ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト

NGO ひろしま市民によるカザフスタン共和国旧ソ連核実験場周辺住民(核被害者)への支援・交流

「ザマナイ~時代よ!~」が「第9回ゴールド・コンサート」(20120922)湯川れい子審査委員長賞を受賞

2012-09-26 10:28:24 | Weblog
「ザマナイ~時代よ!~」が「第9回ゴールド・コンサート」(20120922)にて湯川れい子審査委員長賞を受賞
HPは
http://goo.gl/1GqCI

第9回ゴールドコンサート受賞結果

グランプリ(トルコ航空賞) 佐藤英里さん「なないろの夢」
観客賞(フォーシーズ賞) 佐藤英里さん「なないろの夢」
湯川れい子審査員長賞 TOMOKOさん「ザマナイ~時代よ!~」
審査員特別賞 古西夜香さん「A列車で行こう」
歌唱・演奏賞(アイエスエフネット賞) 音心さん「カナリア」
楽曲賞(日本信号賞) SAKURANBOさん「春一番が吹いたら」


ネット投票結果
第1位 矢田匠さん「馬鹿息子」
第2位 真北聖子さん「Sayang」
第3位storiaさん「かわらないもの」

おめでとうございます!!

核実験被曝者 「がん発生率高い」 カザフ外相インタビュー

2012-09-23 23:12:21 | Weblog
核実験被曝者 「がん発生率高い」 カザフ外相インタビュー
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中国新聞社総合編集本部   ヒロシマ平和メディアセンター
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/

日付: 2012/09/15 土 午後 01:09:45 JST核実験被曝者 「がん発生率高い」 カザフ外相インタビュー

 カザフスタンのエルジャン・カズイハノフ外相は、旧ソ連時代に繰り返された核実験の被曝(ひばく)者について「がんの発生率が高い」と述べ、健康被害の深刻さを強調した。さらに被害が「あまりに大きい」として、国際社会に支援の拡大を求めた。中国新聞社など日本の一部メディアの質問に文書で答えた。(増田咲子) 

 ―セミパラチンスク実験場の周辺住民に対する支援は十分でしょうか。
 周辺には、国全体の人口の1割に当たる170万人以上が暮らしている。放射能汚染の直接的な影響を端的に示すのは、がん発生率の高さだ。それだけではなく、貧血、内分泌腺、呼吸器、消化器などの病気にかかっている。最も心配されるのは精神的な病気だ。

 政府や、世界中からの支援ではとても足りない。冷戦の犠牲となった地区の回復のため、今後も、世界の協力が必要だ。

 ―8月29日にカザフスタン下院などが、核兵器廃絶をテーマにした国際会議を開きました。
 ナザルバエフ大統領は旧ソ連の核実験場を閉鎖し、核兵器も放棄した。全世界での核兵器廃絶は、外交政策の一つとなっており、国際会議は、その成功例。次の段階として、「世界非核宣言」をすることを呼び掛けた。

 ―被爆地広島は2015年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の誘致を目指しています。
 広島市はふさわしい場所だ。NPTは核の不拡散と核の放棄にとって最も重要な条約。核兵器廃絶のための連携と原子力の平和利用に向けて、今後も世界の平和と安全に貢献する力を持っている。

 ―福島第1原発事故を踏まえ、原子力の平和利用をどう考えますか。
 反原発運動の活動家たちが再び活発に動き始めた。しかし、世界の専門家は、現時点で原発に代わるエネルギーはないと確信している。2035年までに世界のエネルギー需要は今の倍になる。ほかのエネルギーに比べ、原子力は比較的手に入りやすく、温暖化の原因にもならない。

 もちろん、安全性を高めるため、地理的・地質的要因などによって建設規制が見直されるのは当然だ。国際原子力機関(IAEA)の果たす役割がより重要となる。

 ―(非核兵器地帯となった)中央アジアは今後、不安定化する恐れがありますか。
 否定的な見通しは不要だ。なぜなら、ここ20年、世界の政治学者たちの見通しとは逆に安定的かつダイナミックに成長した。カザフスタンが良い例だ。最近15年間の経済成長率は毎年平均7%だ。

 もちろん、問題もある。中央アジア全体の福祉を向上し、経済を近代化し、(近隣の)アフガニスタン復興などのために協力する必要がある。 

 その際、日本からの総合的な強い協力に期待したい。私は11月に開かれる、(日本の呼び掛けで始まった)「中央アジア+日本」対話・第4回外相会合に出席する予定だ。地域の協力や、国際社会の支援などがあれば、中央アジアの未来は明るいと確信している。


