Freddyとはまだこっちに住む前、ちょくちょくNYに遊びに来てた頃に知り合った。Freddyはかずちゃんと一緒にWithout a traceというバンドをやっていたのだ。
私がちょうどこっちに引っ越して来た時にそのバンドのキーボーディストがやめる事になったみたいで、私もそのバンドに参加することになった。
まだNYの右も左もわからない頃から、Jamaica Queensと呼ばれるいわゆるFunk発祥の地・・・かどうか、でもやったらミュージシャンが多い濃いい地区に通う事になる。マンハッタンからはFかE trainに乗って終点。
余談ですが、Jamaicaのミュージシャンコミュニティはやたらしっかり(?)していて、みんな知り合いか?くらい認知し合っている。私もこっちに来て色んな人と演奏したけど、名前を出すと「あ~、○○ね。Friendだよ」とつながるつながる。結構Small worldなんだな~。
さてさて、Freddyに話題を戻して・・・彼はほんと私に良くしてくれます。
なんつーか、ノリが合う? 言葉がわからなくてもなんとなくお互い思ってる事がわかったり、まぁ主に悪い事なんだけどね(笑)
おもろいよー。この人ほんと。わるいよ~~。
今ではバンド以外でもよく一緒に仕事してるんですが、そんなFreddyが紹介してくれたのがLALA。
私は彼女の事を知らなかったんだけど、彼女はこっちではとっても有名なシンガーでした
シンガーだけでなくコンポーザー、プロデューサーとしても。あのホイットニー・ヒューストンのデビュー曲「You give ood love」は彼女の作曲。その後ホイットニーのバックコーラスとしても活躍された。まぁ昔の話を聞くと大物が出てくる出てくる!!
LaLaは25年前にミュージックビジネスの世界に本当に嫌気がさし、一切の活動を停止したそうな。
そんな彼女がFreddyのライブで演奏している私を見て「彼女と一緒にやりたい」と言ってくれたです
というわけで、今日は彼女のおうちに行ってリハーサル・・・というか音合わせ?みたいな事してきました。
お!日本版の彼女のCD
若き頃
そして今。
LaLaもFreddyもほんと子供みたいで、あほちゃうか~~~!!みたいに面白い。二人で踊り出しちゃったり。コントみたいな事始まったり。
「もうピアノも全然弾いてないし、歌うのもほんとナーバスになるわ~~」
といいつつ、鍵盤の前に座ると自然に手がコードを押さえて歌が出てくる。
いやあ、ほんとに素晴らしい!!Freddyと目合わせて「Oh my god」
そうそう、LaLaは日野 皓正さんの「Detour」というアルバム中の数曲もプロデュースされてるんですよ。歌も歌っているそう。
その為に日本に滞在した間に覚えた日本語。
「ハイ」「オツカレサマデシター」
なんか、ふと、LaLaとFreddyとこうして一緒にいる自分を客観的に見て、自分は本当に新しい世界に来たんだな、と思った。
そしてこれからどんな世界に行くのだろうか。。
日本にいた時は「外人」って思ってたこの人たちと、今はこの人たちのPlaceで共に音楽を作っている。
なんか不思議ね。
結婚する前にかずちゃんが
「外国に住むという事は、大変な事も多いけれど、日本にいる自分とアメリカにいる自分、2つの世界が持てて面白いよ。」
と言ってたのが印象的だった。
今は、良くわかる。
アメリカにいようがどこにいようが、私は日本で生まれ育った日本人であることは変わらない。
やっぱり彼らとは違う。これはきっと何年、何十年住んでも変わらないんだろうな。実際周りの日本人そうだし。
まぁ、私の場合しょっちゅうジャパン帰ってるしねー。
でも、そうやって心に故郷を思い、日本人である事に誇りを感じながら、この刺激的で自由な、いい加減で不便なNYで暮らして行く。
面白いよ、ほんとに。
なんか人生どう転ぶのか成り行きに任せる、というと受け身で消極的に聞こえるかもしれないけれど、「受け入れる」というのは時には挑戦することに値するわけで、勇気を持って流れに身を任せて行きたいな、と。そしたら案外面白い一生が送れるんじゃないかなー、なんて思う今日この頃なわけです。
なーんて言ってるうちにもう3時を回りました。
もう寝な
おやすみぃぃ