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紅葉の打

2009-11-30 10:10:40 | Weblog
我が家の庭の紅葉が赤く染まり始めました。この家を購入する時この紅葉と石榴の木が紅と黄に、血潮紅葉が真っ赤で色鮮やかなのが気に入ったのでした。
冬入りのわずかな期間楽しませてもらいます。この頃湯沢の「立ちきり」の知らせが届きます。
通っている道場の床がイタヤモミジだそうです。そういえば、石巻総合体育館には紅葉の大木があるので床材にもなるのかと思いました。明るい色で固さもよく、他の道場とは少し違った足触りがします。
武蔵の書に「紅葉の打と云事」があります。敵の太刀を打ち落とすことで、無念無想に打、石火の打にても敵の太刀を強く打ち、そのままあとを撥ねる心にて切っ先下がりにうてば、敵の太刀必ず落ちるもの也、と、あります。
何故紅葉なのか判りませんが、ハラリと葉が落ちるということでしょうか。
たしか、新陰流にもあったように思います。
竹刀では難しい技ですが、木刀では手が痺れて落とすそうです。
「あとを撥ねる心で切っ先下がりに打つ」というのが我々竹刀剣道でも、そのように使うことが肝要であります。

上虚下実

2009-11-27 10:18:24 | Weblog
明治になって西欧からスポーツが紹介され、我々日本人も競技するようになりました。その後ある程度適応して、体格のよい西洋人に伍して活躍します。それは当時の進取の気性のあった国民性にもあったわけですが、ことスポーツに関しては武道の歴史がそれを可能にしたと思われます。
身体の使い方を武術によって訓練、工夫がなされていたので、それをスポーツに応用し、効果をあげたのです。
司馬遼太郎は文明技術も日本では江戸時代から準備されていた、と言っています。
日本人の体格を生かす、最も効果的な方法を武術、芸能、普段の生活の中で追求工夫なされていたに違いありません。
剣道では、上虚下実と言われ上体は力を抜いて柔らかく、下半身は力を行き渡らせて動きに備える、腰を中心に身体を捌くのが古流でも肝要だとされます。
野球では、日本人は身体全体を使ってバットを振りぬくのに対して、米人は上体のパワーでもってバットをボールに叩きつける、という違いがあると言われます。
自分を知って、体格の特徴を生かして最も効果的に発揮するのは、腰を中心に上虚下実ではないかと思われます。
堀籠範士は呼吸法でそれをしなさい、と言っています。

パンドラの匣

2009-11-25 14:46:55 | Weblog
太宰治の生誕百年を記念して河北新報夕刊では「パンドラの匣」を連載しました。
これは主人公の結核療養所の出来事を綴ったもので、それで思い出したことがありました。
学生時代、友人が結核に罹り、入院したのでした。
彼とは下宿が同室で、何をするにも一緒の生活をしていたのですが、専門課程に移るために引越しをしなければならず、荷物を送り出したはいいけれど、先様の部屋にはすぐ入ることが出来ない、という事態に陥ったことがあります。4、5日、日中は山形の街をふらつくと夜は友人宅や寮を泊り歩いて、一日は駅のベンチにも寝たりして、学生でしたから無茶も面白がっていたのですが、それが祟り、彼は結核になってしまったのでした。
入院したのが、本庄市の結核療養所で、わたしともう一人が訪ねて行った、それが木造の恐ろしく古びた、おそらく戦前の建物だったのです。
緑の林に囲まれた、木枠のガラス窓から手入れもされていない草木を通して陽が射す部屋で、ガタピシ言うテーブルと椅子、そこで面会したのでした。
彼は丸々太っていて、頗る元気な様子で「オス、オス」と現れました。
きっと、「パンドラ~」の戦後すぐの時代と舞台そのものではなかったか、と思います。今はもう新しくなったか、もうないかもしれません。
夕刊には今「惜別」という小説が連載されています。仙台が舞台で、これを読むと太宰という人は青春の人だった、と再認識されます。

八段審査

2009-11-24 10:13:07 | Weblog
今日本武道館で剣道の八段審査が行われています。わたしの稽古仲間も挑んでいる最中のはずです。
この審査は日本一の難関と言われ、合格率が1~2%ですから全国の七段の猛者1000人受けて980人は望みを達せられないわけです。以前は0.5%でした。
其れ位の値打ちがあるというので、剣道人の多くがそのような強さや格を得たいものだと渇望しているのですが、ひとつは剣道界で認められたいという打算もあるでしょう。
一方段や称号には拘らず、ひたすら剣に精進している人もいたので、無段で一刀流も修め評価が高く、全剣連の会長を務めた方もいらっしゃいました。その方の弟子達も、師匠が無段というので、昇段審査を受けなかったそうです。
わたしもそのような剣に憧れるのですが、如何せん自分の実力が判らない、自信が持てないので、稽古毎の工夫だけに専念し、いずれわたしを師匠と呼んでくれる弟子が現れてくることを期待して、あまり段には拘らないようにしたいと思っています。