カザフ・クルチャトフ 軍事秘密都市 変貌 原子力民生利用の拠点に
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 核実験による被曝者を多く抱え、核兵器廃絶を国際社会に訴え続けるカザフスタンは一方で、原子力の平和利用も積極的に進めている。かつて核実験に携わった研究者たちが暮らしていた軍事秘密都市クルチャトフ市を訪れると、国を挙げて民生利用に力を注ぐ拠点に変貌していた。

 セメイ市からヘリコプターで約40分。上空からは壊れた建物が目立つ。地上に降り、国立原子力センター総裁のカイラット・カディルジャノフ氏らに案内されたのは、真新しい建物だった。その一つが2005年に完成し、研究施設などがある原子力テクノパークだ。「トカマク」と呼ばれる今は実験段階の核融合炉や、原子力の平和利用分野での日本との協力関係を示すパネル展示もあった。

 カザフスタンは今、原発1基の新設を計画中。視察にも同行した政府系シンクタンク、ナザルバエフセンター副長のロマン・バシリエンコ氏(40)は福島第1原発事故後も「計画は変わっていない。(地球を温暖化する)二酸化炭素の排出が少なく、コストも安い原発は、将来のために必要だ」と強調した。

 ただ、市民の思いは複雑のようだ。核実験場閉鎖運動にも携わった、与党ヌル・オタン党の「社会分析予測センター」のセンター長カズベク・カズキエノフ氏(64)は「建設に反対する人も多い」と明かす。しかし電気を近隣国から買っている現状や経済成長に伴う電力需要の拡大に触れ、「原発は建設せざるを得ない。福島の悲劇を繰り返さないよう、各方面からの監視が必要だ」と指摘した。

 原発の燃料になるウランの生産量が世界一のカザフスタン。核実験の被害者は多いが、豊かな地下資源を活用するため、懸命に原子力の平和利用を推し進めようとしている。

 原爆で壊滅的な打撃を受けながら、原子力の平和利用を結果的に容認してきたかつてのヒロシマ。その姿とカザフの今の姿が重なって見える。(増田咲子)

クルチャトフ
 核兵器開発を陣頭指揮し、「ソ連原爆の父」と呼ばれる原子物理学者イーゴリー・クルチャトフ博士の名前を付けた都市。かつては核実験に従事する軍関係者と家族だけが住む、一般人立ち入り禁止の「軍事秘密都市」だった。広島・長崎への原爆投下の翌1946年、南側に隣接する広大なセミパラチンスク核実験場とともに誕生した。91年の核実験場閉鎖で2万人を超えていた人口は一時、半分以下になった。最近は、平和利用の研究のため、1万人程度に回復しているという。

(2012年9月11日朝刊掲載)


広島とカザフ 深まる絆 薬や機器贈り医療支援

2012-09-18 08:43:31 | Weblog

広島とカザフ 深まる絆 薬や機器贈り医療支援
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中国新聞社総合編集本部   ヒロシマ平和メディアセンター
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 原爆が投下された広島と、450回を超す核実験で多くの被曝者(ひばくしゃ)を生んだカザフスタン。二つの核被害地を結ぶ絆は、被曝者支援を10年以上続ける広島の市民グループを中心に、年々深まっている。今夏、被爆地から現地を訪れた医師や若者たちの取り組みを報告する。(増田咲子)

99年からヒロセミ 医師育成にも力

 被爆地から医療支援を続けているのは、市民団体「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト(ヒロセミ)」だ。今夏は、被曝者に多い甲状腺がんや乳がんを検診するための超音波診断装置(エコー)を贈った。受け取ったセメイ市のセメイ国立医科大(旧セメイ医学アカデミー)は「被曝者のために役立てたい」という。

 ヒロセミが医療支援を始めたのは1999年。当時のカザフスタンは、旧ソ連から91年に独立して以来、経済的に困窮していた。

 最初は、セミパラチンスク核実験場の周辺にある村を巡回検診するための車を贈った。以後、毎年のように、エコーや関連機器、血圧降下剤などの医薬品を贈っている。

 99年から2010年までは、広島の医師が現地を訪れて被曝者らの甲状腺に異常がないか検査。地元の医療技術の底上げも図った。現地では、継続して検査に訪れる医師への信頼が厚く、医療機器も村の病院などで喜ばれているという。

 物資代や医師派遣など医療支援の総額は、平和団体からの寄付金などを含め、5千万円を超す。

 「支援を始めたころに比べ、医療状況はかなり改善された」とヒロセミ副世話人代表の小畠知恵子さん(60)。「今後は、広島の医師や研究者に協力することで、現地の医師の技術力アップに力を入れたい」と話している。

