巷には、「ニセ科学」を利用した怪しい商売や宗教が至る所に発現している。一見、科学的成果をうたい文句にして、客観性を装っているが、実は根拠がないのである。
有名なのは、「水商売」。アルカリイオン水、水素還元水など未だその手の水に関するビジネスは尽きることはない。宗教界でも、御神水ビジネスが問題になったことがある。体にいい、○○病が治るなどといった科学的データがあたかも存在するかの様な商売は、収益が馬鹿に出来ないらしい。中でも、透析患者が透析する必要がなくなる効用をうたったものは、見過ごすわけにはいくまい。
こうした非合理主義の考え方は、人々から思考力を奪うことでは、スピリチュアリズムや、ネット右翼に多大な影響を与えている小林よしのり氏らの言動と同じ次元にある。ファシズムへの道標ともなる危険性をも帯びている。
今日、24日付の朝日新聞生活欄「ぎもん解決モンジロー」に「ニセ科学」への警戒を呼びかける記事が載っていた。「霧状のマイナスイオンは本当に体に良いのか?」という購読者の質問に答えるものだった。もちろん、マイナスイオンの効果は科学的根拠がないものだ。こうした「ニセ科学」が蔓延する根本にあるものの一つに、科学者の言い方に対する一般人のの受け止め方があることを京都女子大の小波秀雄教授(化学)が指摘している。科学者は、「○○は絶対にありえない」という表現を使わない傾向にある。そして、一番不可能に近い証明として「不可能証明」を挙げている。例として「陸上に住む金魚はいない」ということを挙げて説明している。この命題を証明するために、すべての金魚を捕獲して調べることは不可能である。一般人が「いるわけはない」と言っても、科学者は厳密に「完全にないとは言えないが、おそらくないだろう」と表現するという。実際は、そうは言っても内容は、ほぼ「絶対ない」ということを意味しているのだが、このことを「おそらくないということは、あるかもしれない」と受け止める人がいて、それが「エセ科学」で利用されるのだ。
教授によるこうしたギャップの例示は「エセ科学」に騙されないための参考になる。
☆科学者が「絶対ないんだよ」と言いたいことも「~はほとんどない」と表現される。しかし、一般の受け止め方は、「やっぱ、あるんや!」となる。
☆科学者が「起こるわけないんだよ」と言いたいことも「~は確率的に極めて低い」と表現される。しかし、一般の受け止め方は、「やっぱ、起きるんや!」となる。
科学者の言っていることを、ちゃんと一般人向けの表現に翻訳して、「エセ科学」に騙されないようにしなければならない。教授によれば、騙されない眼力を高める一番の方法は、うまい話には要注意ということ。「『がんやアトピーが治る』と言われたら、その瞬間にその話を信じるのをやめた方がいい」とのことだ。
阪大の菊池誠教授(物理学)の話も載っているので、是非、機会があったらその記事を読んでみてください。世の中では、科学を装った「エセ科学」が善良な市民を狙っているということは忘れないことです。
有名なのは、「水商売」。アルカリイオン水、水素還元水など未だその手の水に関するビジネスは尽きることはない。宗教界でも、御神水ビジネスが問題になったことがある。体にいい、○○病が治るなどといった科学的データがあたかも存在するかの様な商売は、収益が馬鹿に出来ないらしい。中でも、透析患者が透析する必要がなくなる効用をうたったものは、見過ごすわけにはいくまい。
こうした非合理主義の考え方は、人々から思考力を奪うことでは、スピリチュアリズムや、ネット右翼に多大な影響を与えている小林よしのり氏らの言動と同じ次元にある。ファシズムへの道標ともなる危険性をも帯びている。
今日、24日付の朝日新聞生活欄「ぎもん解決モンジロー」に「ニセ科学」への警戒を呼びかける記事が載っていた。「霧状のマイナスイオンは本当に体に良いのか?」という購読者の質問に答えるものだった。もちろん、マイナスイオンの効果は科学的根拠がないものだ。こうした「ニセ科学」が蔓延する根本にあるものの一つに、科学者の言い方に対する一般人のの受け止め方があることを京都女子大の小波秀雄教授(化学)が指摘している。科学者は、「○○は絶対にありえない」という表現を使わない傾向にある。そして、一番不可能に近い証明として「不可能証明」を挙げている。例として「陸上に住む金魚はいない」ということを挙げて説明している。この命題を証明するために、すべての金魚を捕獲して調べることは不可能である。一般人が「いるわけはない」と言っても、科学者は厳密に「完全にないとは言えないが、おそらくないだろう」と表現するという。実際は、そうは言っても内容は、ほぼ「絶対ない」ということを意味しているのだが、このことを「おそらくないということは、あるかもしれない」と受け止める人がいて、それが「エセ科学」で利用されるのだ。
