怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

「困難な成熟」内田樹

2017-04-21 07:18:15 | 
この本は人生相談の質問(と言っても井上と言うメルマガ「夜間飛行」の主宰者一人によって定期的に送られるもので、新聞なんかにある人生相談の質問とはだいぶ趣が違います)に対して内田樹がさらさらっと返信したものです。メルマガの連載なので字数にとらわれることなく全体のロードマップの見通しが不確かなまま話を転がして書き進んだと「あとがき」に書いてあります。
でもここで出てくる質問が結構本質をついているというか原理的なものが多くて、それに対する内田先生の答えは世間一般の常識とはかなり違う(だからこそ読むんですけど)論理で切り分けてあって、全面的に賛成できるところばかりではないのですけど、こういう見方があるのかと改めて感心してしまいます。

一番最初の質問が「責任を取るということはどういうことでしょうか。」なのですが、その答えは「責任を取るということは不可能です」、う~んなんじゃこれ…
人を傷つけたり、人が大切にしているものを損なったりした場合、それを復元することは原理的に不可能です。うん、これは分かる。
だから「ごめんで済む話」はこの世にない。だから「もう起きてしまったこと」については「責任を取る」ということはできない。原状回復できない以上無限責任になってしまうのです。人間はひとたび犯した罪について、これを十分償うことが決してできない。その意味では「目には目を、歯には歯を」という古代法典はどこかで無限責任を停止させなければならないので、もうこれ以上は責任を遡及してはならない」と言う限度を定めたというのです。復讐の権利の行使を抑制しているのです。
そもそも「責任を取れ」と言う言葉は「お前には永遠に責任を取ることができない」と言う呪いの言葉だと。
だからどうすればいいかと言うと、責任は人から押し付けられるものでなく、自分で引き受けるものとして「俺が責任を取るよ」と言う人を増やしていくこと。それによって「誰かが責任を引き受けなければならないようなこと」の出現確率は低減していくんだと。
なんか何処かでごまかされているような気がしないかも…
とにかく自分に責任があるなんて言うことは思ったこともなく周りに押し付けるばかりの上司を見てきただけに、そういう組織がいかにまともに機能し難いかはよくわかるんですけどね。
とまあ、こんな具合にいろいろな質問に思いもつかない視点から答えていきます。
もう少し紹介すると、
私たちの暮らしている社会は複数の人間が共生している集合的な生命体。その最優先な仕事は「生き延びること」。集団が生き延びていくうえで有用なら、どんな変化をしてもかまわない。集団が生き延びる力を減殺し阻害するファクターを回避するためならどんな変化をしてもかまわない。それが社会的ルールを操作する時の基本原則です。この原則から集団として生き延びるためのルールができている。この「なぜルールがあるのか」を問わない人間がルールを管轄し、違反者を罰するということをしていると、集団の「生き延びる力」は必ず弱まってしまう。
取り越し苦労はしてはならない。明瞭にイメージされた未来はそうでない未来よりも実現可能性が高い。細部まで予想された未来は強い吸引力を持つ、そこに引き寄せられてしまう。予想することによって、そうなるように無意識のうちにふるまっている。そして「きっとこうなると思っていた…」
最悪の事態に備えて心の準備をするとその見返りに無意識のうちに最悪の事態の到来を願うようになる。じゃあ、最悪の事態に直面した時にどうすればいいかと言うと、慌てないこと、後手に回らないこと。場を主宰しているのは私だと思うことです。とかくじたばたしがちな私にとって、これ、結構難しいことですよね。この議論て井沢さんじゃないけど「日本は言霊の国」ということになるのでしょうか。
橋本治が教えてくれたことだそうですけど、「優れたプロデューサが現場に入ってまずすることは?それは床のごみを拾うこと」だとか。現場を全部見ている人間、そこで起こることのすべてについて最終責任を負う覚悟でいる人間の眼にだけ「床のごみ」が見える。他の人には見えない。それができる人間が「場を主宰」することができるのです。
組織の最適サイズは150人。150人までのサイズだと、専門的な管理部門がなくても自律的に組織が機能する。いちいち「ほう・れん・そう」などと言わなくてもいい。でも150人を超えると管理部門を作って「自分は何も生産しないが、人が生産しているかどうかを見張る職務」を独立させないと、集団は動かなくなる。だから成功したビジネスマンは、1作業所の集団構成員を150人に抑制して、越えたら組織を2分割して事業所を分けるとか。そのほうが1か所に固めておいて「効率化」とか「合理化」をするよりも、組織全体としてのパーフォマンスが高い。
会社は家族ではなくて戦闘集団。集団の戦闘力を高めるためには何をすればいいのか、それは共傷性と信頼に支えられている組織。そこ熟慮したうえで「未来を託すために、若い人を大切にする」という経験則を発見したところが入るべき会社。と言われても具体的によくわかりませんがとりあえず離職率の高い会社と訴訟の多い会社は入らないほうがいいというのは何となく分かります。
ところで就職試験の面接の採否は部屋に入って数秒で決まるとか(出版社の編集者に聞いた話だそうです)。その基準は「この人と一緒に仕事をしたいかどうか」というもの。そこで見ているのは受験生ではなくて受験生を見ている自分の内側で起きている反応を見ている。この話は何となく分かります。ダメな人は話す前にダメなんですよね。どうしてかと言ったらこういうことだったんでしょうか。
こんなことをどんどん書いていると全部紹介することになってしまうし、ただでさえ冗長で読む気にならずにスルーしているという声が多いのでここらでやめておきますが、これはほんの触りです。多少なりとも興味があれば一度手に取って読んでください。
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