胎の名前

過ぎにし胎はただ名前のみ、虚しきその名が今に残れり。 (ウンベルト・エーコ先生とは関係ありません…)

「真田丸」(NHK) その2

2016-10-16 18:04:34 | テレビ番組
おのおの、待たせたな!

いや、待ってなかったよ?という声は聞こえない振り。

結局まとめをアップするのがこんなに遅くなってしまった。
途中、筋回しがだらけた所などあり、筆が乗らなかったこともある。
でもここに来て俄然面白くなって、今のうちにまとめておこうと思った。



……と思ったのが4か月くらい前だったのは秘密だ。
うめが死んだ時もそう思ったし、秀次が死んだ時もそう思った。
物語に区切りがついた時にアップしようと思っていたのだが、
秀吉の死か、関ヶ原か、どこが区切りか分からずに今に至る。
そして遂に、この際、真田幸村の誕生が大きな区切りなのだと分かった。

もう既に数多のブログで絶賛も批判も出尽くしている事ではあるので、
主人公が「幸村」を名乗った現時点における、
ひさなりの穿った見方で「真田丸」の出色な点を幾つか。




1)きり、主人公を袈裟懸けしたってよ
「ウザ過ぎるヒロイン」こときり。
主人公の幸せなんて「そんなの私に関わりのないこと」と言い切るヒロインなんてこれまで居たか。いや居ない。
「何もしないまま死ぬつもりか」とまで言ったぞこの女。
ただのウザい現代劇女が、一周回ってどうしてこんなに胸を打つセリフを吐くようになったのか、
そのあたりの経緯や理由づけが薄いように思えなくもないのだが。
もしかすると、豊臣家に仕えて北の政所の傍に居て秀次やガラシャの傍に居たことで
目に見えない所で何か人間的に成長したのだと思う事にした。
「今まで何をしてきたの」「何の役にも立ってない」とか、いやーすげー。かっけー。
信繁、感謝を口にしていたが、その後どさくさにまぎれてやっちゃってないだろうな。(っておい
きりは全編通じて現代における人間性の象徴であり、真田丸の世界との橋渡しを担っている、んでしょう。多分。
信繁の1度目の婚礼が真田家の策略に使われた時も、ガラシャの最期も、彼女が居る事で物語はいちいち混ぜっ返され、
我々は物語に完全に入り込むことができないでいる。
単純に登場人物に感情移入できないお陰で、当時の人々の判断基準が現代と異なること、そしてそれが故に登場人物の葛藤の一端を味わえる仕組み、なのだと思う。
序盤はきりの混ぜっ返しは蛇足だと思ったが、今となってはむしろ心地よい。
これがマゾか。(違うわ
最終盤になったら「源次郎さまの死に様は私がちゃんと語り継いであげる、心配しないで討死してらっしゃい」とか言い出すんじゃないか。


2)豊臣一派=三谷組の瓦解
豊臣秀吉=小日向をはじめ、山本耕史、小林隆、近藤芳正や竹内裕子、鈴木京香など、
豊臣家とその家臣の主だったところは三谷師の常連の役者さん達だった。
それが1人抜け2人抜けしていく様が、かなり切なく、
まるで仲良しのサークルや劇団が瓦解していくのってこういう感じなのかなと。
優れた座長の下に一致団結していても、それが居なくなって、ありがちな合議制で進めていこうとしても
いつの間にか派閥が出来てしまっている。
で、対抗勢力=家康の魅力および財力等々に懐柔されて人々が離反していくという。
どこか現実味があったのは、三谷先生自身、若い時代にそういうことを経験していた実感もどこかに篭っていたのかなと。
そこまで妄想をしてしまうと、家康の周りにあれだけ人々が集まった理由があまり描かれていないことに不満がなくもないのだが。