≪主な医療支援≫
エコー         7台
エコー付属品
顕微鏡        2台
検診用のワゴン車 1台
手術器具
医薬品
医師の現地派遣
●総額約5千万円

元留学生の2人 「懸け橋」へ奮闘

訪問団通訳や案内役担う

「核被害 世界へ伝えたい」

 「ヒロシマとの懸け橋になり、核兵器廃絶を訴える手助けをしたい」。広島で高校生活を送った元留学生が、ヒロセミをはじめ、広島からセメイ市を訪れる市民・若者グループの活動を支えている。

 今年3月、セメイ市に戻ってきたアイダナ・アシクパエワさん(18)や、昨年春に帰国したヌルダナ・アディルハノワさん(17)。2人は今夏、広島の若者グループ、CANVaS(キャンバス)のカザフスタン訪問に協力し、通訳を務めた。

 日本語とカザフ語だけではなく、カザフスタンでよく使われるロシア語も話せる2人。現地の案内役を兼ねながら、核実験の被曝者や医師に話を聞いたり、現地の若者と交流したりする場面などで活躍していた。

 アシクパエワさんは9月から、首都アスタナのユーラシア大国際関係学部に進学。「外交官になって駐日大使になるのが夢」と話す。頭にあるのは、核実験の影響で白血病になり、16歳の若さで亡くなったという伯母のこと。「カザフスタンの核実験と広島の原爆の被害を世界に伝え、核のない世界をつくりたい」と力を込める。

 アディルハノワさんは、来年5月に高校を卒業する。大学に進んで社会学を学びたいという。「核の悲劇を二度と繰り返さないよう、平和の大切さを伝える活動がしたい」と願う。

 2人は、廿日市市の山陽女学園に通っていた。学園はヒロセミの協力を得て、2000年からセメイ市の高校生を各1年間受け入れている。毎年1、2人で計19人。学園が授業料と寮費、ヒロセミが旅費などを負担する。帰国後、医師になる勉強をしたり、再び海外留学したりとさまざまだが、広島を離れても被爆地を思い、ヒロセミの活動に協力してくれる人が多いという。

医師や研究者 初の集中講義

がん手術 ノウハウ伝授

被爆地の知見 共有手応え

 「この方法は、外科医師なら誰でもできる安全で確実な手術です」。テーブルを囲んだ約40人の医学生や研修医らが広島の医師の話に耳を傾ける。目は、スクリーンに映された甲状腺の手術の写真に集中する。

 セメイ市の中心部にあるセメイ国立医科大。広島市南区で甲状腺クリニックを開業する医師武市宣雄さん(68)の講義だ。長年、被爆者治療に当たった経験を生かし、英語で甲状腺がんの手術などを説明した。

 今年初めて実現した広島の医師や放射線研究者を招いた集中講義。広島大で学び被爆者も治療した島根大医学部教授(腫瘍外科)の野宗義博さん(62)、広島大名誉教授(放射線生物・物理学)の星正治さん(64)を加えた3人が8月末からの4日間、約90分の講義を計12回実施した。テーマは、核実験被曝者にも多い甲状腺の病気、大腸がんや乳がんの治療法に加え、放射線の基礎知識や福島第1原発事故など幅広い。

 武市さんと野宗さんは長年、セミパラチンスク核実験場の被害者を検診、星さんは核実験場周辺で放射能に汚染された土壌などの調査を続けてきた。

 熱心に聞いていた4年のエルケブラン・エスボラトフさん(21)は「広島の医師らの研究をカザフスタンの被曝者の治療に役立てたい」。武市さんは「ヒロシマの蓄積を学んでもらえる良い機会になった」と満足そう。

 被爆地の知見を、核実験の被曝者にも生かす―。広島からの医療支援は、現地の若手医師育成という段階に達した。大学に招かれての集中講義は、その象徴。今後も、現地での手術指導などを通して支援を続けていく。

ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト(ヒロセミ)
 1994年に広島市で開催されたアジア競技大会に合わせ、市内の公民館と周辺住民が参加国・地域の応援に取り組んだ「一館一国運動」をきっかけに、西区の鈴が峰公民館周辺の住民を中心に98年設立。主にカザフスタンの核実験被曝者(ひばくしゃ)を支援している。99年から医療支援、2000年からは広島への留学生受け入れも支援。会員は約100人。事務局Tel082(274)1634(橋村さん)

カザフ核実験の健康被害 セメイ国立医科大 チャジュノソワ教授に聞く

2012-09-15 02:08:02 | Weblog
カザフ核実験の健康被害 セメイ国立医科大 チャジュノソワ教授に聞く
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2、3世への影響も深刻 補償や医療 充実必要

