一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

室町文化

2017年07月02日 | アート・文化

室町文化を前期の北山文化と後期の東山文化に分けるようになったのは、昭和初期と言われます。
平成に入って、連続性のある北山文化と東山文化を分ける必要性が薄いと考える学者の声が大きくなり、また室町文化に統合されつつあります。

室町文化の担い手は、公家と武家、そして禅宗寺院です。
北山文化の頃は、武家が公家を真似て派手な造作が好まれました。金閣や能・狂言が華のある北山文化の象徴です。
禅宗の坊さんは絵や文学で関わっている程度で、北山文化の頃は影響が小さいものでした。
だんだん公家文化が飽きられ、禅宗が幕府御用達の宗派として浸透してくると、禅宗ならではの渋い芸術が目立ち出します。銀閣、竜安寺の石庭、雪舟の水墨画が典型例です。

つまり、室町文化とは武家文化をメインに、サブの公家文化と禅宗文化のウェイトが変化しただけで、北山と東山を分ける意味がないと見なした場合の統一区分です。