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新人候補当選

2009-08-31 09:50:11 | Weblog
昨日行われた衆議院選挙で、民主党の新人候補が数多く当選しました。
長崎では、肝炎訴訟で活躍した福田さんが、自民党の元大臣を制して当選して話題となっています。小柄な二十台の女性で、訴訟原告として政府との交渉の場では、その落ち着いた無駄のないコメントで、黒メガネとともに印象的でした。
当選後のインタビュウでも、以前より明るい印象になって、しっかりとした受け答えをしています。
この人がどういう経歴を経てきたのかは知りませんが、肝炎訴訟を経て自分の考えをまとめ、的確な言葉で話す訓練がなされたのには違いありません。
人は若いうち、何処かで、何かの訓練をする機会をもつことがその人にとって、どんなに有益なこととなるか、ということです。それもやむを得ず、覚悟を決めて必死の経験の方が、本当のものが身に付くこととなるのではないでしょうか。
今風に言えばスキルアップするためには、並大抵のことでは達することはできないということです。
私は子供達に剣道を指導するとき、ひとりひとりの程度を見ながらですが、時として辛い稽古を強います。すると、いままで口で言っても出来なかったことが、思わず出来てしまうことがあります。
人前で話すことが苦手としているひとでも、そのことを避けていては苦手のままでしょうし、思い切って恥をかいてみれば、つぎは違ってくるものです。
そこで自信を持ってどんどん続けていったら、「出来る人」が出来上がるわけです。ただし、工夫と努力は続けなければなりません。

ジョウギ?ジョウゲ?

2009-08-27 18:38:14 | Weblog
定義山西方寺に行ってきました。
もう何度も行きましたが、親戚や年取った母親などには評判の良いところで、我が家では仙台観光の定番となっています。
ところで、インターネットで調べると定義は、地名から「ジョウゲ」(上下)が正しいと出ていましたが、現地に行ってみると、定義は名前で「タダヨシ」であり、後に「ジョウギ」となった、とあります。西方寺本殿の前の案内板にも「じようぎ」とかなを振ってありました。どうなっているのか、現地にある由来話による他ないと思いますが。
それにしても、晴れた一日、定義山の土産屋をひやかしながら、由緒あるお寺に参拝するのは気持ちの良いものです。

マンホール

2009-08-27 11:27:14 | Weblog
上下水道の工事が、工事が減ったうえに金額を下げられ、実に大変だという話を聞きます。公共工事が全国的に大幅に減らされたことが原因で、ことに下水道関係は困ったあげく、イランなどへ出稼ぎに行くのだそうです。我々の仕事が減ったわけです。
ただ、勿論ポンプ更新や、マンホールの付け替えはしなくてはならないことですから、その図面の作成には、是非手馴れた当事務所へどうぞ。
ポンプ場躯体図、ポンプ据付機械図、電気装柱図、盤図、単線結線図、マンホール位置、縦断図、など必要な図面はご用命ください。

武道とスポーツ

2009-08-25 18:36:17 | Weblog
新聞によると、柔道では、本来の柔道に近づけるために、<朽木倒し>を技として認めないようにすることにしたそうです。
まるでレスリングと思われるような、<諸手刈り><すくい投げ>と称される技も無くす方向で、今行われている<肩ぐるま>も我々が知っているものとは程遠いと思っていたのですが、やはり無くすのだそうです。
柔道では、スポーツとしての勝敗を競うために、本来の柔道とは違うといった批判が多くあったのですが、どんどんスポーツ化していって、このような武道に立ち返る改正は初めて聞いたような気がします。
剣道では、柔道を反面教師として(か、どうか)長年に渡ってスポーツ化することに歯止めをかけ続けてきました。それは少し行過ぎかと思われる程ですが、それでも問題が次々と出てきて対応に苦慮してきたのです。
しかし、剣道では本筋を見失うことなく、例えば「反則」は指導の意味であって、勝敗には極力反映しないように、審判は試合運営を執り行っています。
そこがスポーツとは大きく違うところで、正々堂々と技を争って、勝っても負けても試合は剣道修行の一環であるという合意が剣道人にはあるのです。
従ってスポーツであるオリンピックに参加することはしない、というのが剣道連盟の立場です。
ただ、このことを弛まなく監視、指導、行じていかなければ、あっという間に、反則を狙い、ガッツポーズをして、ハシャギまくるような酷いことになるのは目にみえています。

