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●漫画・・ 「あしたのジョー」

Photo_92 Photo_93  ○ あしたのジョー
 
確か4月の22日だったと思うが、昼の午後、NHKのETV特集の再放送で、3月24日の夜に本放送した分を流していた、「あしたのジョーのあの時代~団塊の世代-心の軌跡」というタイトルの番組で、今年あたりからの大量退職で社会的に大きな影響があると、今話題になっている団塊世代の、青春時代を、同世代の有名文化人たちをゲストに据えて、団塊世代の末席あたりに位置する作家、夏目房之介さんを司会進行に置き、名作「あしたのジョー」と照らし合わせて、時代を懐かしくも思い出し、風俗も含めて一つの文化的な歴史として語っていた。漫画「あしたのジョー」は僕の少年時代、週間少年マガジンに大人気連載されていた。その時代の少年マガジンの、「巨人の星」と「あしたのジョー」は二大看板漫画で、無論、僕が毎週欠かさず、マガジンを購読していたのは、お目当てが、その二大熱血スポーツ根性青春漫画なのだが、僕が小学校高学年の頃のマガジンは、他にも、「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」、「ミサイルマン・マミー」「黄色い手袋X」「コマンドJ」「ゲゲゲの鬼太郎」「無用の介」「丸出だめ夫」「天才バカボン」etc.etc.‥という他の、SF、探偵、時代活劇、怪奇、ギャグのたくさんのオモシロ漫画陣が目当てだったことは間違いない。小六から中学生くらいになって、「巨人の星」「あしたのジョー」やシリアスな時代劇「無用の介」などが俄然面白くなって、毎週楽しみにしていた。「巨人の星」はやはり『魔球』に憧れて、惹き付けられましたねえ。大リーグボール、1号、2号、3号。

Photo_94  マガジンの歴史的2大名作、「巨人の星」「あしたのジョー」は共に、あの時代の劇画原作の帝王、梶原一騎氏の原作ですが、氏は、「巨人の星」連載開始の折、当時のマガジンの編集長から、「少年マガジンの佐藤紅緑になってください」とお願いされたそう、らしい。それから、元々は文学青年で小説家志望の梶原一騎氏は、漫画原作に本腰を入れ、「巨人の星」の連載を始める。そして2年後、マガジンで新たなヒーローの大作漫画を開始する企画が立てられ、編集者たちと協議の結果、今度のヒーローはニヒリストにしよう、ということになる。ニヒルで不良のヒーロー。68年から、マガジンで、ボクシング漫画「あしたのジョー」が始まった。作風を変えるということで、原作ペンネームは梶原一騎を使わず、本名に近い名前の高森朝雄とした。高森朝雄氏の「あしたのジョー」開始の原稿に、作画担当のちばてつや氏が、ストーリーを大幅に変えた。漫画のちばてつや氏もこの新作には思い入れが大きかった。原作ストーリーを大幅に変えられた高森氏は、当初、激怒したが、編集者らの説得と、ちば氏のストーリー・アレンジのうまさに、徐々に納得して行き、ここにお互いの才能の相乗効果が生まれた。高森氏、ちば氏の優れた才能が合い混ざって、抜群のハーモニーを奏でて、空前の名作漫画を生み出すこととなった。ある意味、両氏の最高傑作ともいえるような作品「あしたのジョー」である。

Photo_95  よく言われるエピソードが、物語前半の宿命のライバル、力石徹の葬式。少年院で出会ったボクシングエリート力石徹。力石のテクニックの前では赤子同然であったジョーが、力石に対する唯、勝ちたい執念が故に、興味の無かったボクシングの練習にやる気を出し始める。少年院での死闘の決着はプロのリングへ。プロの試合では、体格が大きくて階級が上の力石は、想像を絶する無理な減量を自分の肉体に強いる。過酷なまでの減量でぎりぎりの肉体でリングに上がった力石は、ジョーとの試合に臨むが、試合に勝った極限状況の力石の身体は、試合終了後命を奪われる。こうして、宿命のライバル、力石徹は死んでしまい、ジョーは精神的な大打撃を受けて、全面的に調子が狂ってしまい、大袈裟にいうと、廃人のような状態になってしまう。この時の、マガジン誌上の漫画物語で、力石徹が死んだのを受けて、作家で詩人の寺山修二さんとかが発起人となって、会場を設けて、実際に力石徹の葬式を行った。ちゃんと坊さんを呼んでお経も上げたらしい。数多くのファンが葬儀に集まった。有名な「あしたのジョー」のエピソードである。数年前に週間発行部数100万部を突破していた少年マガジンは、子供ばかりでなく、大学生などの若者にもよく読まれていた。全共闘の学生たちのバリケードの中には、少年マガジンが読み捨てられていた。70年3月の、よど号ハイジャック事件で、ハイジャック犯が出した声明に、「我々は『あしたのジョー』である」と言った、というエピソードも有名ですね。何が言いたかったのか、僕には見当も着きませんけど。力石徹の葬式は、マガジン誌上の記事で読んだけど、当時の僕は、まだ子供だったからか、特に大きな印象は無かったなあ。

