【筆者記】
総選挙は生活だけをよくする為につまり生活第一の優劣だけを決めるだけの選挙だったのだろうか。
この国をどのようにして導いていくのか、国際社会の中で日本はどこに行ってしまうのか、この国政でこそやるべきテーマに対してほとんど議論がされなかった今回の総選挙、生活は大事です、大切です、しかし自分たちの生活がどのようになっていくのかと言う論戦の中に少しぐらいは国の行く末を論じてもおかしくはない。
国政だからこそ語らなければいけないこの国の行く末に一言も語れなかった選挙、政策なき政権交代ありきの今回の選挙は決して民主党の大勝利で終わったわけではありません。
事実、選挙後の共同通信の全国緊急電話世論調査では政権交代することについて「よかった」は49.2%、「どちらともいえない」が42.3%となった。自民党の惨敗についても「どちらともいえない」が47.2%、「よかった」は44.8%だったそうだ。
おれは共同通信の調査などほとんど信用はしていないが、これだけの大差のついた選挙結果であるにもかかわらず自民党の惨敗について国民は半信半疑のようだ。
これは裏を返せば、国民は長期の自民党支配体制の歪みそしてマンネリ化に拒否をしたがそれに取って代わる民主党に対しては必ずしも支持をしているわけではないようだ。
戦後、荒廃した日本を世界の経済大国に押し上げ、奇跡を作った政府自民党、しかし、今の今日になっても国民に勇気と希望を与えることが出来なかった。
いや国民を説得させることが出来なかった。怠慢・自業自得。なんとむなしく響く愚かな言葉か。
「政権交代」と言う言葉は非常に新鮮だ、閉塞感を感じる社会にとって、国民の胸にピューンと来るアピールだ。
それに輪をかけるようにマスコミの自民に対するバッシングの嵐、あらら、とうとうヒステリーを起こした国民。
英語もマトモに話せないのに、猫も杓子もチェンジ!チェンジ!チェンジ!
呆れたことに「Yes We Can 」だ。
まったく政権交代後の日本が見えてこないのに。でも、どうでもいいや。そう言って国民は嘆く。
おいおい、なんや、ついに自暴自棄かいな。
マスコミが誘導し、政策なき総選挙は二大政党制という作為的に作られた対立軸の中で、一方的に悪者と決め付けられた自民党に対して、社会主義イデオロギー政党を除く党であればどのような政党であったとしても勝利し得たのだ。
政権公約は財源がなくても国民が喜ぶことを書けばいい、それが嘘であろうがなんだろうがなんでもよかったのだ。
だからこそ、政党の命でもある政権公約が簡単に修正・訂正されたりする。
選挙において有権者に政策本位の判断を促すことを目的として当選後に必ず実行しなければいけない政策だったはずなのに。
これがもし、イギリスやドイツであるならば裁判沙汰になっていたことだろう。
いや、イギリスでは店頭に並べられてしまった有料のマニフェストを修正することは不可能だ。
しかし、この国の民はなんら疑問に思わない、危機感のない国民にとってそんなことは小さなことなんだろう。どうでもいいことなんだ。財源なき子育て支援か。
財源は?財源は?子ども手当の予算は約5兆5千億円というが答えようともしない。ただ何とかなりますよの一点張り。
大それたこの予算。 4兆8千億円の防衛予算が霞んでみえる。
たまげたことに財源がなければ「謝ればいい」と言い放った奴がいる。
民主党最高顧問の藤井裕久さん、本当に頭は大丈夫ですか。
民主党のマニフェスト「いっぱいお金を上げるよ、欲しい方はこの指、とーまれ」と言うことか。なるほど了解だ。
ふと、マジシャンのセロを思い出した。不思議だよな、何もない手からコインが溢れ落ちる。
やはり、我が日本の国民は純朴でいい。感激・感動・そして涙。
この情緒が優先する日本では政権公約などは必要がありません。言うなればマニフェストなど新聞折込のチラシの類(たぐい)だと言っていい。
であるならば今回の選挙結果はブーム・流行で終わったのか。
であるならば与党になった政党は次回の選挙では大敗北もありと言うことだ。
今回の総選挙、ただただ、野党は政権政党を批判し、それにマスコミも加わることで全体主義的な流れ現象を作り、勝敗が決した。
いつものことだ。ただそれだけ。
マスコミが作った「おぼん」の上でマスコミが仕掛けた揺さぶりで蒔かれた米粒がまるで雨粒のように踊る。
気がつけば一片に集まり、米櫃(米びつ)に押し込められた。
中は真っ暗闇、おーい開けてくれ!!と叫んでももう遅い。
ひとつの米粒だけが床に落ちている。なにか平沼赳夫さんに連絡を取ってくれてるらしい。
自民党に復帰するであろうと言われる平沼氏、条件つきの交渉はどうなるのか。
平沼赳夫さん!今、あなたの力が必要だ、だからこそ、今すぐにでも米櫃(米びつ)をあけてくれませんか。
←ちょっと押してね♪