海老沢泰久

2009-08-19 15:16:25 | Weblog
随分前ですが、堀内恒夫物語「ただ栄光のために」を読んで感動したことがあり、その後同じ作者の本を探して何冊か手にしたものです。その海老沢泰久さんが亡くなったそうです。
堀内投手の本は、堀内の人間味あふれる天才振りが素晴らしく面白く、周りの人間の発言が簡潔に的確な引用で示され、堀内の生きた世界が浮き彫りになる、といった傑作です。他の本も、例えば辻静雄でも中島悟でも時間列に沿って、日常的な言葉で追っていく伝記の態をなしているのですが、淡々とした記述の中に、何か仕事を人生に残した、生き生きとした人間がいます。
それは、短編小説にもあって、「彼女の哲学」というのですが、読後あったかいものが心に沁みてくるものでした。
この作家が今後どういう作品を書いていくのか、同世代の人だけに、また同じような世界に興味があるものとして注目していたのに、まことに残念です。
このところ、いままで馴染んできた人達の訃報に接することが、あまりにも多くなったような気がしてなりません。

終戦記念日

2009-08-18 10:28:43 | Weblog
小学校1年のクラスの集合写真があります。勿論白黒写真ですが、以外に色あせてはいませんが、古い木造校舎、貧しい服装、あの頃はずっと下駄で通学したものです。昭和31年の風景です。
生まれた年がサンフランシスコ条約に加盟して、独立の道に踏み出した1951年ということになります。
戦後64年になりました。わずかに戦後の気配を知っている最後の世代かもしれません。
このところ、戦後の平和、民主主義に対して見直しが叫ばれ、太平洋戦争も一方的に日本が貶められることはない、と言う論調が多くなりました。一方聞きなれた戦後民主主義を唱える人は旗色が悪そうです。
戦争の実態、検証は必要です。それは綿密に粘り強いものとならなければなりません。ことに元自衛官の幹部による粗雑な思考によるものであってはなりません。
戦争ともなれば、錯誤、判断ミス、間違いの連続であって、人間であれば止むを得ない業でありましょう。歴史の大きな流れの中で、後世の検証に耐ええる歴史書が創られることを期待して止みません。
それと、もう済んで64年にもなる時、終わったことをグズグズ気に病んでも仕方のないことです。今、冷静に何が出来、何が必要か、脳みそをフル動員して考えるのが大事だと思います。答えのない、その場その時の判断と行動を確かなものにするため、日々の心がけが大事なのだと思うわけです。

お盆の起源

2009-08-12 15:37:43 | Weblog
お盆の頃に、いつも子供達にひとつの話をします。曹洞宗の坊さんから聞いた、お盆の起源の話です。
お釈迦様に弟子の一人が、一年前に亡くなった母を偲んで訊きました。
「母は今頃どうしているのでしょう」
すると、お釈迦様はこう応えたのです。「地獄で修行している」
弟子は驚いたのなんの、あんな優しい母が地獄とは!何故。
そこでお釈迦様が言うのには、‥母親が何時か、出先で万頭を頂いたことがある。貧しかった母親は自分では食べず、子供達に食べさせようと帰りを急いでいた。途中、道端で行き倒れ、腹をすかした子供がしゃがみこんでいるのを見て、どうしようかと、迷ったが、自分の子供に食べさせたくて目をつむって、急ぎ家に帰ってお前達にその万頭をたべさせたろう、どうだ。
「あの時は本当に嬉しかったのです。優しい母でした」
‥それがいけない、腹をすかした子供がいたら、前後も思わず、あるものを差し出すのが仏の道である、お前の母親はそれをしなかった。
弟子は、涙にくれ、母を想い、毎年供養をするようになった、それがお盆の始まりだそうです。
よいか君達、良いと思ったことは、ぐずぐすせずスパッとやらなければなりません。剣道も同じです、あっ、も、うっ、もなく無心で打ち込むのです。
とか、なんとか偉そうに言い聞かせて、お盆の先祖参りもちゃんとしなさいよ、と教えるわけです。
もっともお釈迦様は死後のことはわからない、と言ったそうですから、この話も本当かどうか、不知。