 何でも、力石徹の、ジョーよりもぐんと大きい体格は、高森朝雄氏の原作原稿をちばてつや氏が読み違えたか何かで、漫画の力石をジョーよりもかなりでかく描いてしまった。それで、結局、シャバに戻って、いざプロのリングで決着を、という時に階級が違うことになってしまった。だから、作者は身体のでかい力石に、すごいキツイ減量をさせなければならなくなった‥。ということらしい、というウワサもあるみたいですね。つまり、作画のちば氏がうっかり大きく描いたことが、力石を殺すことになってしまった、と。ストーリーの流れがそういう方に行ってしまった(行かざるをえなかった)、と。しかし、何らかの形で、力石徹とのエピソードが完全決着がつかないと、次のステップへお話が進みませんもんね。カーロス・リベラから王者ホセ・メンドーサへと。失調を来たし、廃人の如き状態にまで落ち、どん底に居るジョーを、再び生き返らせるのが、次のライバル、カーロス・リベラの出現。確か、ジョーは、見せ物興行みたいな露天試合のドサマワリ、賭けボクサーにまで成り下がってるんですよね。無冠の帝王と呼ばれるカーロス・リベラの圧倒的強さが、ジョーを甦生させ、プロのリングに戻す。そこから、いろいろと強敵のライバルが居ましたね。ウルフ金串とか韓国の金龍飛とか、野生のジャンピングボクサー、ハリマオとか。ウルフ金串って力石戦の前だっけか?TVの番組、ETV特集の司会やゲストの文化人の方たちはみんな、団塊世代の方たちで、ジョーとその時代を熱く語っていたが、マガジン連載当時の「あしたのジョー」に一番熱くなってたのは、やはり、当時、青春期青年時の団塊世代だったのかも知れない。僕たちはもっともっと下の世代になるもんね。梶原一騎の最高傑作は「巨人の星」と「あしたのジョー」というのが定評らしいが、僕に取って、梶原一騎先生の原作漫画作品で一番面白く一番熱血感動して、一番印象に残っているのは、荘司としお氏作画による「夕やけ番長」だ。それは勿論、確かに、マガジンの「あしたのジョー」は毎週ワクワク面白く、楽しみにしていたけど、僕に取ってはそれ程、印象に残っていない。むしろ、「巨人の星」の方が、まだ脳裏に印象深くあるような気がする。あれ?カーロス・リベラってメキシコだっけか?ベネズエラだっけか?ホセ・メンドーサは?ブラジルだっけか?彼がベネズエラ?

