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●漫画&映画・・ 「どろろ」

Photo Photo_2  まだ夜が明けるまでに二時間はある、早朝未明のTV番組で、地方都市の60年代の、いろいろな風景をモノクロで写し、BGMで60年代のポップスを流していた。最初、坂本九ちゃんの「上を向いて歩こう」が流れていたので、古い和製ポップスで綴るのかな、と思ったら、クリーデンス・クリア・ウォーター・リバイバルのロックの名曲、「雨を見たかい?」が流れて来た。大好きな曲だったので、とても懐かしかった。その後、続けて流れたのは、カスケーズの「悲しき雨音」、ディランが1曲、「風に吹かれて」。ビートルズナンバーが「抱きしめたい」と「涙の乗車券」。「ワット ア ワンダフル ワールド」‥。一通り曲が回って、「上を向いて歩こう」に戻ってしばらくして番組は、輸入健康器具の通販ものに変わった。モノクロで流れていた風景は、60年代の都市部や、海辺の町の様子や、力強く走るSL、大雪の中を急ぐ当時の人々、40年も前の昔もあった都市部の渋滞と、懐かしいオート三輪や、古い型の自動車やバス。レトロの風景と、脳味噌の端っこに染み付いている、懐かしいメロディー。

Photo_4  僕は田舎育ちだから、60年代前半頃でも、都市部ではけっこうごみごみした渋滞があったのにびっくりした。僕は、生まれた田畑と山々の本当の田舎から、6歳から地方でも町の方に引越し、商店街で育った。町中で、子供の僕の遊びの行動範囲に貸本屋が3件くらいあり、1件は近く、後の2件は子供が歩くには少し遠かった。普通の本屋さんは商店街の続きの先に3件あり、これも1件は近く、2件は少し遠かった。僕が小1か小2の頃、家の前の商店街の道路が土の剥き出しから舗装されて、歩道がついた。近くのアーケードの商店街に、レコード屋さんが2件あり、小学生の頃は、マヒナスターズの「愛して愛して愛しちゃったのよ」とか、奥村チヨの「恋泥棒」とか、青江美奈の「国際線待合室」だとかのドーナツ盤や、加山雄三の若大将シリーズの挿入歌のサントラ盤を買った。中学生になってからはビートルズのヒット曲や、ラジオの洋楽で流す、ビルボード・キャッシュボックスの上位曲をドーナツ盤で買っていた。小学生の頃、級友の高台にある家に、友達数人で遊びに行き、当時大人気放送されていた、学園ドラマの草分け、若き日の竜雷太さんが熱血教師に主演する、「これが青春だ」のサントラドーナツ盤を、何度もみんなで聴いたのを憶えている。「これが青春だ」の主題歌はデビュー当時の布施明さんが歌っていた。

Photo_5  ビートルズを初めて知ったのは小学4年くらいの頃で、当時高校生か大学1年くらいの兄貴が友人に、ビートルズ初期のアルバムを2枚くらい借りて来ていて、僕も聴かせてもらっていたのだが、僕は幼過ぎて、ジョンの「プリーズプリーズミー」くらいしか印象がない。僕がビートルズキチガイのようになって熱中し、ビートルズの全てを知りたがるのは中学三年くらいになってからだ。でも僕は、小学生の頃からずっと音楽の成績がひどく悪く、バンドをやりたいとか、ギターでビートルズ曲を弾いてみる、とかいうことには全然至らなかった。だが、ビートルズの連中の、自分で作詞作曲して歌を作り、自分らで演奏し歌う、というスタイルは非常に尊敬し、憧れた。だから、生来のオタク体質の僕は、中三、高一の頃は、自分で詩を作詞して、口で♪フンフンフン‥とかハミングしたりして曲を着けていた。しかし音楽の成績が劣悪な僕は最後まで音符が読めず、作詞は残せても、メロディーはその都度、少しづつ変わって行っていた。でも、この中三、高一の頃に、自作した歌が20作くらいはあったと思う。だから高校生になった頃は当時のフォークブームから、将来はフォークシンガーになりたいと憧れた。全く音符さえ読めないくせに。当時は、よしだたくろう、泉谷しげる、井上揚水、チューリップなどが人気が出て来た時代だった。

Photo_6  という訳で、ついつい60年代の思い出にとっぷりと浸ってしまいましたが、60年代の懐かしい記憶ということで、60年代漫画です。って、だいたいここで語っているのは60年代漫画ですけど。「Kenの漫画日記。」っていったって、取り上げるのは、古い古い、ある種骨董品的な、60年代漫画が圧倒的に多い。まあ、僕がこの半生で一番影響受けた、懐かしくも記憶にこびりついている大きな、60年代漫画作品群ですからね。という訳で、今回も遠い記憶の世界に思い出の足を運んで、60年代漫画作品「どろろ」です。というか、ホントのこというと、ちょっと前に映画「どろろ」をDVDで見たからです。今年1月公開の、妻夫木聡と柴咲コウ主演の実写版映画。春夏には、よくコンビニなどで、雑誌紙質のコミックスタイプ、俗にいうコンビ二版で何冊か復刻を見掛けましたし、それで、今回は僕が子供時代の週刊少年サンデー誌上で、毎回読んでいた「どろろ」を取り上げました。