身構えと心構え

2009-08-05 17:20:01 | Weblog
剣道の稽古の時によく「菊地さん、私の構えはどうですか?」と訊かれます。
私自身この中段の構えには常に心を配って、関心が高いので「少しこうしたら良いと思います」ぐらいは言うのですが、実は難しいことです。
「構えあって、構えなし」と言うぐらいで、基本の構えの考え方も人によって違うし、自然に相手によって対応すべし、との教えもあります。
ただし、心が乱れると自ずと構えに乱れが生じ、付け込まれることになるし、技を発揮するその基は構えです。
私は構え、すなわち身構えを造り上げることは、剣道修行の一大事であると思います。
修行の道程で獲得すべき、品位、気位の発現がまず、この中段の構えです。
理想の姿勢、重心の位置、足構え、柄の握り、切っ先の位置を自分に描けなければなりません。しかして、勝負という生きた場所で、理想の構えを崩すことなく遣えなければなりません。
さて、しかし、生死の境で構えなどにかかずりあっているわけにはいかないわけで、そこに「構えなし」の「構え」がなくてはならず、専ら心の問題となるわけです。
「心構え」がすなわち「身構え」となるとき、その「構え」は崩そうとしても崩れない、あえて剣を交えなくてもその「位」が対手の心に届くことでしょう。

塩むすびひとつ

2009-08-03 14:01:41 | Weblog
この頃昼食の時になるたび、気に掛かることがあります。
すこし前、テレビのなにかの記録番組のなかです。
若い男のバレーダンサーが、厳しい午前の練習を終え、廊下に出てベンチに座り、一個の白いおむすびを取り出しました。ノリも中身もない、ただの中位の塩をふった握り飯です。これが今日の昼食というわけです。いつものことだそうです。
あれだけ激しい運動をして、しかも二十歳台の男が、おむすび一個!
勿論ダンサーですから体型を保たなければならない、に、してもです、若い頃の自分には(大食を自慢していた)考えられないストイックさです。
今、私の周りには「通風」自慢やら、太鼓腹自慢が多くいて、やっぱり肉を食わなきゃ、一杯は呑まなければ、もたない等とホザイテいます。
これではいけない、栄養なんか気にする歳か、と昼食のときだけ、フッと頭を過ぎるのです。
なに、食うことぐらい好きにさせろという悪魔と戦っている日々です。

伝説の乳井義博先生

2009-08-02 13:31:32 | Weblog
26日に利府町で関東・東北・北海道少年剣道大会があり、300チーム2000人が参加して熱戦が繰り広げられました。この大会を創始したのが乳井先生で、44年前、当時このような大規模な大会はなかったわけで、先生の剣道人としての大きさが、このことをもってしても分かります。昨今県外からの参加が少なくなっているのが惜しまれます。
乳井義博先生には、若い頃武者修行で宮城に来た時、その強さに惚れ込まれて、他に行かぬよう、防具を隠された、とか、京都大会では相手を鉄砲突きしてひっくり返したまま、さっさと引き上げた、とか多くの面白いエピソードがあって、仙台にいると様々な話を聴くことがあります。どれも豪放磊落、強さを物語るもので、当に伝説の剣道人と言えます。
私は直接にはお会いした記憶がないのですが、高校生の時遠征で先生の道場に行ったことがあるようだし、東北の大会ではきっと同じ場所にいたことがあるはずです。
乳井先生は高等師範の高野佐三郎の弟子であり、私の恩師岩谷文雄は高野の教えを受けたので、今でも高校の道場には高野佐三郎の揮毫が残っています。
してみると、私も弟子筋にあたることになります。
高野門下が、上段の左右小手と左右胴を、アッという間に切るのを得意としたのが知られていますが、恩師岩谷もこれを得意とし、試合においてもこれを遣って、驚かされたものでした。
後で、岩谷が乳井と親交があり、乳井先生の電光石火の早業は共通していることがわかりました。
私が乳井先生を先生と呼び、親しみを覚える所以です。