【筆者記】
暖冬続きの韓国で、気象庁が先の26‐28日の週末に大雪が降ると予報したものの、これが大外れ。予報を基にレジャーやビジネスを見送って損害を被った国民の怒りが収まらず、同庁への抗議が続いていると言います。
同庁は25日、26日朝から全国的に大雪で気温も氷点下との「特報」を出し、ソウルでは10センチの大雪と予報したそうです、そしてしなくてもいいおせっかいな注意勧告を出し、国民に郊外へのレジャーなどを控えるよう促したそうです。
しかしこれが大はずれ、26日朝からの降雪はほとんどなく、ソウルでは0.1ミリ。気温に至っては、全国的に平年値を上回ったのです。
さてこれに怒った視聴者、韓国気象庁に猛抗議、全国に火病旋風が吹き荒れています。「予報を信じコンテナ輸出を3日延期した。損害はあまりにも大きい」「二度と見られない公演を前日にキャンセル。気象庁が再公演を主催してほしい」。レジャー施設の入場者は減少、国内ツアーのキャンセル率が40%に上った旅行社も。遠出を断念した夫婦らからは「子どもたちに嫌われた」との苦情が寄せられているそうてす。
たかだか予報、所詮予報です、こんなことで「子どもたちに嫌われた」など韓国気象庁に責任を転嫁する、この国民の民度の低さに私はもう自爆しそうです、気象台のレベルの問題もありますが全てを鵜呑みにし、それが外れたからと言って被害を被った、弁償しろ、責任を取れ、私はこの記事を読んでこの民族のおぞましさに過去の卑屈な民族性をあらためて考えざるを得ませんでした。
そしてこの予報が外れた韓国気象台のコメントがなんともいえない内容です。「予報の前後に受ける心理的圧迫の大きさを理解してほしい。予報官にとっては、好天を予報し荒天になった場合に生じる事故の危険と国民からの非難の大きさを考えると、多少オーバーでも荒天と予報しておいて好天になる方が、被害も心理的圧迫もはるかに小さい」これじゃ予報のレベルと言うより予報官のレベルの問題ですね。大げさに国民に伝え、その結果、予想外の好結果があればそのほうがよほど言いということですね、これでは天気予報ではありません。この韓国と言う国は今まで日本に対してもこのようなことで外交戦略を取ってきたのでしょう、これが韓国の国民性なんです、大げさに言いふらし、そして国民もそれを信じ、予想外の結果であれば暴れまくる。今回の韓国の出来事は単に気象だけの問題ではなく韓国の国民性がよくわかる事件でした。
さて、韓国の盧武鉉の訪日問題で、大統領と閣僚が最近になって、日本の歴史認識を改めるべきとの考えを相次いで表明し、その歴史認識を訪日の「条件」にしようとする動きがあります。韓国政府が対日問題をこのように取り上げるのは盧武鉉の支持率が10%をきり、何とか日本敵対視政策を再度持ち上げることで韓国国民を大統領側に向わせる戦略を取っているのですが、しかし韓国では盧武鉉の軽率な言動や正気を逸した憲法改正問題で政争が激しさを増し、政府がこのような対日政策をとっても国民の雰囲気はすでに盧武鉉から離れており、大統領が納得できる訪日環境は出来ないだろうとの指摘も出始めています。
「日本は過去の歴史を直視し、謝罪し未来へ向うことだ」そして、30日の韓国紙、京郷新聞の会見で訪日には「環境が整わなければならない」これは宋外交通商相が言った言葉です。なにを言っているでしょうか、誰がこの国と一緒に未来に向わなければいけないのでしょうか、これは新しいタイプの国家ストーカーですね、日本はいやなんです、こんな国と一緒に未来に行くことなどありえるはずがありません、こんなことをいつまでも引っ張り出して他国の足元をみて、批判をしながら高飛車に出ることでイニチアブを握り、くっついてくる、北朝鮮は恫喝と脅迫で支援をを取ろうとする「物乞い国家」韓国はいつまで経っても過去のしつこいくらいの批判で日本の情緒を奪い取ろうとする「物乞い国家」ここに国家と言うより朝鮮人としての精神的構造が垣間見えます。本当にいやな嫌われ者タイプの半島国家です。
韓国の北朝鮮化を目指している盧武鉉大統領は25日の記者会見で「なぜ日本だけが特別に過去の問題を黙殺しようとするのか」と批判をしました、韓国政府は、日本の有力政治家が靖国神社を参拝することなどを韓国は「謝罪と否定の繰り返し」と受け止めていると指摘し「日本に具体的な行動は要求しないが態度が変わることを待っている」といっているそうです。本当に悲しい国家いや悲しい民族です、逆に韓国の態度が変わることを要求したいと思います。国によってこんなに差があるのか、私はいつもインドネシアをあげて韓国と言う国を比較します。