教授によるこうしたギャップの例示は「エセ科学」に騙されないための参考になる。
☆科学者が「絶対ないんだよ」と言いたいことも「~はほとんどない」と表現される。しかし、一般の受け止め方は、「やっぱ、あるんや!」となる。
☆科学者が「起こるわけないんだよ」と言いたいことも「~は確率的に極めて低い」と表現される。しかし、一般の受け止め方は、「やっぱ、起きるんや!」となる。
科学者の言っていることを、ちゃんと一般人向けの表現に翻訳して、「エセ科学」に騙されないようにしなければならない。教授によれば、騙されない眼力を高める一番の方法は、うまい話には要注意ということ。「『がんやアトピーが治る』と言われたら、その瞬間にその話を信じるのをやめた方がいい」とのことだ。
阪大の菊池誠教授(物理学)の話も載っているので、是非、機会があったらその記事を読んでみてください。世の中では、科学を装った「エセ科学」が善良な市民を狙っているということは忘れないことです。
僕の口から「絶対」なんて言葉は、ほぼ出ませんもん。
でもそれが誤解を招いたり、「ほぼ起こらないこと」を起こるように思わせたり…
そういう点では、科学者と市民の間にワンクッション、通訳者が必要なのかもしれませんね。
科学者は、学問の世界では謙虚なんですね。「絶対」という言葉のいかがわしさはもじっとさんの感覚が自然なのですね。どうしても、一般社会では、論争に熱が入ると「絶対」という言葉をつい使いたくなります。
皆さんには叱られますが、肩書きで仕事をする人も、肩書きを付けたがる人も、同様に扱っております。
人の性質によるのでしょうが、社会的に名前が売れ始めるとどんどん前述したことを増やしたがる人が多いように感じます・・・これも日本特有の身についた教育(学校教育にあらず)がほとんど消滅しかかってるかもしれませんね。
そこで、経済の専門家と称する人が、農業への大企業の参入、株式会社化などを、実情も知らずに声高に主張するようなことが起こっています。いままでも、大企業が農業分野に進出しようとしてことごとく失敗しています。
地に足をつけた教育が今こそ求められているのではないでしょうか。
isaさんの問題提起には、いつも考えさせられます。
科学者が「おそらくないだろう」という言い方をするのは、自分がある事柄の全てを調べつくすのが(本文中では金魚の話)無理だからです。科学者というのは、自分の知らないところに何があるか分からない、だから自分の知識や経験を絶対視しないのです。だから、「絶対」という言葉を使いたがりません。それが科学者独特の言い回しが生じる一つの原因です。
しかし、科学者が「絶対に」ない、といわないからといって「やっぱりあるじゃん」と決め付ける理由にはなりません。ある事柄が存在すると決め付けるためには、万人に納得する方法で証明しなければいけません。
不存在証明の如き悪魔の証明を求める御仁の言い分にはまともに耳を傾けないほうがよろしいでしょう。
知は力なり、弁証法的唯物論をしっかり学びたいです。
化粧品や美白・エステを謳う商品など、科学とは似てもいないものが、売れるのはなぜかと、疑問が絶えません。
ナノ技術で、化粧品が皮膚から浸透するなども、嘘と思います。
エセ科学というより、詐欺に近いと思ってしまいます。
被害にあってみないと、それが解らないなんて、情けないより商品を売る人の感性が信じがたいです。
エステで命を落としてからじゃ遅いのに。売る側のセンスがひど過ぎて、いつも怒りがわくのです。
コラーゲンも、口から入れれば、体内で分解されてしまうのに、盛んにサプリメントとして売られています。
gmegさんの怒りは当然だと思います。そして、不思議なのはそうした商品の値段の付け方です。テレビの通販などでの宣伝費用を考えても、原価はかなり低いのではないでしょうか。