胎の名前

過ぎにし胎はただ名前のみ、虚しきその名が今に残れり。 (ウンベルト・エーコ先生とは関係ありません…)

愛ルケと負け犬

2005-01-26 01:26:14 | 日記・エッセイ・コラム
某大手経済新聞の最終面に連載されている朝刊小説。
名前を「愛の流刑地」という。略して「愛ルケ」。
もっとも冬ソナになぞらえて最初にこう略したのはあるブログ上でのことだそうですが。

簡単なあらすじ。
売れない小説家kikujiは自分のファンだという控えめでおとなしくて手がきれいな人妻と恋に落ちる。
当初不倫に抵抗があったと思われる女もいつの間にかどろどろの性愛の世界に目覚めていく。

連載開始後1ヶ月もたたないうちから「うふん」「あはん」言語が沢山登場する話なんて朝っぱらから読みたくないんですがね。
仕事上この新聞は読まなければならないので3日に1回くらい見るはめに陥っていますが。
ともかく。
男の愚かさ、妄想の激しさに比べて女のしたたかさがいかにすごいか、という話に展開されない限りこの話はただの自慰小説でしかないのでは。
私の周りの若い男も若い女も、皆辟易してますよ。
皆kikujiよりもhuyuりんよりももう少し瑞々しい恋愛をしているはずですから、ああいう言葉とか陳腐な表現で行為を表現されることにうそ臭さや加齢臭を感じる、と。何が「快楽のベル」かと。「蕾」かと。
kikujiのように「今夜はヒメハジメだよ」とかくさい言葉がなくとも、肉体でもって相手を組み伏せることができる連中ですから。

でも、何と負け犬世代から結構支持を得ているらしいんですね。聞くところによると。
負け犬女の恋愛は50代男が対象なのですと。
50代男も、若すぎる女よりは不倫を他人に黙っていられる分別ある30代女のほうが扱いやすいそうです。

しかし、そんなばかくさい言葉の応酬でしか「恋愛している」実感が得られないとすると、それは大層不幸なことではないでしょうか。
というよりも、それは恋愛ではないのではないでしょうか。恋愛ごっこ遊びでしかないでしょう?
むしろ同作家が書いた「失楽園」のように、体の関係でもって愛を実感して情死がハッピー、みたいなほうがよっぽどましな展開に思えます。
もしも今回の「愛ルケ」で本気で共感しているとすると、それは負け犬さん、本当人生に負けちゃいますから。お気をつけあそばせ……。


ガラスの仮面(美内すずえ)

2005-01-22 01:58:51 | アニメ・コミック・ゲーム
待たされるのには慣れているほうである。
仕事も実際の稼働時間とほぼ同じ時間「待ち」がある。
書いた文章が印刷機にのるための版を作る工程は、ひたすら待ち、だ。
内容そのものは自分ひとりで(ある程度は)完結していても、そこから先は大勢の人々との共同作業になる。
彼らも私1人を相手にしているわけではないので、緩急を見極めながら先にやってくれたり後回しにされたりするわけだが。
そんなこんなで、もはや待つことは苦ではない。
旦那(未来形)も30分くらいは平気で遅刻してくるタイプだ。

だが、こいつはどれだけ待ってたかもはや忘れてしまった。
「ガラスの仮面」42巻
全巻書き下ろしだそうです。
というよりも、41巻がいつ出たのかさえ記憶が判然としない。
さらに、安達祐実が主演でドラマ化になる際に、雑誌にちょこっと新しい部分が掲載されていたこともあり、いったい今回の巻がどこの続きなのかさっぱり分からない。
……すいませんそれは41巻を買っていないからなのですが。
というか、雑誌掲載分では、亜弓嬢が目を傷めたり、外人カメラマンとの心の交流があったり、何だか色々ドラマがあった気がしたのですが、あれはどうなったのでしょうか。なかったことになったのか??

