東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

三囲神社

2012-05-05 23:45:55 | 墨田区
浅草から観音様の裏へ出て、言問橋を渡ると小梅という町がある。橋を越えて左へ折れた先に、三囲神社がある。この神社の名を始めて聞いたのは、佐多稲子の「私の東京地図」を読んだ時だった。長崎から上京してきた佐多の一家の落ち着き先が、この三囲神社の直ぐとなりの辺りだった。幼い稲子は、ここから早朝割引の市電に乗って神田大和町辺りにあったキャラメル工場へ働きに出たのだが、交通費で採算割れということだったと思う。結局、大将11年まで稲子はこの地で暮らしていた。

三囲神社は、元は田中稲荷と称した村社であったが、この地へ移築されたという。伝によれば、近江国三井寺の僧源慶が当地に遍歴して来た時、小さな祠のいわれを聞き、社壇の改築をしようと掘ったところ、壺が出土した。その中に、右手に宝珠を、左手にイネを持ち、白狐に跨った老爺の神像があった。このとき、白狐がどこからともなく現れ、その神像の回りを回って死んだ。三囲の名称はここに由来するという。(wikipedeiaより)


隅田川の畔に位置するひっそりとした神社なのだが、今では三越、三井の守護神として知られている神社でもある。周囲は東京大空襲の被害を受けているのだが、神社は一部の建物は焼失したが残された建物も多い。


狛犬ならぬきつねの像が本殿を守るように置かれている。その顔付きが実に優しげな眼をしており、古来からこの辺りでは穏和な人のことを三囲のコンコン様のような奴だというのだそうだ。


三井家がこの神社を大切にしている証しの一つ。三越の経営者でデパートメントストア宣言など、近代的なデパートへと三越を脱皮させた日比翁助の石垣の碑。


そして、今は閉店してしまった三越池袋店にあったライオンの像が鎮座している。


戦災をくぐり抜けた本堂。


この境内の景色は、画家藤牧義夫が隅田川絵巻に書き遺している。自由自在な視点でこの神社の戦災で失われた絵馬堂や今も残る本堂が書かれていた。


大きく立派というのとも少し違うのだが、落ち着いた雰囲気の境内には様々な石碑などが数多く置かれている。境内社もある。


外の扉が閉じられているが、隅田川の方へも門がある。川が今よりも遥かに身近であった時代があった証拠。


三井家より移されたという三柱鳥居。


本堂の裏手にも石像が置かれている。


見上げるとスカイツリーも間近。

良い雰囲気の神社で、言問橋辺りを歩くのなら是非とも寄るべきところ。そして、コンコンさんの優しいまなざしに触れて欲しい。また、境内はとても落ち着いた雰囲気で良いところなので、散策するにも心地良い。心静かに歩くには最適な神社だと思う。


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