましたが、ふたつめの横に付けられた鎖が目に入ったときは
あっさり迂回コースを選択しました。



私は高所恐怖症なんですってば!!! 笑
でも迂回林道といったって、こちらも難しくないとはいえ決して楽ではない
ロープを握ったずり落ちコース。笑っちゃいました。



そのまま本当に迂回して岩の頂上をスルーしてしまうのはもったいないので、
裏から急斜面の山道をズリズリ登っていきました。
頂上はほんの猫の額ほどの狭い場所でしたが、目の前には又連なる山々が広がって。
山梨は本当に山が多くてテンション上がりますね。
すっかり気分は戦国大名。鎧とか着たくなる。笑

いよいよ稚子落としへ。そのときになってやっとその名前の意味を理解しました。
断崖絶壁。そして岩の上に米粒ほどのハイカーが立ってました。

ウゲー、歩くんだ、あそこ。
しかも追い打ちをかけるように「危険」という看板が(汗)。



ひー
一瞬尻込みしたものの、もう後には戻れません。
すぐにまた林道になったのでホッとしたのもつかの間…

この先、両側とも絶壁な気が。



ぎぇー、やっぱり!!!
右側は草がワシャワシャしてますけど、踏み外したら真っ逆さま。


手前の泥道から這いつくばるのももっと怖いので(汗)、
へっぴり腰になりながらも早足で稚子落としの上へ、その後は
両手が足元についてしまうほど前屈みになり、とっとと向こう側へ。

その姿、まるで猿ですわ。笑

この写真は岩にほとんど寝そべった状態で撮ったもの。



そうそう、女性の一人ハイカーってやっぱり心配されるのでしょうか。
おっちゃんが笑顔でとはいえ「飛び込まないでね」って。
最初は冗談だと流してましたけど、繰り返し言われたんですよね。
もしかすると万が一、って不安になったのかしらん。

軽~ぃお正月ハイキングを想像してましたが、歩きごたえたっぷり。
思っていた以上に楽しく、家路についたときはおつりがきた気分になってました。

今年も良い年にしましょうぞ!えぃ、えぃ、おー!