で。

時の流れというものは残酷ですね。

1)登場人物が普通に携帯電話を持っている。
1巻を見返せば、母子家庭のマヤがおかもちを持って生計を立てている様が超リアルに描かれています。
月影先生も、確か戦争孤児だったはず。
おいおいおい年齢が合わないよ。
この違和感は、最近月刊フィール(祥伝社)で連載している「花のあすか組2」で感じた違和感と近い。
古い作品を現在によみがえらせることには所詮無理があるのでは?
もっとも、ガラかめはよみがえる以前にまだ終わっていないのでした。嗚呼。

2)桜小路君ラヴ。
痛いっすよ痛すぎっすよ桜小路くん。
今時イルカのペンダントって何~~!?携帯写真取りまくってるのは何~~!??!しかもあまつさえマヤがソファで寝こけてるのを隠し撮りしたっぽいのさえあるじゃないか!!
撮影時の「ぱしゃりこん」って音が出るのを気にしながら隠し撮りしてるくらいなら、さっさと襲え襲っちまえてめー!!!!
……失礼。
ともかく、マヤの失恋にすら気付かないぼんやり現代っ子お坊ちゃん桜小路くんは、現在の恋人舞ちゃんを振ることさえできない優柔不断な人ですから、
いずれマヤに傷つけられて、うっかり舞ちゃんを妊娠させたりするというベタ路線が透けて見えています。
昔はこんな桜小路君はうっとおしくて斬って棄てたかったのですが、今となっては可哀想でむしろいとしいです。
ああ救ってやりたい……。

3)速水真澄ご乱心。
この人は非情にもなりきれず、そして激情にもなりきれず、一体何がしたいのでしょうか。
相変わらず社長室の美しいコーヒーカップは砕けるし、目はすぐ白くなる。
また、この人の影を自認している隠密(違)聖さんは、桜小路君の携帯電話から画像を抜き取ってる。
いやそれは明らかに犯罪では。
というよりもそこまでやったら一種のストーカーです。
むしろ真澄氏が苦悩するのを影から見て悦びを覚えるタイプか?倒錯しちゃってるもんなあこの人。
で、こんな聖を野に放ったままにしている真澄も、その聖からの報告でコーヒーカップ砕いちゃう真澄も、ちゅーとはんぱ過ぎますぜ。
しかし婚約者との結婚を決意しながらここまでとち狂っているとすれば、彼に残された舞台はあとは自殺か事故死くらいしか残されていない気がします。
多分この人、マヤが紅天女をやる時にはこの世の人じゃないよ。
紅天女を演じる者には世界と合一する必要があるそうですが、そこできっとマヤは演じながら感じるわけだよ。
「この空気、この土、この星、この光、みんな全て、速水さんが存在していたという息遣いが聞こえる、それすなわち速水さんなんだわ…!」とか。
万が一マヤを無理心中に誘う可能性もないわけではないですが、とりあえずこのマンガの大命題はマヤの女優としての成就なので、彼女が紅天女をやるのは自明。
だから、多分彼は消えます。そして心だけマヤと合体。何だかなあ。
……こんなこと何の根拠もなく名言して良いのかね。

私はとりあえず紅天女をマヤがやるものだと信じて、その姿を楽しみに待ち続けることにします。
もう待つのは苦痛じゃないもん。


のだめカンタービレ(二ノ宮知子)

2005-01-14 20:46:25 | のだめ
11巻が発売になりました。
緋砂が買わないわけがあるでしょうか。いやない。

<これまでのあらすじ>
 都会の音大のピアノ科に所属しながら指揮者を志望する学生・千秋真一は、ひょんなことから隣室の変人、のだめと出会う。彼女は同じピアノ科の1年後輩ながら、練習はろくにしない、楽譜は読まない、部屋は汚い、フロには入らない、同級生の弁当は盗み食いする、とんでもない女子。だがピアノの音色は千秋の何かを刺激した。酔いつぶれた千秋と、ゴミだめでピアノを弾くのだめ、それが2人運命の出会いだった--。