Photo_7  時代妖怪漫画「どろろ」は、少年サンデーの67年から68年に掛けて連載された、漫画の神様、手塚治虫先生の児童漫画です。どんなジャンルでもこなす、神様・手塚治虫ですが、時代劇の妖怪漫画というのは非常に珍しい作品だと思います。短編読み切りでは多いですけど、時代劇の長編連載で妖怪活劇を扱い、しかも物語がきっちりと出来上がっている、というのはやはり、天才手塚ですね。僕が手塚先生を天才だと思うのは、その博学な知識やヒューマニズムに訴える作風、表現力といったものではなく(勿論それらも天才的といっていい程優れたものなのですけど)、やはり全てのジャンルを網羅するくらいのストーリーテラーぶりです。お話作りが圧倒的に優れ、他の追随を許しません。漫画史的に長期に掛けて、と冠を着けていいくらいに。特に20ページから30ページくらいの短編作品を、きっちり起承転結を着けて、あらゆるジャンルで無数に作り上げている才能。ストーリーテリングの天才そのものですね。もう、天才としか呼びようがない。それも含めて正に「神様」だと思っています。

Photo_8  僕の記憶では、漫画「どろろ」が少年サンデーに連載されていた時期は、もう少し手前だったんですが、67年頃だったんですねえ。せいぜい65年くらいのつもりだったけど。60年代は64年くらいからずっと続けてマガジン・サンデーを読んで来てたけど、「どろろ」が未完で終わっていたとは知りませんでした。お話が中途半端に終了していたらしい。続編が秋田書店の月刊誌「冒険王」に連載されたそうですが、これは憶えています。冒険王誌上で二、三度読んでいます。当時の月刊誌の、大判B5版別冊付録で読んだ記憶がある。ここでも未完の終わり方らしいですね。この「冒険王」連載が69年。この69年に「どろろ」はアニメ化されてTV放送されているので、当時の少年漫画誌は積極的にTVとタイアップしたから、多分、この冒険王掲載はいわばアニメのコミカライズ的に行ったんでしょうね。僕は、このアニメの「どろろ」はほとんど見てはいないですね。69年に半年間放送されています。初めの半分がタイトル「どろろ」で、後半の題名は「どろろと百鬼丸」。漫画は読んでたけど、アニメは放送されてるのは知ってたけど、見てないなあ。半年で終わったから、あんまり人気も出なかったのかなあ。このアニメはモノクロ制作だったらしい。

Photo_9  「どろろ」の時代設定は室町時代末期らしい。百鬼丸の実のオヤジは、戦国武将で、野心が強く、いつかは天下を取りたいと戦を行っていたが、負けることが多くパッとしない。そこでこの武将は、古寺で魔物と取り引きをする。近々生まれる我が子(=百鬼丸)の体を差し出すから、自分に天下を取らせてくれ、と。魔物は契約に応じ、48匹の魔物が、生まれて来る子供の身体のパーツを、それぞれ48部分、持って行ってしまう。子供は見るも無残な不具者として生まれ、川に捨てられる。世捨て人のような医者、寿海に、川を流れているところを拾われ、寿海があらかじめ失われている人体のパーツを、義足、義眼といろいろなものを作り上げ、装着して行き、見た目は普通の五体を備えさせ、百鬼丸と名づけて育てる。やがて成長した百鬼丸は自分の失われた、本物の人体パーツを取り返す旅に出る。48匹の魔物を探し、一匹づつ倒すごとに、失われた本物のパーツが戻って来る。というか、生えて来る。百鬼丸が妖怪狩りの旅を続ける中で、こそドロの少年、どろろと出会う。百鬼丸が少年で、どろろが子供という感じか。こそドロで何とか食べて行く、やんちゃな子供、どろろは、先で解るのだが実は女の子であった。どろろは百鬼丸の義手に仕込まれた刀に目をつけ、これを盗むという理由で、百鬼丸と行動を共にする。07年1月公開の実写版映画では、どろろ役はもう最初から女優の柴咲コウであり、野生的なやんちゃ青年を好演している。実際、映画を見ていて、柴咲はうまいなあ、と思った。