←ちょっと押してね♪
総選挙は生活だけをよくする為につまり生活第一の優劣だけを決めるだけの選挙だったのだろうか。
この国をどのようにして導いていくのか、国際社会の中で日本はどこに行ってしまうのか、この国政でこそやるべきテーマに対してほとんど議論がされなかった今回の総選挙、生活は大事です、大切です、しかし自分たちの生活がどのようになっていくのかと言う論戦の中に少しぐらいは国の行く末を論じてもおかしくはない。
国政だからこそ語らなければいけないこの国の行く末に一言も語れなかった選挙、政策なき政権交代ありきの今回の選挙は決して民主党の大勝利で終わったわけではありません。
事実、選挙後の共同通信の全国緊急電話世論調査では政権交代することについて「よかった」は49.2%、「どちらともいえない」が42.3%となった。自民党の惨敗についても「どちらともいえない」が47.2%、「よかった」は44.8%だったそうだ。
おれは共同通信の調査などほとんど信用はしていないが、これだけの大差のついた選挙結果であるにもかかわらず自民党の惨敗について国民は半信半疑のようだ。
これは裏を返せば、国民は長期の自民党支配体制の歪みそしてマンネリ化に拒否をしたがそれに取って代わる民主党に対しては必ずしも支持をしているわけではないようだ。
戦後、荒廃した日本を世界の経済大国に押し上げ、奇跡を作った政府自民党、しかし、今の今日になっても国民に勇気と希望を与えることが出来なかった。
いや国民を説得させることが出来なかった。怠慢・自業自得。なんとむなしく響く愚かな言葉か。
「政権交代」と言う言葉は非常に新鮮だ、閉塞感を感じる社会にとって、国民の胸にピューンと来るアピールだ。
それに輪をかけるようにマスコミの自民に対するバッシングの嵐、あらら、とうとうヒステリーを起こした国民。
英語もマトモに話せないのに、猫も杓子もチェンジ!チェンジ!チェンジ!
呆れたことに「Yes We Can 」だ。
まったく政権交代後の日本が見えてこないのに。でも、どうでもいいや。そう言って国民は嘆く。
おいおい、なんや、ついに自暴自棄かいな。
マスコミが誘導し、政策なき総選挙は二大政党制という作為的に作られた対立軸の中で、一方的に悪者と決め付けられた自民党に対して、社会主義イデオロギー政党を除く党であればどのような政党であったとしても勝利し得たのだ。
政権公約は財源がなくても国民が喜ぶことを書けばいい、それが嘘であろうがなんだろうがなんでもよかったのだ。
だからこそ、政党の命でもある政権公約が簡単に修正・訂正されたりする。
選挙において有権者に政策本位の判断を促すことを目的として当選後に必ず実行しなければいけない政策だったはずなのに。
これがもし、イギリスやドイツであるならば裁判沙汰になっていたことだろう。
いや、イギリスでは店頭に並べられてしまった有料のマニフェストを修正することは不可能だ。
しかし、この国の民はなんら疑問に思わない、危機感のない国民にとってそんなことは小さなことなんだろう。どうでもいいことなんだ。財源なき子育て支援か。
財源は?財源は?子ども手当の予算は約5兆5千億円というが答えようともしない。ただ何とかなりますよの一点張り。
大それたこの予算。 4兆8千億円の防衛予算が霞んでみえる。
たまげたことに財源がなければ「謝ればいい」と言い放った奴がいる。
民主党最高顧問の藤井裕久さん、本当に頭は大丈夫ですか。
民主党のマニフェスト「いっぱいお金を上げるよ、欲しい方はこの指、とーまれ」と言うことか。なるほど了解だ。
ふと、マジシャンのセロを思い出した。不思議だよな、何もない手からコインが溢れ落ちる。
やはり、我が日本の国民は純朴でいい。感激・感動・そして涙。
この情緒が優先する日本では政権公約などは必要がありません。言うなればマニフェストなど新聞折込のチラシの類(たぐい)だと言っていい。
であるならば今回の選挙結果はブーム・流行で終わったのか。
であるならば与党になった政党は次回の選挙では大敗北もありと言うことだ。
今回の総選挙、ただただ、野党は政権政党を批判し、それにマスコミも加わることで全体主義的な流れ現象を作り、勝敗が決した。
いつものことだ。ただそれだけ。
マスコミが作った「おぼん」の上でマスコミが仕掛けた揺さぶりで蒔かれた米粒がまるで雨粒のように踊る。
気がつけば一片に集まり、米櫃(米びつ)に押し込められた。
中は真っ暗闇、おーい開けてくれ!!と叫んでももう遅い。
ひとつの米粒だけが床に落ちている。なにか平沼赳夫さんに連絡を取ってくれてるらしい。
自民党に復帰するであろうと言われる平沼氏、条件つきの交渉はどうなるのか。
平沼赳夫さん!今、あなたの力が必要だ、だからこそ、今すぐにでも米櫃(米びつ)をあけてくれませんか。