と、これでは第1話しか解説していませんが。

最新巻について。微妙にネタばれ?
1)千秋の指揮者コンクールについて
基本的にこの漫画は善人しか出てきませんが、それが遺憾なく発揮されました。いや、悪い意味で言いたいのではないんですが。
3次予選でオーケストラとの信頼関係を揺るがしてしまった千秋は、本選に残ったもののあえて失敗した曲の再演を選びます。普通はミスを繰り返すかも、もしくは縁起が悪いなどといって避けるはず。オケの人間も「何でまた同じ曲を」と不思議がります。でも、千秋がリハーサルで練習をつける態度を見てオケの人々は彼を信頼しても良いと再評価。一気に演奏が盛り上がります。
……そんなばかな。
というか、読んでるこちらはこういう展開は非常にうれしいのですが、実際オケの人々って新米指揮者を困らせる悪戯をわざわざしかけに行くような人々だと聞いたことがあるので、なんとも現実離れしていて、それはそれで良いなあと(良いんかい)。

2)のだめの音楽院な日々について
欠席3回で退学、授業は全部仏語(当然か)、生徒は子供から大人まで様々、となんとものだめにとっては酷な環境で始まった授業ですが、予想通り授業についていけず大苦戦します。座学である曲解釈では一言も発せられず、初見演奏はろくに弾けず、果ては本命のピアノ演奏の授業でもぼろぼろに言われる始末。のだめは涙目でショックを受けて帰ります。
……いまさら、でしょう。これまで日本の大学でぼろくそに言われたことはなかったんかいな?少なくともニナ・ルッツ音楽祭ではやはり演奏できずぼろぼろになったこともあったじゃないかのだめ。(あの時はそばに千秋がいて救い上げてもらったのだったか)

3)のだめのプロポーションなどについて
D70ですか。
(思わず自分の胸を見下ろす)……ため息。いいなあのだめ。
確かに表紙はとってもDぽかったです。
さらに「パンツはヒモに決めている」発言は何ですか!?風邪ひきますよのだめ。何のためのひもパンなんだ!?

ということで、5月に発売予定の次巻が既に待ち遠しいですわ。


純豆腐

2005-01-12 23:38:46 | 食・レシピ
今日胎に入れたもの。

韓国料理らしい。
でも食したのは緋砂の胃袋御用達であるスープストックトーキョーで。
新メニューですと。

固まる前の豆腐を主に、アサリとビーフとチキンの絶妙なスープで煮込んだ一品。
辛いのはコチュジャンが効いているからだそうです。
恐らく内容物はぜんまいと豆つきもやし、にんじん、菜っ葉?、そして鶏肉のかけら。
ビビンパの上に乗っかっているものが混ぜ込まれている感じ。

供給者による説明文はコチラ

紙コップに入ったスープの横に卵がごろんと転がっている。
もしやおのれで割って入れろ、と??

説明書きによると温泉卵らしい。

生まれてこのかた卵の殻を綺麗に割ったためしのない私になんてことをさせるんだ。
そもそも私は卵嫌い。何故半生を食さなければならないんだ。
と思ったが、一応ものは経験かと思い、割ってみる。

……1秒後。
トレイの中じゅう半生の白身だらけに。
だーかーらやだって言ったのに。
ぶつぶつ言いながら残りの黄身をスープに落として食べる。

こういうスープ、辛くないやつなら日本でも食べたことがある。
何だったっけ。
……ああ、すき焼きの豆腐に似てるんだ。

ちなみに純豆腐は豆腐そのものを指すらしく、
この料理は正式名称は純豆腐チゲらしい。

総じて、まずくはない。家でも作れそう。
きっとキムチ鍋の素を買ってきておぼろ豆腐やら野菜やらをぶっこんで煮込めば何となくそのようなものが仕上がるはずだ。

胎指数…75点。


負け犬の遠吠え

2005-01-08 22:34:51 | テレビ番組
負け犬カウントダウン中のため、思わずがぶり寄りで見てしまった。
きれいな女性が沢山出演しているのも好感をもてましたです。