特に従軍慰安婦の問題です。過去に悪徳弁護士の高木健一弁護士らは1993年にインドネシアを訪れ、地元紙に「補償のために日本からやってきた、元慰安婦は名乗り出て欲しい」という内容の広告を出したことがあります。
それが少しの誤解で『名乗り出れば200万円(インドネシア通貨に変換すれば2億円相当)が貰える』と宣伝されてしまい、2万人を超える自称・慰安婦が集まりました。
しかし日弁連の行為は当のインドネシア人から批判が相次ぎ、さらにインドネシア慰安婦の証言で慰安婦募集をしていたのは朝鮮人の売春業者であることが発覚したのです。
当時のスエノ社会大臣は事件を焚きつけた日本人達(共産党・朝日新聞・日弁連ら)に対して次の声明を発表しました。
インドネシア政府は、この問題で補償を要求したことはない。
しかし日本政府(村山首相)が元慰安婦にお詫びをしてお金を払いたいというので、いただくが、元慰安婦個人には渡さず、女性の福祉や保健事業のために使う。
日本との補償問題は、1958年の協定により、完結している。
高木健一弁護士は韓国慰安婦の賠償請求訴訟も担当している人権派で善意の行為だったのかも知れない。そして彼らが証拠として映したものを見てインドネシアから返された評価は下記の通りです。
「ばかばかしい。針小棒大である。一人の兵隊に一人の慰安婦(インドネシアに居た日本兵は約2万人だった)がいたというのか。どうしてインドネシアのよいところを映さない。
こんな番組、両国の友好に何の役にも立たない。我々には、日本罵倒体質の韓国や中国と違って歴史とプライドがある。
「お金をくれ」などとは、360年間、わが国を支配したオランダにだって要求しない。」
ちなみに日本と韓国は日韓基本条約で個人の補償問題は解決済み。そんなことをわかっていながら村山トンチンカン首相は当然、アジア女性基金の理事長の村山富一元首相でもあるが、解決済みだということは知っていて黙っていたはずです。(日本では日韓会談の文書は、01年に施行された情報公開法により一般公開)
でっち上げ、捏造された従軍慰安婦問題で日本人がインドネシアを訪れ、けしかける、いかに反日運動家が今まで暗躍していたかわかると思います。
私はビジネスで1995年に始めてベトナムのホーチミン(旧サイゴン)を訪れました。
1975年に北ベトナム政府は、アメリカの再介入の恐れがないと判断し、1975年3月10日にパリ協定に違反して南ベトナム軍と米軍に対し全面攻撃を開始した。いわゆるホー・チ・ミン作戦です。
北ベトナム軍が全面攻撃を開始し、サイゴンが陥落(4月)が陥落しました、その20年後、私は終戦20周年式典をやっているサイゴンの地にいました。色とりどりの花、なんと美しい国だろうか、目の前をベトナム軍が行進していきます。南ベトナム軍と米軍が使っていた建物、統一会堂(旧大統領官邸)は記念館として公開されていました、中央郵便局やベンタイン市場などを友人と二人で町をぶらぶらしているうちに私たちは驚くものを見てしまったのです。なんとそれは米国の企業がすでにベトナムに進出していることでした。私はどうしてもその会社を見たくなり、現地のガイドにアポイントを取ってもらい訪問をしました、いろいろな質問をしたものです、反米意識はないのか、あれだけ悲惨な戦争で300万にとも言われるベトナム人が死んだことへの米国に対する憎しみや拒否感など多くの質問をベトナム人の担当者にしたことを覚えています。ここで多くを書けませんが一つ印象に残った言葉がありました、それは「過去は過去だ、ベトナムの将来を考えた時、今こそ、過去を忘れ、米国の力が必要です、ドムオイ政策はベトナムにとって米国の経済支援は必要なんです、技術支援がぜひとも必要です」担当者はニコニコしながら私たちに答えました。だれもベトナム戦争を忘れてはいないはずです、しかしベトナムと言う国家の発展のために過去を払いのけ、新しいベトナムを建設する意欲と姿勢には驚いたものです。
いつまでも過去を引きずり、相手国の「あげ足」をとり、そのねたで国家をまとめるしか出来ないない国、今なお、反日教育を繰り返し、小学生に韓国人が日本人を足蹴りをする絵を描かせる、ひねくれた民族国家、大韓民国、こんな国に未来永劫、明日はありません。いや今は大韓でなく、大寒民国のなにものでもありません。
今、日本は韓国と違う別の未来を描き、まい進していかなければいけません、東アジア共同体、いったいそれは何なんでしょうか、言っていること自体が未来志向ではありません。日韓友好など、とんでもないことです。