 旧ソ連時代に繰り返された核実験で多くの被曝(ひばく)者を生んだカザフスタン。がんや心臓病などに今も苦しんでおり、健康被害は2世や3世にも広がっている。小児科医師として治療を続けるセメイ国立医科大(旧セメイ医学アカデミー)教授のナイラ・チャジュノソワさん(60)に、現状や課題を聞いた。(増田咲子)

 ―被曝者の現状は。
 450回を超す核実験が行われたため、心臓病に次いで、がんが多い。2、3世への影響も深刻だ。先天的な障害があり生まれてきた患者も多く診てきた。心臓の異常、腕がない、皮膚がん、骨が軟らかすぎて立てない、といった障害だ。何としても助けたい。

 セミパラチンスク核実験場は20年以上前に閉鎖されたが、その後も障害がある子どもが生まれている。核実験の被害者は、2世や3世を含めて約150万人いるが、これからも増えていくと思う。遺伝的影響の研究もさらに進めたい。

 ―1992年、セミパラチンスク核実験場の周辺住民を救済する法律ができ、国も対策に乗り出しています。
 国から、被曝者への補償金が与えられている。支給額は、住んでいた場所や期間などに応じて決められている。もっと増やすべきではないかと思う。

 今後、被曝者のための病院を増やすと同時に、質も向上させなければならない。病気を早期に発見できる診断や治療のシステムを確立し、医師の技術もレベルアップさせなければならない。

 ―被爆地広島ができることはありますか。
 長年、医療・学術面や民間での交流を続けてきた。広島の医師が被曝者の検診などをしてくれ、大きな成果を得ている。今夏、広島の医師や研究者を医科大に招き、最新の医学や放射線についての集中講義が初めて実現した。今後も、セメイの医師育成のため、公開手術を実施するなどさらに協力を仰ぎたい。

セメイ国立医科大 チャジュノソワ教授
 52年セメイ(旧セミパラチンスク)市生まれ。第1医科大(現モスクワ医学アカデミー)卒。小児科医師。94年7月から1年間、広島大原爆放射線医科学研究所(原医研)の外国人研究員。11年10月、カザフスタン放射線医学環境研究所(セメイ市)副所長からセメイ国立医科大教授に就任。

(2012年9月11日朝刊掲載)



カザフ被曝者 癒えぬ痛み ドロン村住民証言

2012-09-09 19:50:57 | Weblog

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カザフ被曝者 癒えぬ痛み ドロン村住民証言
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 旧ソ連が繰り返した450回を超す核実験で、100万人以上が被曝(ひばく)したカザフスタン。セミパラチンスク核実験場に近いドロン村を訪れ、被曝者の証言を聞いた。核実験場の閉鎖から21年たった今も、がんなどの病気に人々は苦しんでいた。国の救済制度はあるものの、周辺部では十分な医療態勢は整っていなかった。(増田咲子)

 セメイ市の西約75キロ、草原を貫くでこぼこ道を車で約1時間40分。約500人が住むドロン村に着いた。多くの人が馬や牛、羊を飼って生活している。

 村の診療所に通う被曝者の女性3人に話を聞いた。村で生まれ育ったショルパン・シャマルバエワさん(75)は何度も核実験のきのこ雲を目撃し、地面が揺れるのを感じた。しかし、核実験だとは知らなかった。

 1995年ごろから乳腺がんを患い、手術代は国が負担。被曝者への補償として月1万800テンゲ(約5600円)と、年金を国から受け取るが、薬代に消えるお金も多い。

 「核実験は許せない」と強調するマクザー・スマグロワさん(67)。「5歳の時、子どもたちは一つの家に集められた。でも家が揺れたので外に出てしまった」と振り返る。高血圧に苦しみ、昨年は目を手術した。ニュースで知った福島第1原発事故について「子どもたちのことを考えると核の被害を二度と起こさないようにして」と訴えた。

 ナデジュダ・プルジャルスカヤさん(77)は、建築の仕事のため、30歳の時、村に移り住んだ。36歳から歯が抜け始め、今は2本残るだけ。村では40歳代で亡くなる人が多く、家畜も毛が抜けて死んだ。「国から補償金をもらえるが、頻繁に病気になり、薬を買わなければいけない。娘と住んでいるから何とか暮らせるが…。望みは、元気になりたいだけ」