第一の感想。
「勝ち犬」も「負け犬」も直接思いのたけをぶつけ合っているところに好感が持てました。
この社会問題は、互いの立場がお互いの立場のことを考慮していないがために発生していると思うので。
私は「どっちでも良いじゃん本人の自由でしょ」という立場なので。
結局本当に必要なのは「自分らしさ」を維持することだ、という結論はちょっとどうかなと思いますが。いやそれを言い出したら「勝ち」「負け」論争は出だしから霧散するじゃないですか。と。

第二の感想。
久本なんと演技が上手いことか。脱帽しました。というか見直しました。
もしかして演技を超えたものがあるのかもしれない。一時結婚話が出ていたのに何だか流れたみたいですし。(芸能誌報道ベースの情報なので事実関係は違うのかもしれないです。久本さん本当にすんません……)

第三の感想。
専業主婦はもっと幸せなのではないでしょうか。
「負け犬」の特徴を際立たせているために、必要以上に「主婦だって大変なんだよー」という特徴を際立たせているような。

私自身は「勝ち犬」(なはず)の母に育てられた「負け犬」予備軍なので、両者をともに尊重したいと思っています。
ただ精神的な問題から自分に子供は育てられないと思っているので、そこら辺は負け犬になろうともならなくとも結婚してもしなくても、「勝ち犬」の皆さんに任せようと思ってますから。

人生って色々な分岐点があると思うのですわ。
学生時代なら「浪人するか」「滑り止め大学に入学しちゃうか」。「彼氏を甲にするか」「乙にするか」、「内定をくれたこの会社に行くか」「やりたい仕事が出来るまでプーで生きていくか」。
皆それぞれ何がしかを選んできたと思うのです。その選択の一つが「結婚するか」「しないか」じゃないのでせうか?
選ばなかった道について想像をめぐらせるのは勝手だし止められない。
ただし、どちらかが正解、というわけではない。決して。

と持論を主張していると大抵の場合、母はこういうんだな。
「でも血を分けた人間というのは人生の選択において第一にあるべきものなのよ?血を分けた人間の前には、どんな繋がりも消え去るのよ」。
まあ、だから子供を産め、そのために結婚しろ、という話に続くのだが。
血が繋がっていない人が家族のふりをしている一家だからこそ言われる一言なのだが。
……こんなこと書き込んで良いのかな。まあいっか。


共感と鎮魂

2005-01-06 23:55:26 | 日記・エッセイ・コラム
実は昨日の話をここに書こうとしている。
昨日は煩悩ネタ満載で書ききれなかったから。(--;

インドネシア沖の地震が起きてから昨日が丁度10日目だった。
タイでは鎮魂祭が開かれたとのこと。
被害に遭った現地の人々や、知り合いを探す外国人らが集い涙を流す映像がテレビで流れていた。
合わせて、欧州各国でも時間を合わせて黙祷を捧げる取り組みをしていたらしい。
BBC NEWSより引用(英文)

全く知りませんでした。
ワタクシ年末年始で浮かれていました。
テレビでマツケンサンバⅡを観ながら腰振って踊ってました。
餅食ってどろどろ寝てました。
幾十万の死体が今このときにも熱線を浴びて朽ち果てているというのに。

私がテレビとネットを通して視た情報による限り、街角の教会は弔悼の鐘を鳴らし、そして街を歩く人々は足を止めてじっと黙祷を捧げていた。(向こうの黙祷は3分間らしい)
ビッグベンの前でも、フランクフルト中央駅の構内でも、ブリュッセルのEU本部前でも。
彼らが全員知り合いを津波で失ったわけではないだろう。普通に生活しながら、普通に黙祷しているはずだ。

その時日本人は何をしていたのだろう。

確かにタイは最近欧州でブームらしく、欧州からやってきた大勢の観光客が犠牲になったのは事実。
でもそれは日本も同じではないのか。
幸いなのか不幸なのかtidal waveはtsunamiとして表記されていることでも分かるように、日本は地震大国。
だからこそ共感できる心というものもあるはずだろう。
よもやクリスマスシーズンに冬休みを取って海外旅行している人に対して羨望とうらみを持ち「自業自得だ」とでも思っているのではあるまいな。