3)石田三成の死に様
とにもかくにも石田三成のKYさ、そして散り様は見事であった。
細川忠興とのエピソードで語られる干し柿のくだり、恐らく史実よりも面白く仕立ててあったのではないか。
あと、こんなに泣く三成も稀だったのでは。
首を刎ねられる間際に俯きながら微笑するのは「新撰組!」の近藤勇と対をなしている、というのは穿ち過ぎだろうか。
近藤勇がとし、と呼びかけたのに対し、とし=土方は「土方歳三最後の1日」でかっちゃん=近藤の名を呼びながら死ぬので、
そこでそれは伏線回収したと言えるのだが、
あのシーンが印象的だったが故に、今回もオマージュというかトレースしたのではと思ってしまう。
それが三谷ファンからしたら非常に嬉しいんですがね。


4)死を目前にした人間の迷い言に振り回される面々
「徳川家康を殺せ」と豊臣秀吉に言われた石田三成
三成に「命を懸けて秀頼を守れ」と言われた加藤清正
ばくちを打っているように見せかけてお館様=武田信玄の幻影を追い求め続けていた父・昌幸もこの類なのかもしれないし、
秀吉の鈴に呼ばれ、父に伝授された家康打倒策を試そうと思う信繁もそうなのかもしれない。


5)大坂城の中庭
豊臣家の皆が集う中庭のこと。初出は確か、おねが何かまんじゅうをふかしていて宇喜多秀家やら小早川金吾やら、豊臣一族が勢ぞろいしていたはず。
中庭に集う幸せそうな絵は象徴的で、次の悲劇の呼び水でもあった。
あの中庭は水はけが悪いから、豊臣の家も澱んで根腐れを起こしてしまったのかもしれない。
だから桃の木もなかなか根付かないのではと思っていたのだが、
案外桃の木はそれなりに成長していたので、仮説は間違っているのかも。


6)新しい犬伏
真田家が生き残る選択を提案した人が兄・信之だというのが新鮮であった。
本作を観てきた目線で真田の選択を見ると、
豊臣と徳川のどちらか一方に賭けるのではなく、両方に札を置く手法というのが、
諦めの悪い、もとい情の籠った信之にしか導き出せない正攻法にしか思えてならない。
何せ父親は両方とも豊臣になるようなクジを準備していたくらいだしな。
全てこの時のために、賭けが外れまくる父、振り回される兄というキャラ設定にしたのではないだろうかとも。
「勝った方が負けた方の命を全力で救いに行く」と断言する大泉洋がこれまでに見た事もない程格好良かった。
このままバラエティに復帰してもらいたくない位に役が身体に沁みついてきましたね大泉は。


7)昌幸
今年の国内ドラマの助演男優賞は昌幸で決定でしょう。
瓜売はもはや反則。
確かに30年前の丹波哲郎に似ているといえば似ていたが、何せ元が段違いに格好良いのでなあ。
終盤のほうの「教えてくれ息子達よ、わしはどこで間違えた?」、何だかシェークスピアの芝居を観ているようであった。
この際スピンオフを作るなら、在りし日の信玄と昌幸の話でお願いします。



ここまではこうで、この後は毎度おなじみ苦言シリーズ。



@新説ばっかり採用してて本当に良いのか
新しい研究に基づいた歴史考証を惜しげもなく採用しているのは評価したい。
ただ、歴史研究の場合、新しい説が確定するまで傍証を得るのに時間がかかる場合もあり、
新しければ何でも良いわけでもないわけで、幾つか気になる点は無いこともなかった。
まあ細かな事はあれこれ言うまい。挑戦する精神を多としたい。<偉そうに


@ナレ死
朝ドラ終わりで号泣するくらい感情が前に立つ人の声で次から次へと死亡報告されると非常にしっくりこない。
頼むからあさイチ出演止めてほしい。


@信州物産展
そばがきも真田紐もアバンタイトルで消化すれば良いのに、と。
三谷節の面白さは現代劇だから面白いのであって、時代劇では見たくなかった。
出来不出来で言えば「新撰組!」より余程配慮してあって良いとは思うが、その筋書きは貴方が今回するべき仕事ではないでしょうよ。



とまあ、今回はここまで。
残りあと8回か10回か分からないが、幸村がどんな死に方をするのか見届けたい。
恐らく、物凄く勝ちそうな負け方をするんでしょう。土方歳三がそうだったように。
この際、死に様とは敢えて書かない。生き様を見届けたい。
それでもって語り継ぎたい。
きりのように他人目線で。

それまでおのおの、ぬかりなく!!



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