Photo_97  NHKのETV特集の中で、作家の夢枕獏さんは、「あしたのジョー」は、力石徹が死んだ後からの方が、漫画が面白かった、と話していた。僕も、そんなに強烈に、漫画「あしたのジョー」に影響受けた方では無いので、そう思います。そういえば、僕は、多分、「巨人の星」はコミックスで読み返しているが、「あしたのジョー」は、連載は多分、一週も読み落とさず続けて、毎週全部読んでると思うんだけど、コミックスの再読はしていないと思う。「新・巨人の星」は2回くらいコミックスで読み返してるんだけどね。番組の中で、団塊世代の末席くらいの女性ゲストの文化人が、多分「あしたのジョー」をきちんと読んだこと無い人なんだろうけど、ジョーの生き様を読み間違い(勘違い)していて、「あたしは、男性のヒーローが一つの成功に向かって頑張り続け、苦難を乗り越えて努力し、精進して成功を掴む、サクセスストーリーには、あの時代に生きる、社会に出たばかりの若い女性としては、興味が持てなかった」というような意見を言ったのだが、それを聞いたもう一人の男性知識人ゲストが、その意見の内容をすぐさま否定し、ジョーの生き様は、サクセスストーリーなどではなく、破滅に向かって突き進むような、死に向かって全身全霊で全力で走って行くような、破滅型ストーリーだ、というような、そんな意見を言った。僕も確かにそうだと思う。結局、ジョーは死に場所を探していたようなものだった、と。燃え尽きて真っ白な灰になる‥。あるいは、真っ白な灰になるまで燃え尽きる‥。このジョーの言葉は、成功を夢見て、夢と希望に向かって全力で頑張る者の言葉ではない。ジョーは、努力の結果の、富と名声とか、幸福で安定した生活、とか、そういうものは全く眼中に無かったのだ。そういうものへの興味は皆無であった。そういう意味では、ジョーはやはり、徹底したニヒリストだ。ジョーの夢は、自分が見初めた強敵のボクサーと、それこそ心底惚れてしまったような強敵と、人間の全身全霊を出し尽くして戦い、燃え尽きてリングの上で真っ白な灰になることなのだ。そういう意味では、力石が死んだ後、自分もリング上で後を追って死のう、と決めていたのかも知れない。番組の中でも話されていたが、ドヤ街の中か近くの、乾物屋だっけか八百屋だかの、素朴な美女の娘の、林紀子から、えーっと、涙橋っていうんだっけか、橋の上で、「ボクシングを止めて平凡で安定した幸せな家庭に入ろうとは思わないのか?」と、愛の告白を受けるが、全否定して、「燃え尽きて真っ白な灰」という、激しい自滅への道を話す。「あしたのジョー」の二人のヒロインは、好対照のキャラの、白木葉子さんと、結局、ボクサー止めたマンモス西と結婚した、この紀ちゃんでしたね。

Photo_101  漫画「あしたのジョー」は週間少年マガジンの68年1号から、73年までに渡って長期に連載されました。最終回も有名なシーンで、王者ホセ・メンドーサとの死闘の後、試合では判定で負けるんですけど、既にパンチドランカーの徴候が見えるジョーが死力を振り絞って戦い抜き、王者メンドーサを恐怖のどん底まで追い込み、メンドーサの相貌を老人のそれにまで変えるほど苦しめた結果、試合終了後、ジョーは自分のコーナーで満足したような表情でじっと座っている。最終回、最後の大画面の一コマ、まるで、燃え尽きて真っ白な灰になったように、一面、白い画面でジョーが動かず座っている。真っ白くなったジョーが‥。この終わり方は後にいろいろと説が語られました。死んでしまった。いや、生きている‥。読者の想像に委ねられる結果となった訳です。でも、結局、ジョーのボクサーとしての生命はここで終わったのでしょうね。結局、最終的には世界王座の栄光は掴めずに終わった、と。あれは、73年だったんですねえ。もっとずっと前だと思っていた。アニメ化もされていて、70年4月から71年9月まで放送されている。僕は確かにアニメでやってたのは知ってたけど、あんまり見てないですねえ。「巨人の星」のアニメは見てたと思うけど、「あしたのジョー」のアニメはたいして見ていない。全然知らなかったんだけど、アニメは続編で、「あしたのジョー2」が80年10月から81年8月まで放送されてます。どうしてまた10年も間空けてから続編作って放送したんだろ?ああ、そうか。80年の3月に、70年の分の放送アニメを編集しなおして、劇場用アニメ映画「あしたのジョー」として公開してるんだ。その映画分が未完だから、それで、その続編を第2期アニメで作ったんだ。劇場アニメ映画の「あしたのジョー2」は81年7月公開。アニメ放送のラストと、劇場公開が同時期で重なるなんて珍しいやり方ですね。実写映画も70年の7月に公開されている。

Photo_102  「あしたのジョー」が、団塊世代に影響を与えたといえば、番組の中で語られてましたが、力石徹が体制でジョーは反体制である、と当時の全学連・全共闘世代はバリケードの中で「あしたのジョー」を読んでいたと、いうことですが、僕ら世代からすれば、何かこじつけっぽい気も持ちます。確かに、ジョーは孤児であり、若き浮浪のホームレスであり、不良であり、現社会を憎み恨み、牙を剥くような存在でしたよね。勿論、体制側からは一番外側にはみ出している、アウトローです。でも、「あしたのジョー」の物語そのものに、政治思想は見えないですよね。無理やりいえば、現体制の社会に対する怒りを、ボクシングという場所で牙を剥いた、というようなものか‥。ちょっと無理がありそうな。ジョーは死に場所を求めて、破滅に向かって突き進んでるんですからね。無論、この社会を作り変えようとユートピアを目指す考えなんて、全く無い。ジョーは自分のことだけしか考えてないニヒリストですよ。バリケードの中の若者が、ジョーのカッコ良さに自分を重ねて、ヒロイズムに浸ってみたのか(?)。よど号を乗っ取った赤軍派テロリストたちが、我々はあしたのジョーである、と言った意味は、やはり僕にはさっぱり解りません。結局、バリケードの中の若者たちは、こんなことやってても何も変わりはしないんだ、と諦め感は持ちながらも、ただほとばしる若さのエネルギーに任せて、反体制運動を自爆的自滅的にやっていた、という自分らの姿を、ヒーローとしては新しいタイプの、アンチヒーローに映るジョーに投影していたのか‥。