町村外相がNHKの夜のニュース番組で、「政府もやるべき支援はする。国民も支援してくれ」と呼びかけていた。
一部のNPOやボランティアを除くと、総じてこの事故に対する日本人の反応は鈍い。
イランの邦人人質事件の際にも似た感情を持ったのだが、この国の人々は他人の感情に共感するということを忘れ去ってしまったのではないだろうか。

とんちで有名な一休宗純は正月元日に骸骨を杖に掲げて京の町を歩いたという逸話が残っている。
「めでたい日に不吉な」と打ちのめそうとした民衆に、「おまえらの皮の下は皆骸骨じゃ」と一喝したらしい。
死を忘れるな。memento mori.何故か西洋の発想に通じるところが人間の面白いところだ。とか。


ワークワーク(もしくは封神演義その2)

2005-01-05 23:51:20 | アニメ・コミック・ゲーム
フジリューの新作「ワークワーク」買ったよ!
ちゃんと正規ルートで本屋さんで買ったよママン!

マンガの発刊日を全然チェックしていなかったのにも関わらず、昨日から話題の奇才・藤崎竜氏の新刊を本屋さんで偶然発見するはめに。
ありがとう神様!ありがとうフジリュー!
でも古本屋でマンガ10冊1500円で購入した身としては1冊410円はちと高いさ……

昨日社会人は余裕だとか言っていたのはどうした己。

ともかく、だ。

ワークワークとは。
世界のことなり。
我々からみれば未来の世界のことてすと。
黒い血が流れる人間が意思を持つ機械と敵対し戦う未来。赤い血の人間はそれすなわち神であって、なのに黒人間の気を惑わせ機械を従わせるらしい。
機械と戦い人を守ることを宿命付けられた機械寄生人間の防人が神を手に入れれば望みが叶うのだと。
神を手に入れるのは黒人間か機械かそれとも防人か。

……いかにもフジリュー世界。正義がどこにあるのか全く分からないところとか、またしても色々パロっているらしいところとか。
すんません私全く知識がないもので。
護神像に付けられた名前とかキャラの名前とか洋服とか絶対見覚えも聞き覚えもあるのに何のことやらわかりませーん。
あえて言えば賢者ヨキは賢人(ワイズ・ヒュー)ヨーキに極めて似てるなあ、とか……
はいそれは藤崎竜氏の短編「TightRope」の話に出てくるキャラですね。そりゃ似るだろう同じ作者だもん。
タイトロープも続編が是非読みたい。あの話は今の藤崎竜氏のマンガには欠かせないギャグキャラが弱いけれども。
それはそうとワイズ・ヒュー・ヨーキは楊貴妃からとったのでしょう。ということできっと賢者ヨキも楊貴妃だ。
それじゃ預言者キクは誰?

なんて読み方ができるのが藤崎竜マンガの楽しみの一つなのだが。

無論、人物の表情とか機械の描き方とか立体物の書き方とかデジタルなものの書き方とか見開きの使い方とか古典文学と量子力学を並行して描けるところとか、
驚嘆することを次から次へ展開してくれるところはもとより大いに楽しんでおるぞ。
えらそうだな己。

驚嘆したといえば太公望ですよ。封神演義ですよ。
丁度フジリューの連載が始まったころから刊行された宮城谷昌光氏の「太公望」(文春文庫、全3巻)でも
望が殷王の人狩りから命からがら逃れるシーンから始まる。
封神演義も人狩りのシーンを回想して望が戦う動機付けを見せ付ける。
やっぱセンスあるよ。買いかぶりすぎなのかもしれないが。というか私のこじつけかもしれないが。
さらに、西岐の姫昌が釣りをする太公望のところにやってきて「釣れますか?」と聞く、あのシーン。
超有名な逸話を知らない人は全くほったらかしにしたまま良くぞ見開きで描いてくれたと。意味もなく号泣いたしました。
脇を固めるキャラも極めて個性が立っていたし、それぞれ史実をさりげなく踏襲した描かれ方が好感をもてました。

いやだなあ×記号とか使う話はいたしません。
分からない方はそのまま素通りしてくさだい。

だって宮城谷先生の本を超初期に読んでしまったわけですよ。
先生によると、望出身のキョウ族は風習として髪型は辮髪らしいですよ。

辮髪。

色んな夢を打ち砕くのには良い言葉だと思いませんか?