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暖冬続きの韓国で、気象庁が先の26‐28日の週末に大雪が降ると予報したものの、これが大外れ。予報を基にレジャーやビジネスを見送って損害を被った国民の怒りが収まらず、同庁への抗議が続いていると言います。
同庁は25日、26日朝から全国的に大雪で気温も氷点下との「特報」を出し、ソウルでは10センチの大雪と予報したそうです、そしてしなくてもいいおせっかいな注意勧告を出し、国民に郊外へのレジャーなどを控えるよう促したそうです。
しかしこれが大はずれ、26日朝からの降雪はほとんどなく、ソウルでは0.1ミリ。気温に至っては、全国的に平年値を上回ったのです。
さてこれに怒った視聴者、韓国気象庁に猛抗議、全国に火病旋風が吹き荒れています。「予報を信じコンテナ輸出を3日延期した。損害はあまりにも大きい」「二度と見られない公演を前日にキャンセル。気象庁が再公演を主催してほしい」。レジャー施設の入場者は減少、国内ツアーのキャンセル率が40%に上った旅行社も。遠出を断念した夫婦らからは「子どもたちに嫌われた」との苦情が寄せられているそうてす。
たかだか予報、所詮予報です、こんなことで「子どもたちに嫌われた」など韓国気象庁に責任を転嫁する、この国民の民度の低さに私はもう自爆しそうです、気象台のレベルの問題もありますが全てを鵜呑みにし、それが外れたからと言って被害を被った、弁償しろ、責任を取れ、私はこの記事を読んでこの民族のおぞましさに過去の卑屈な民族性をあらためて考えざるを得ませんでした。
そしてこの予報が外れた韓国気象台のコメントがなんともいえない内容です。「予報の前後に受ける心理的圧迫の大きさを理解してほしい。予報官にとっては、好天を予報し荒天になった場合に生じる事故の危険と国民からの非難の大きさを考えると、多少オーバーでも荒天と予報しておいて好天になる方が、被害も心理的圧迫もはるかに小さい」これじゃ予報のレベルと言うより予報官のレベルの問題ですね。大げさに国民に伝え、その結果、予想外の好結果があればそのほうがよほど言いということですね、これでは天気予報ではありません。この韓国と言う国は今まで日本に対してもこのようなことで外交戦略を取ってきたのでしょう、これが韓国の国民性なんです、大げさに言いふらし、そして国民もそれを信じ、予想外の結果であれば暴れまくる。今回の韓国の出来事は単に気象だけの問題ではなく韓国の国民性がよくわかる事件でした。
さて、韓国の盧武鉉の訪日問題で、大統領と閣僚が最近になって、日本の歴史認識を改めるべきとの考えを相次いで表明し、その歴史認識を訪日の「条件」にしようとする動きがあります。韓国政府が対日問題をこのように取り上げるのは盧武鉉の支持率が10%をきり、何とか日本敵対視政策を再度持ち上げることで韓国国民を大統領側に向わせる戦略を取っているのですが、しかし韓国では盧武鉉の軽率な言動や正気を逸した憲法改正問題で政争が激しさを増し、政府がこのような対日政策をとっても国民の雰囲気はすでに盧武鉉から離れており、大統領が納得できる訪日環境は出来ないだろうとの指摘も出始めています。
「日本は過去の歴史を直視し、謝罪し未来へ向うことだ」そして、30日の韓国紙、京郷新聞の会見で訪日には「環境が整わなければならない」これは宋外交通商相が言った言葉です。なにを言っているでしょうか、誰がこの国と一緒に未来に向わなければいけないのでしょうか、これは新しいタイプの国家ストーカーですね、日本はいやなんです、こんな国と一緒に未来に行くことなどありえるはずがありません、こんなことをいつまでも引っ張り出して他国の足元をみて、批判をしながら高飛車に出ることでイニチアブを握り、くっついてくる、北朝鮮は恫喝と脅迫で支援をを取ろうとする「物乞い国家」韓国はいつまで経っても過去のしつこいくらいの批判で日本の情緒を奪い取ろうとする「物乞い国家」ここに国家と言うより朝鮮人としての精神的構造が垣間見えます。本当にいやな嫌われ者タイプの半島国家です。
韓国の北朝鮮化を目指している盧武鉉大統領は25日の記者会見で「なぜ日本だけが特別に過去の問題を黙殺しようとするのか」と批判をしました、韓国政府は、日本の有力政治家が靖国神社を参拝することなどを韓国は「謝罪と否定の繰り返し」と受け止めていると指摘し「日本に具体的な行動は要求しないが態度が変わることを待っている」といっているそうです。本当に悲しい国家いや悲しい民族です、逆に韓国の態度が変わることを要求したいと思います。国によってこんなに差があるのか、私はいつもインドネシアをあげて韓国と言う国を比較します。
