胎の名前

過ぎにし胎はただ名前のみ、虚しきその名が今に残れり。 (ウンベルト・エーコ先生とは関係ありません…)

止揚と陰陽

2006-08-29 02:00:18 | 日記・エッセイ・コラム

今日の話題はあまり気分の良い話ではない。
ので、心にのりしろがない方にはお勧めしない。


他でもない、子猫の件。
どこぞの女性作家が「社会の公器」上で自らの性癖を告白した、あれですよ。
彼女の論旨やそれに対する世間の猛烈な反抗については割愛。敢えてリンクさえ張りません。

そもそもひさは無類の猫好きなので、今回の件は冷静に考えることができない。
これまで何度か批判的なことを書こうとしたが、どうしても感情的になってしまって文章がまとまらなかった。
これが例えばひさが大嫌いな犬だったらどう思っただろうか、と考えてみたが、これはこれで逆もまた真なりだということに気付き断念。

ということで、彼女の所業、性癖、言い訳もといへ理屈、そして世の中の動きについては直接的には言及しません。ざまあみろ。(誰にだ)

それでも尚且つ少しだけ。

親戚に鳥肉が一切食べられない人間が居る。
食べられないどころか料理するのもだめ、人が唐揚げを食べているのを見るのもだめ、さらに人が鶏肉を食べた後であることを微かに漂う口臭から言い当てるほどの徹底ぶりである。
一時期は卵もダメだったそうだ。

原因ははっきりしている。
戦後間もない頃、食糧難が漸く解消したかしないか程度の時期、タンパク源といえば給食で出るまずいクジラの肝油ドロップくらいだった頃の話。
ご近所のおじさんが「ごちそう」だと言って、そこら辺を飛んでいるスズメをパチンコ玉で打ち落としてくれたそうだ。
おじさんだけでなく、当時それはまあまあ一般的にされていたらしい(とその親戚は言っていた)が、 それ以降その親戚は一切鳥に顔向けできなくなった。らしい。
あの鳥は食べてこの鳥をかわいがる、という芸当ができなくなった、ということなのだろう。

だがこういう人はあまり一般的ではない。
大抵の人間は、動植物を愛でる心を持ちながら、同時に生存の一環として殺生に関わっていることを受け入れているか、もしくは気付かない振りをしている。
生は、殺生を疎んじる理性よりも先に生まれたのだから、相容れなくてもおかしくはない。
むしろ自分に直接かかわりのないモノに対しての尊厳、という理性が生まれたからこその話で、相容れないことそのものに苦しむ必要はないのではないか、とひさは思っている。
自らの生存のあり方に感情を込め始めると絶食しなくてはならなくなるからね。
実際、そのあたりを止揚すべく、これまでにいくつもの宗教が一定の解を導き出している。

だが、さらにやっかいなことにこの理性、人間は動植物を自分の同種に見立てて愛でる習性まで持ち合わせてしまっている。
丁度ひさが良い例でしょう。猫ならライオンでも豹でもかわいいが、犬ならチワワもにっくき敵だ。
でもこれは例外的なことではないらしい。
住民票までとっていた那賀川のアザラシが不慮の死を遂げたことに涙する人から、2足歩行するアライグマの子供誕生に涙する人まで。
一方では勝手に人格を与えてかわいがりながら、もう一方では食したり疎んだりすることができる。
そもそも、人を愛しながら一方で殺し合いができるものであるのだし。
こちらもいくつもの宗教が克服しようとしてきた点ではあるのだが、どうやらぱっとしない。

だから、例の彼女も、子猫を棄てながらそれを産んだ親猫を愛でることができるわけだ。
彼女を非難する人々も、見たことも会ったこともない子猫をかわいそうだと嘆きながら、見たことも会ったこともない彼女のことを正視に堪えない罵詈雑言を注ぎ込んでこき下ろすんだ。