 診療所のグリナラ・ルステモア医師(42)らによると、被曝者には国の救済制度があり、無料で診察や検査を受けられる。心臓病や血圧の病気、肺がんなどが多いという。

 周辺の三つの村の患者も診ているルステモア医師は「今年から心臓病の薬が国から無料でもらえるようになったが、もらえない薬もある」と話す。また、ここで治療ができない患者は、車で30分ほどかかる病院まで運ぶ必要があるが、そのための車もないという。

 ドロン村へは、カザフスタンを学習ツアーで訪問中の広島の国際交流グループ「CANVaS(キャンバス)」と8月31日に訪れた。

セミパラチンスク核実験場
 旧ソ連最大の核実験場。広さは四国とほぼ同じ約1万8500平方キロ。1949年8月29日、ソ連が初の核実験を行い、冷戦下、米国との核軍拡競争が始まった。以来、89年まで450回を超す核実験が繰り返された。うち100回以上は空中や地上で行われ、放射性物質が広く拡散、がんや異常出産が相次ぐなど被害が深刻化した。住民による核実験反対運動の盛り上がりを受け、91年8月29日、同核実験場の閉鎖が宣言された。92年には、周辺住民を救済する「核実験被害市民の社会保護法」が成立、翌93年に発効した。

(2012年9月3日朝刊掲載)

ゼミナール“連帯の力”~ネバダ・セミパラチンスク運動から“福島”を考える

2012-09-07 08:27:00 | Weblog
ゼミナール “連帯の力” ~ネバダ・セミパラチンスク運動から“福島”を考える 公開イベント · 平野 伸吾さん作成

http://www.facebook.com/events/220460101415084/
http://www2.hp-ez.com/hp/yasumotozemi/page1

日本大学国際関係学部 北口校舎1階 山田顕義ホール
安元ゼミナールでは、これまで日露交流史や現代ロシアの諸問題-チェルノブイリ原発事故やチェチェン戦争、日露戦争捕虜と市民の交流-について学び、大学祭で毎年チャリティ企画を行い、逆境下におかれた人々を支援するために収益金を寄付してきた。

今年度の大学祭では昨年に引き続き、私たちが訪れた旧ソ連領のカザフスタン・セミパラチンスクで行われていた核実験の実態と、ソ連とアメリカの市民が連帯することで核実験場を廃止に追いやったネバダ・セミパラチンスク運動の「連帯の力」について伝える。

また、現在、福島第一原発の事故は未だ収束の見通しが立っていない。下記のプログラムを通して来場者に原発を含めた「核」の脅威について知らせ、唯一の被爆国として、「核」とどう向き合うべきなのか、共に考えていきたい。
【日時】平成24年11月2日(金)13:00~15:30

【場所】日本大学国際関係学部 北口校舎1階 山田顕義ホール(予定)

【出演者】  
アーサー・ビナード
 アメリカ合衆国、ミシガン州生まれの詩人。日本語での詩作を行う。
詩集『釣り上げては』(思潮社)で中原中也賞、エッセイ『日本語ぽこりぽこり』(小学館)で講談社エッセイ賞受賞。
2007年、絵本『ここが家だ ベンシャーンの第五福竜丸』(集英社)で日本絵本賞受賞。

クミコ
 茨城県水戸市出身の歌手。2010年2月広島の被曝少女を歌った『INORI~祈り~』をリリース。
2010年に『NHK紅白歌合戦』に出場。2011年3月11日 石巻市で東日本大震災に遭遇。この体験を基に鎮魂と再生の願いを込めた『きっとツナガル』を作詞・作曲。国境を越えて人々の共感を呼び、ニューヨークでのコンサートも実施.
        
【展示】 
11月2日~4日 9:00~17:00 会場前にて
・写真展「再生への道 –セミパラチンスク・福島-」
・ゼミ生による展示発表

【プログラム】 
13:00~ 学生発表
  (ゼミ紹介、セミパラチンスク核実験場とは、被曝状況と支援活動、ネバダ・セミパラチンスク運動の「連帯の力」、第5福竜丸が訴えたこと、福島原発事故と「核」の脅威)

13:40~  アーサー・ビナード氏による講演
   「第5福竜丸から福島へ」
14:50~  クミコ氏によるコンサート
   「きっとツナガル」
15:30  終了予定
【チケット料金】
大人 1500円 学生 800円
【収益金】  
チェルノブイリ原発事故復興支援(チェルノブイリ救援中部)、
セミパラチンスク核被害者支援(ヒロシマ・セミパラチンスクプロジェクト)、福島第一原発事故被災者支援の為に寄付する。       
【お問い合わせ】  
日本大学国際関係学部 国際交流学科 安元隆子ゼミナール(学生代表 平野伸吾)
連絡先 yasumoto.seminar@gmail.com   電話080-6626-0588