Photo_98  ○ 愛染恭子さん
 女優の愛染恭子さんが、14歳少女に暴行をはたらいた、とニュースで言っていた。かつて日本ポルノ界で一世を風靡した感のある、愛染恭子さんはもう49歳にもなっていた。何でも、14歳少女は中三の実の姪で、話によると、愛染さんの知人の40代男性と、この姪の女の子が男と女の関係になってしまい、愛染さんは「しつけのため」に、説教とせっかんをしたものらしい。愛染さんと実母と実兄と三人で、「しつけのため」に、殴る蹴る、プラスティックハンガーで叩く、という暴行をはたらき、4時間に渡る暴行から逃げ出した少女が近所のコンビニに駆け込み、通報され、愛染恭子さん等三人は逮捕されたものらしい。取調べで、愛染さんはあくまで「しつけのため」の説教と主張し続け、少女の親である愛染さんの実兄は「しつけとはいえ、やり過ぎてしまった」と反省してるそうな。で、渦中の、愛染恭子さんの知人の40代男性は、愛染さんがちょくちょく実家に一緒に連れて来ていた人で、何でも、交際相手との見方が強いそうな。まあ、これはその、下世話な話ですが、自分の男を若い女に寝取られた、というのが、ちょっと親子どんぶりにも似た、寝取った女が年端も行かぬ姪っ子であった、という話みたいですね。自分のイイヒトを寝取った泥棒猫にヤキを入れた、という構図みたい。しかし姪の女の子は14歳中学生。40代男性は対児童の条例に違反する疑いが濃いですよねえ。児童である少女を相手に性的関係を持ったのなら、当然、子供の少女よりも、責任は成人男性にあり、悪いのは愛染さんの知人の方だから、この男を責めるのが筋ですよね。ワイドショー番組の文化人コメンテーターたちも口を揃えて、そう言ってました。愛染さんも惚れた弱みで、自分のイイヒトを責めることが出来なかったのだろうか?推測ばかりで勝手なことばかり言うのはよくないでしょうけど、この姪の少女が、札付きの不良娘でもあったのでしょうか?よく解りませんけど、警察官のお父上に若い頃勘当された身の、愛染恭子さんの血をしっかり受け継いでいる、という気もするんですが‥(?)。

 愛染恭子さんというと、懐かしいです。若い頃、よく知ってました。日活ロマンポルノの映画作品にも何本も出ているし、当時、映画の本番女優として話題にもなりました。でも僕は愛染さんが出演した映画は、何故か1本も見ていません。映画デビューは、何と、谷崎潤一郎の名作文芸が原作の、芸術性の高いポルノ作品だったんですねえ。本番というのでは、日本初の本番女優らしい(?)。81年デビューからの80年代、ポルノ映画やストリップで一世を風靡した美人女優でした。そのプロポーションも見事なら、ルックスも可愛さを含んだセクシーな美女。そうか、新入社員だった僕が、職場の上司や同僚と新橋でしたたか飲んで、ひやかしに入ったビニ本屋で、愛染恭子さんのビニール本を買って帰ったのは、70年代末だ。映画デビューの前に、ヌード写真本を出してたんだ。まだビデオが普及する前に、短い期間でしたが、ビニール本という薄い写真集が流行した、ポルノ文化があったんです。まだまだ日活ロマンポルノが隆盛の時代で、AV女優が出現する以前です。家庭用ビデオ機器が普及する前の、短期間の性文化ですね。ビニ本は、10ページから16ページくらいしかなかったんじゃないかなあ。当然、全部見せてる「裏」モノもあったんだと思う。ビニ本専属のモデルおねえさんもいっぱい居た。ロマンポルノ女優やピンク女優と共に、AV女優の前身みたいなものかなあ。ロマンポルノはけっこうしっかりした映画作品だったから、ビニ本モデルのゾーンが、次世代的にAV女優へと繋がって行ったんだろうなあ。と思う。