特に従軍慰安婦の問題です。過去に悪徳弁護士の高木健一弁護士らは1993年にインドネシアを訪れ、地元紙に「補償のために日本からやってきた、元慰安婦は名乗り出て欲しい」という内容の広告を出したことがあります。
それが少しの誤解で『名乗り出れば200万円(インドネシア通貨に変換すれば2億円相当)が貰える』と宣伝されてしまい、2万人を超える自称・慰安婦が集まりました。
しかし日弁連の行為は当のインドネシア人から批判が相次ぎ、さらにインドネシア慰安婦の証言で慰安婦募集をしていたのは朝鮮人の売春業者であることが発覚したのです。
当時のスエノ社会大臣は事件を焚きつけた日本人達(共産党・朝日新聞・日弁連ら)に対して次の声明を発表しました。
インドネシア政府は、この問題で補償を要求したことはない。
しかし日本政府(村山首相)が元慰安婦にお詫びをしてお金を払いたいというので、いただくが、元慰安婦個人には渡さず、女性の福祉や保健事業のために使う。
日本との補償問題は、1958年の協定により、完結している。
高木健一弁護士は韓国慰安婦の賠償請求訴訟も担当している人権派で善意の行為だったのかも知れない。そして彼らが証拠として映したものを見てインドネシアから返された評価は下記の通りです。
「ばかばかしい。針小棒大である。一人の兵隊に一人の慰安婦(インドネシアに居た日本兵は約2万人だった)がいたというのか。どうしてインドネシアのよいところを映さない。
こんな番組、両国の友好に何の役にも立たない。我々には、日本罵倒体質の韓国や中国と違って歴史とプライドがある。
「お金をくれ」などとは、360年間、わが国を支配したオランダにだって要求しない。」
ちなみに日本と韓国は日韓基本条約で個人の補償問題は解決済み。そんなことをわかっていながら村山トンチンカン首相は当然、アジア女性基金の理事長の村山富一元首相でもあるが、解決済みだということは知っていて黙っていたはずです。(日本では日韓会談の文書は、01年に施行された情報公開法により一般公開)
でっち上げ、捏造された従軍慰安婦問題で日本人がインドネシアを訪れ、けしかける、いかに反日運動家が今まで暗躍していたかわかると思います。
私はビジネスで1995年に始めてベトナムのホーチミン(旧サイゴン)を訪れました。
1975年に北ベトナム政府は、アメリカの再介入の恐れがないと判断し、1975年3月10日にパリ協定に違反して南ベトナム軍と米軍に対し全面攻撃を開始した。いわゆるホー・チ・ミン作戦です。
北ベトナム軍が全面攻撃を開始し、サイゴンが陥落(4月)が陥落しました、その20年後、私は終戦20周年式典をやっているサイゴンの地にいました。色とりどりの花、なんと美しい国だろうか、目の前をベトナム軍が行進していきます。南ベトナム軍と米軍が使っていた建物、統一会堂(旧大統領官邸)は記念館として公開されていました、中央郵便局やベンタイン市場などを友人と二人で町をぶらぶらしているうちに私たちは驚くものを見てしまったのです。なんとそれは米国の企業がすでにベトナムに進出していることでした。私はどうしてもその会社を見たくなり、現地のガイドにアポイントを取ってもらい訪問をしました、いろいろな質問をしたものです、反米意識はないのか、あれだけ悲惨な戦争で300万にとも言われるベトナム人が死んだことへの米国に対する憎しみや拒否感など多くの質問をベトナム人の担当者にしたことを覚えています。ここで多くを書けませんが一つ印象に残った言葉がありました、それは「過去は過去だ、ベトナムの将来を考えた時、今こそ、過去を忘れ、米国の力が必要です、ドムオイ政策はベトナムにとって米国の経済支援は必要なんです、技術支援がぜひとも必要です」担当者はニコニコしながら私たちに答えました。だれもベトナム戦争を忘れてはいないはずです、しかしベトナムと言う国家の発展のために過去を払いのけ、新しいベトナムを建設する意欲と姿勢には驚いたものです。
いつまでも過去を引きずり、相手国の「あげ足」をとり、そのねたで国家をまとめるしか出来ないない国、今なお、反日教育を繰り返し、小学生に韓国人が日本人を足蹴りをする絵を描かせる、ひねくれた民族国家、大韓民国、こんな国に未来永劫、明日はありません。いや今は大韓でなく、大寒民国のなにものでもありません。
今、日本は韓国と違う別の未来を描き、まい進していかなければいけません、東アジア共同体、いったいそれは何なんでしょうか、言っていること自体が未来志向ではありません。日韓友好など、とんでもないことです。
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