<追記>
ワークワーク、名前の由来はゾロアスター教だという説を入手しました!
松田→マヅダ。もっと早く気付くべきだった…。


封神演義(藤崎竜)

2005-01-04 23:41:44 | アニメ・コミック・ゲーム
正月とは過ぎ去った一年を振り返り、新たに来る一年を迎え入れるもの。
仏教では百八の鐘を撞き旧年中の煩悩を洗い清めるという。
現代人はふるさとに帰省する格好の長期休暇として利用しているけれども。
私も現代人のはしくれとして実家に帰ったのだが。

どうしたことだろうか。
学生時代に買ったままになっていたマンガを一式読破してしまった。
その数およそ50冊。
しかもあらかたのシリーズが未完なのに購入を中断していたため
読んでも結末が分からずフラストレーションたまりまくり。
結局仕事場をすえている東京に戻ってくるなり
ブックオフに駆け込んで買いあさる始末。

全然煩悩打ち払ってないじゃん。だめじゃんおれ。
むしろ煩悩勃発しておるよ。

それでもって購入したのが何かというと、

「封神演義」(藤崎竜/安能務訳「封神演義」講談社文庫より)

タイトルそのものなのだが。
手元にあったのが全23巻中13巻までで、
話は丁度12人対10人の大バトルの真っ最中。
残り10冊を一気買いしても、古本屋価格なので1500円なり。
全く痛くも痒くもないぞ。社会人とは何と優雅なのだろうか。

…だから煩悩はどうしたよ己。

で一晩かけて10巻を読破した。

元々藤崎竜氏のマンガは全て大好きで、
「WORLDS」
「PSYCHO+」
「DRAMATIK IRONY」
初版で買って擦り切れるくらい読んでいるのだが、
「封神」はどうしても週刊誌で連載が長期化した場合にみられる雑さやいっぱいいっぱいなところが、昔は気になってしょうがなかった。だから購入を中断してしまったのだが。
当時は原作とされる文庫本も読んでおらず、「仙界大戦」も週刊ジャンプにありがちな対戦ものとしか読めていなかった。

だが今一気に読み返して結末まで知ってしまうと、多少のアラは目をつぶってしまえる。
原作をある程度忠実に踏まえ、さらにそれを料理したうえで、彼独特のギャグを飛ばし、彼独特の世界観を散らして、
その上で既存のマンガ・アニメをあえて(だと信じている)借用までして新たな意味づけを加えている。
曲がりなりにも原作は中国神話時代の壮大な大河ロマン(?)。
これだけギャグったりパロったりしている超訳本は過去にも未来にも現れないだろう。
これはどえらいマンガかもしれない。
10年後読み返しても面白いと思えるだろう。多分。

しかもちゃんと完結するまでテンポ良く連載が続いていたことが窺える。
過去ドラゴンボールを代表として、人気連載を無理やり長期化しようという目論見の結果、素人読者の目にも明らかに低質化するマンガがぞくぞくあった。
少なくとも「封神」は素人目には分かりません。良かった。よくぞ頑張った藤崎竜氏。

あ、私藤崎竜氏の大ファンだといった割には「サクラテツ対話篇」購入していませんでした。切腹。
またブックオフに行こう。

…正規ルートで買えよ己。

……だから煩悩はどこから持って帰ってきちゃったんだよってば。


一富士ニ鷹?

2005-01-02 22:16:56 | 日記・エッセイ・コラム
新年あけましておめでとうございます。
旧年中のご厚情を深謝するとともに、
本年も変わらぬご指導ご鞭撻のほどを
宜しくお願い申し上げます。

初夢は1日晩に見るものなのか、
2日晩に見るものなのか、
諸説はあるらしいが、
取りあえず今年最初の夢を見た。

…出身大学の校舎でトイレを必死に探す夢。

なんじゃそりゃー。

というか夢解析的には何なんでしょうかねこれって。