2009-11-16 16:00:09 | Weblog
寝て見る夢のことです。何がつまらないと言って他人の夢の話程困惑するものはないのですが、当人にとっては、どのような意味があるのか興味深々なものですから、他人に話したくなるものです。
今はあまり見なくなったのですが、一時頻繁に見ていたのが、剣道で試合に出なくてはならないのに、面や小手がなくて困った、というもので、仕方ないので素面素小手で出たこともあります(夢の話)。この話をしてみたところ、皆同じような夢を見たことがあることが判りました。
わたしがここで言いたいのは、実は剣道の試合をしているところの夢を見たことがない、と言うこと、何故夢では戦っている場面がないのか、と不思議に思うからです。面越しに相手を見つめ、思う存分叩きのめすことが、せめて夢の中ぐらいあってもよいのではないか、会心の業が決まればそこで悟りを開くこともできるかも知れない、よく昔の人は夢で天狗が現れるかして、悟り、一流を開いたと言うじゃないかと思うのです。
多分相手と竹刀を交えているときは、脳の別のところで反射的にやっているので記憶する場所が違うのかも知れません、が判りません。
幽霊やお化けを見るというのは、夢と同じ脳内の出来事だという説もあります。

まき向遺跡

2009-11-12 10:47:39 | Weblog
今日は晩秋の冷たい雨の日で、湯豆腐でもしようかと相談しています。
新聞では市川容疑者逮捕と森繁逝去の報が写真入りで大きく載っていますが、同じくらいに大きく取り上げられているのが、まき向遺跡で大型の高床式建物が発掘されたという記事です。世の中の関心は森繁並み、それ以上という判断かもしれないません。
卑弥呼の時代に、吉野ヶ里遺跡での建物跡より1.5倍大きい建物があったということで、これは邪馬台国かもしれないと、畿内説の学者は色めきたったのです。近くには箸墓古墳があります。
さて一方九州説のほうは、時代判定に疑問がある、と譲るつもりはないそうです。
我々にはますます判らなくなってきます。
考古学では発掘されたものを中心に考えるので、どうしても畿内、文献派は「魏志倭人伝」に書かれているじゃないか、そうすると九州からは出ない、記紀との関係はどうなるのか、となる。
これだけ時代測定の方法が発達し、文献研究もすすんでいるのに、いまだ旧説にとらわれてゴチャゴチャしたままなのは納得いきません。
「親魏和王」の金印などの物証が発見されないならば、天皇稜(といわれる)全ての発掘が待たれます。
はやくしないと、わたしは死んでしまいます。

美味礼讃

2009-11-10 19:14:42 | Weblog
「セビリアの理髪師」のロッシーニは37歳で作曲を止め、あとは稼いだ金で美食の生活を送ったのだそうです。好物はトリュフにフォアグラ、牡蠣だったそうで、羨ましい限りです。辻静雄について書かれた本によると、成る程料理の芸術はあるものだと思わせられますが、音楽に芸術があるように、料理にもそれはあり、美食家なるものも存在するわけです。
わたしには無縁のものではありますが、野鳥の声を野山で聴き、ああ、とため息をつくが如く、生活の中での音楽の粋は知ることができるように、「これは旨い」と言う料理は、これを生活の中で味合うことは難しいことではありません。ただ、少し心をくだいて工夫を怠ってはならないでしょうが。
食について書かれた本で、吉田健一の「私の食物誌」に勝るものはないと思っていますが、それは美食ではなく生活の一部としての食い物について書かれているからです。
ナイナイの料理の値段を当てるTV番組が面白いのは、皆が旨い旨いと食べているのがとても自然で、たまにご馳走を食べにいったときの雰囲気がよくでているからだとおもいます。
人間が一番美味しいと感じるのは、その人が小さいころまでに食べたものだと聞いたことがあります。

還暦電話

2009-11-09 16:29:07 | Weblog
この間突然の電話がありました。小学校の同級生からで、中学の同期会を還暦を機会に行う、とのことです。中学の3年間、同じクラスで過ごした仲間同士で、田舎のことですからずっと連絡も取り合い、親しい関係を続けているようで、42歳の厄年にも盛大に挙行されたのでした。
わたしは中学の1年の9月に転校していますので、いつの間にか疎遠になり、40年もたってしまいました。それでも生まれ故郷であれば、特別の感興はあり、誰某はどうしているのか、しかし皆夢の中のようで現実のこととは思えないのが本当のところです。
電話をくれた男とは剣道の大会で行ったときに、会うことができたのですが、それも随分前のことになるし、そういえば、高校生のときに何人かとは会ったのだ、と、次々に思い出すことになります。
今となってみれば、少年時代を現実として急に突きつけられてみると、自分の過去を顧みて、ギャッと、卒倒、死んだふり、真に身体に悪いような気がするのです。

秋の一日

2009-11-05 16:44:08 | Weblog
秋の一日少年剣道の皆と恒例のいも煮会です。いも煮については前に書きましたが、この施設では山形風と仙台風の二種類が食べられますし、最後はうどんをカレー鍋で締めました。皆沢山食べて、ドッチボールで身体を動かし、大いに楽しみました。わたしも盛大に呑みました。
秋の一日卸町サンフェスタが盛大に行われ、多くの人で賑わいました。卸町の卸店が協力して、家具、スポーツ洋品、瀬戸物、ステンレス製品等店も開放し、会場にも値引き商品がずらりと勢ぞろいします。中でも多くの人が集まったのが横手の焼きそば等の食べ物やサンマ等の海産物売り場です。以前より商品の種類が少なくなったようですが、とても良い企画だと思うので、続けて欲しいと思いますし、普段からこのように一般の人が集まるようになれば、なお宜しいと思います。
秋の一日剣道の全日本選手権がありました。宮城の遠藤選手が一回戦で、大学の先輩の高坂選手と当たり、敗退したのが残念でした。高坂選手は仙台東高のころから知っている選手ですが、今回3位となったのですから、立派なものです。
寺本選手、米屋選手に見るべきものがあったように思います。ただし、全般に内容に剣道らしさがなく、点取りスポーツ化したものかと、無念に思います。