玉野の1枚

随時玉野の紹介をします。

北前船エクスカーション

2017年07月14日 09時09分27秒 | 観光
14日~15日と北前船フォーラムが岡山県で開催される。 参加者の中で、20人強のお客さんが玉野市を訪れる。 北前船は、江戸中期から明治の初めにかけての船による物流を担っていたそうだ。
明治30年ごろの宇野地区(現在は宇野港や宇野駅がある。)で、一面塩田であった。



北前船は、潮待ち、風待ちで日比港や、出崎港等に立ち寄っていた。江戸時代岡山藩指定の加子浦(胸上地区)からは、塩、織物、醤油などの産物が上方へ向かっている。
京都からは、化粧地蔵の風習が伝わっている。



各地に鉄道が敷設され、物流は鉄道へと変化し、北前船は衰退したんだろう。
今から120年ほど前(明治34年)山陽鉄道が全線開通。3年後には讃岐鉄道を買収し、明治42年には宇野港が完成。
第8代の岡山県知事の功績は大である。



明治43年には宇野線開通と同時に宇高連絡船が就航した。 今はその遺構が残るのみになっている。



そして、多くの諸先輩が玉野市の未来のため、ポールネ21計画、都市再生事業、中心市街地活性化事業・・・たまの版CCRseaもっとあるかも?
今の宇野港がある。

平成22年第1回瀬戸芸のオブジェ「宇野のチヌ」が完成。このチヌ、夜もなかなかいいもんだ。



そして、宇野港の夜もぜひともご案内したい。(今回のエクスカーションはご案内できないが)



昨年10月末には宇野のチヌに子どもが生まれ、コチヌと名付けられ、多くの人達の人気者になっている。



エクスカーションで宇野港を訪れる人たちには、昼間の宇野港のほんの一部の案内となる。
次回は、もっとゆったりと時間をかけ、夜の宇野港も見ていただきたい。
心のこもった「お・も・て・な・し」をすれば・・・リーピーターや、お帰りになって、宇野港のことを広く宣伝してくれると強く思っている。ガ・ン・バ・ラ・ナ・ク・ッ・チ・ャ
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