 僕は、新橋のビニ本屋で、愛染さんのヌード写真集を買って数年後、愛染恭子さん本物自身と直に握手できました。当時、サラリーマンの僕は、東京築地の営業所から群馬太田の営業所へと飛ばされ、その当時、群馬県内にはいくつか、地方のストリップ小屋(劇場)があったようで、太田市内の外れにもあった筈ですが、何処だったかもう忘れちゃってるけど、群馬の外れの田舎にストリップ小屋があり、ドライブがてら何人かで興行を見に行ったことがあります。その時の、そこの劇場の興行のメインに、愛染恭子さんのストリップダンスがあり、演目終了後、その当時歌っていたらしいご自分のレコードを即売していて、僕は綺麗で可愛い愛染恭子さんが好きだったから、歌は全然知らなかったけれど、レコードを買って握手してもらいました。その時は、嬉しかったと思います。あの時、踊りの後に、ご自分の持ち歌を歌ったのかどうか、よく憶えてません。ただ、握手した時のことはよく憶えてます。ちなみにこの時のことは、後は、誰の自動車でどんなメンバーで行って、他にどんな場所に寄ったのか、そういうことは一切、記憶していません。多分、その時のメンバーの誰かが言い出して、劇場だけでなく、多分、あちこちドライブで回ったのでしょうが‥。ストリップ見物だから、メンバーはみんな男でしょうけど。5人は居たような気がする。昔々の話です。愛染恭子さんは綺麗な方でした。今でも写真で拝見する限り、アンチエイジングな美貌のようですが‥。

 そういえば、愛染恭子さんて、若い頃にも公然ワイセツ罪で逮捕されてるんですねえ。多分、ストリップ興行でのことでしょうが、当時のストリップ興行では、公然ワイセツにひっかかる演目は当然の出し物だったでしょう。バンッともろ全部見せないと、お客は入らないですよ。昔、サラリーマン時代、下請けの会社の人や職場の同僚としたたか飲んで、ベロベロに酔っ払って、渋谷道玄坂にあった道頓堀劇場に2回程入った覚えがあります。いづれも酩酊していてふらふらしながら見物したんですが、モロ出しは当たり前、舞台に男性が上がって、いわゆる本番をやってたように記憶しています。警察も時折、抜き打ちで手入れに入っていたようですが。愛染さんも多分、そういうショーで突然、警察の手入れを受け、逮捕されるに至ったんでしょうね。今は、ストリップ劇場ってまだあるんでしょうか?昔に比べればもうほとんど存在しないんじゃあないのかなあ。でも、AV女優さんでストリップの踊り子もやってる、っていうのは聞くから、ストリップ興行はあることはあるんでしょうね。温泉街のストリップ小屋ってあるんだろうか?昔は温泉では必ず付きものだったけど。愛染恭子さんは、日本の性文化の一時代のスターでしたよねえ。

Photo_103  あ、それから、いくら自由恋愛の時代だといったって、大人の、子供相手の性愛は厳しく取り締まってもらいたいです。14歳は子供ですよ。近頃、援交狩り、という新手の青少年による恐喝暴力犯罪が増えているようですが、最近、殺人事件も起こってます。援交狩り、というのはいわゆる昔でいう美人局ですね。青少年のグループが、仲間内の未成年の少女に電話で、客となる男を呼び出させ、寂しい待ち合わせ場所で多人数で、恐喝と暴行に及ぶという、強盗犯罪です。これは、売春の一種といえば、売春に準ずるものの一種なのでしょうが、相手の女が児童に値する少女だと解って行くのは、被害に合う男の方も悪く、自業自得ともいえると思う。成人男子の少女好きも解らないでもないんだけれど、とにかく、児童に値する少女相手の性犯罪は、厳しく取り締まってもらいたいものです。少女を性の相手に遊んだり買ったりするのは、大人の男が絶対悪い。よく、1兆円射精産業、といわれますが、表に出ていない、犯罪性の高いようなこれらの種類の商売も、影に隠れて多いでしょうから、実際の数字は1兆円どころではないのかも知れません。やはり最低18歳以下は駄目ですよ。子供が犠牲になるのは絶対にいけません。18歳以下の少年少女なんて、まだ全然、考えはしっかりしてないんですから。悪い大人に簡単に騙されちゃうし、見せ掛けの派手さや、見せ掛けだけの中身の無いカッコよさ、虚飾に、すぐに全面的に影響されてしまう。子供は大人が守らなければいけないと思います。愛染恭子さんの話から外れてしまってるけど。愛染さんはもう十年も前に、女優業もストリップダンサーも引退しているらしいですね。

 

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