Photo_10  「どろろ」のお話は、結局、最初に魔物の妖怪たちが、百鬼丸の身体のパーツをぶんどって行ってて、百鬼丸がそれを取り戻す旅に立ち、48匹全部を倒すことを目指して、いつかはちゃんとした五体満足な普通の人間になるために、一匹一匹妖怪を倒し、自分の元々の人体パーツを一つ一つ取り戻して行く、ということで決まってしまっている。つまりはもう、ストーリーは48匹の妖怪との、1対1のバウトが最後の48戦まで続いて行く、という物語なのだ。後は、それに何がしかのエピソードを一話一話に絡ませて行くだけ。稀代のストーリーテラーである手塚治虫は、結局、単純なお話なので、自分が面白くなくなって、2年近くの連載で中途半端に止めちゃったんじゃないかな。48匹倒す話を、延々描いて行くのは耐えられなくて。「どろろ」に比べれば、同じ児童漫画でもジャンルは違え、「0(ゼロ)マン」なんか複雑でスリリングですごく面白い話だもんねえ。僕は「0(ゼロ)マン」は中三か高一でコミックスでまとめて読んだけど、当時、ものすごく面白かったのを記憶している。といっても、「どろろ」のエピソードの中には、「ばんもんの巻」などのように、当時の、朝鮮の国境線やベルリンの壁を風刺して、内容としては反戦を訴えていたり、一話一話凝ったお話作りをしていますが。

Photo_3  1968年に少年サンデーで連載が始まった「どろろ」が、07年1月に実写版映画となって公開された。原作漫画の連載から実に、38年くらいの長期の間を空けての映画化。実写映画「どろろ」は好評で、興行も成功したらしい。妻夫木の百鬼丸もクールで良かったが、柴咲のどろろは好演してうまかった。柴咲の演技には感心したものだ。作品が好評だったので、続編を制作する予定があるそうだ。ロケ地を国内でなく、オセアニアのニュージーランドの荒野に持って行ったのも、雄大で実に良かった。映画は設定を原作とはだいぶ変えている。第一に、主人公は子供でなく、青年男女になってるし。原作は時代設定が戦国時代だが、映画ではぼやかしていて、何か中国の古い戦乱の世を思わせるようにもなっている。百鬼丸の実父の武将が棲むお城も、日本の城ではなく、まるで水木しげるの妖怪漫画に出て来る妖怪城を思わせるような作りだ。勿論CG画像なんだけど。僕は水木しげるの妖怪城を思い出した。やはり背景のニュージーランドの荒野の大自然が良かったなあ。映画「どろろ」の物語の中の、1エピソードの妖怪退治のお話は、漫画原作にもあったエピソードだが、その他の妖怪退治はだいたいダイジェストのバウトで、SFXを駆使した雄大な画面の空中戦となっている。お話の流れはシンプルですけどね。終盤のクライマックスでは、百鬼丸の、実母、実父、実の弟との対峙、またどろろの父の仇が百鬼丸の実父だったりと、ちょっと複雑な人間模様の、ぐちゃっとした心理描写の湿っぽい場面が続きますけど。正直、僕、ああいう、グジャグジャした人間関係が駄目なんですよね。逃げ出したくなる‥。

 現代ストーリー漫画の開祖である手塚治虫先生は、死につくベッドの最後まで、漫画原稿を離さず、終生現役の第一線の漫画家でした。昭和20年代末から昭和30年代初めのストーリー漫画の黎明期、福井英一という、人気面でどうしても越えられぬ一方の巨人に、嫉妬心まで交えた大きな敵愾心を燃やし、福井氏が急逝された折、その才能を惜しむ前に手塚は内心、ほっと安堵したという。新しい才能、大友克洋が現れた時、新人賞か何かの席で、王者手塚は、「君の描いている絵もね、僕は描けるんですよ」というような言葉を掛け、確かに才能はあるが、まだ出て来たばかりの新人漫画家に、対抗心を燃やす態度を取ったという。そんな永遠の挑戦者であった、王者手塚は、60年代後半、台頭して来た劇画勢の中で、妖怪漫画という新しいジャンルで話題と人気を呼び活躍する、水木しげる氏に宣戦布告した形で、「妖怪漫画なんか僕も描ける!」と、当時の少年サンデーで連載を始めた、時代妖怪漫画が「どろろ」です。漫画の神様、手塚治虫はその天才の才能もすごいのですが、この、死ぬまで永遠の挑戦者であったという、最後まで持続させた気概がすごいですねえ。手塚治虫先生は、もう何もかもすごくて感服・尊敬するしかないです。僕は小学生の時に、半紙の紙片を配られ、当時の教師に「尊敬する人を書きなさい」と言われて、紙切れに大きく「手塚治虫」と書きましたが、それは何十年も経った今でも変わりません。

 あ、それから、子供の頃思った、素朴な疑問。百鬼丸は義手や義足などに、いろいろと秘密兵器を仕込んでいるんですが、妖怪を倒す度にその兵器機能は失われて行き、普通の人間に戻って行っている。百鬼丸はどんどん弱くなって行っていて、妖怪に勝てなくなるのではないか?とか幼く、漫画の話の行く末を心配してましたねえ。

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