3月8日から6月5日まで国立新美術館で開催されたミュシャ展を6月2日に観に行った。入場券を買う迄40分、会場に入場する迄2時間弱かかるほどの混雑と人気であった。少々遅れた感想だが、私にとっては非常に刺激的であったのでこの印象を残しておきたいと思ったので投稿することにする。
アルフォン・ミュシャは現在のチェコ出身でスラブ民族であったこともあらためて知った。幼少から絵が好きで絵描きを志してフランスに行き、商品ポスター等を描いて生活していたが、彼のリアルでゴージャスな商品ポスターやデザインを見て、当時の劇場の大女優であるサラ・ベルナールから彼女のポスターを依頼されたことを契機に女優ポスター画家として有名となり、膨大な注文を受けて莫大な利益を得たが、同時に多忙を極め体力を消耗した。
フランス時代のミュシャ
我々が知っているミュシャの絵というと、この時代の優雅な女性を花や植物でデザインした画家である。女性は美人ばかりで女性の姿を太い輪郭線と曲線で優雅に表現する手法に、私は今迄の油絵の範疇に入らない魅力を感じていたし、日本画の筆使いとの類似性を感じていた。まさにこの絵画手法がアールヌーボー時代の幕開けとなったのである。
ジスモンダ カーネーション
裕福になり財産を築いたが多忙で疲弊したミュシャは1910年50歳になり故郷のチェコ・プラハに戻った。当時のチュコはドイツ・ハプスブルグ家の支配下にあり、民族は圧政の元で苦難な生活をしていた。ミュシャはこの民衆の為に絵を描こうと「スラブ叙事詩」をテーマとした絵画制作の目標を定め、生涯を捧げたのである。
スラブ叙事詩制作中のミュシャ
ミュシャが制作した「スラブ叙事詩」の絵画は幅8M,高さ6Mから10Mと通常の油彩画の規格を大きく超える大作ばかりで、鑑賞するのはかなり離れて見る他なかった。従って会場も順番に捕われないで自由に鑑賞できるような配置になっていた。しかしながらこれらの大作がはじめて海外に出て鑑賞できたのは幸運だった。制作には空いているお城(スビロス城)をアトリエとして借切って数ヶ月かかって1枚を描いたということや画面に出てくる人物は全て民衆に衣装を着せてスケッチしたことも聞いた。
原故郷のスラヴ民族 スラヴ民族の賛歌
作品それぞれの感想は記述できないが、大画面の主役や中心が全て民衆であり、支配者に対する怒りや不安を訴えており、幸福な生活や未来を求めて何かを訴えている表現であった。従って決して楽しい絵でなく緊迫感のある画面ばかりであった。
油彩画の表現方法については、全体に薄塗りのようで褐色系の画面が多く画面の上の方から明るさを効果的に表現する構図が参考になった。そして重厚な戦場の画面にも死人や血なまぐさい血の色はどこにも見当らなかった。
大画面の中心は常に民衆(後ろ向き)
民衆の目線は左側にいる演説者を観ているが・・・
今回の展覧会を観て、私はミュシャをデザイン画家としてしか認識していなかったことを大いに反省した。彼はスラブ民族の苦難と体制への抵抗を訴えた「歴史画家」であった。そして自分の絵画と残りの生涯を民族に捧げた信念の画家であった。私は絵画には必ずその画家の物語りがあると思ってきたが、正にミュシャはその典型的な画家であった。
この崇高な思想をもった画家であったが、第一次世界大戦のナチス・ドイツ軍に捕われて獄中で生涯を閉じた。78歳であった。おそらく苦しまず静かに天に召されたのではないでしょうか。