この件、本当は底の見えない人間の業というものが真の姿なのじゃないだろうか。

という恐ろしく暗いネタが当ブログ記念すべき100記事目と相成りました。
日頃からのご愛読つとに感謝いたします。


熱闘と力投

2006-08-21 02:13:29 | 日記・エッセイ・コラム

タイトルにひねりがないです。
ううむ飲みすぎて力尽きました。と初っ端から謝っておきますすいません。

断っておくが、高校野球にはかねてから苦言を呈したいタチなのだ。
野球は好きなのだが、野球のために本来なすべきことを全て投げ打って、もしくは投げ打たされて集中させられる子供がどうにもこうにも不憫でな。
たかが15歳前後の子供に、大人は一体全体何を求めたいのか。
感動とか、勇気でも元気でも良いけれども、そんなのははっきり言って押し付けだろう、とか。
越境入学までさせてチームを強くしたりとか、身体を壊して野球ができなかったら学校そのものに居づらくなるとか、何かおかしくはないか。
それが「健全な青少年育成」をうたう大人の所業なのかと。

と思ったのは自ら子供だった時代、ちょうど球児と同年代だったころの選手たちを見ていての感想。
当時準優勝になった学校のエースの投手、確か地区予選からずっと決勝まで投げ続けて、
結局無理な登板が原因で身体を壊して投手生命を絶たれるわけですが。
閉会式のセレモニーでダイヤモンドを一周する彼のひじが曲がったまま、最後まで伸びないんですわ。
もう片方の腕はしゃんとしてるのにね。伸ばせないんですね。痛んで。
高校野球準優勝は確かにものすごいことだけれども、人生の一部を懸けるほどのことなのかいと。

と、これを書くためにそのピッチャーのその後をネットで調べたら案外たやすく調べがついて、
それなりに彼は満足できる生活をしているらしいことが分かったのでまあ良いのですが。

と、長い前置きを並べて何が言いたかったかというと。

今回の夏の高校野球。
はっきりいって、どっちが勝っても癪に障る学校しか残ってない。
金に飽かせて人を集める能力がある大学付属高校も、優勝したことを(言葉通り)酒の肴にした連中が在籍した大学附属高校もだ。
どっちが優勝しても、あんたたちそれをダシにしてまた金を巻き上げるつもりでしょう。

としか思えなくても、両者の投手は2人ともものすごいものを見せてくれました。
決勝に残るチームの投手としては、球種はもう少したくさんあっても良いと思うし、ミスももう少し少なくても良いかもしれない。
でも、決勝という舞台に上がった瞬間、彼らは違う次元に行った。ように見えた。

結局、明日もう1回戦わなければならないわけだが、
2人とも、将来につながる身体なんだから、くれぐれも無理しないようにと願わざるをえなくなった。

準優勝でもスカウトは来るよ。
今勝ちに行って肘・肩を壊して投手人生を絶たれるのと、準優勝して大学・社会人・プロと戦うのと、どっちが良い?
盛り上がってしまっただけに、冷静な大人の意見を誰かささやいてほしいと願うばかりである。


写真の外部サイト移管について

2006-08-19 01:15:09 | 日記・エッセイ・コラム

事務連絡です。

以前から某所各所に散らかしていた写真ですが、意を決して公開場所を整理統合することにいたしました。
無料で200M貸してくれるサイトを発見したのでそちらへどぞー。
LifeShotのひさのページへ)

決してうまいわけでもなく、撮影もカメラ任せ、色補正も何もなしで公開していますので我ながらどうよ?と思うところもないわけではありませんが、
何かのご参考までに見ていただければこれ幸い。

まあ、他人の写真と並べて表示されて、色使いや構図がネクラだなということが分かっただけでも収穫か。


妥協と生業

2006-08-15 02:14:48 | 日記・エッセイ・コラム

あるレストランに関して。
長い話、しかも実名全て伏せます。読みにくいですがどうぞご容赦ください。

そのレストランは小洒落た住宅街の中にあった。仮に「X」としておく。
特色は今時流行りの自然派食材にこだわったメニュー。
お値段はちょい高いが、ここなら絶対間違っても変な食材は使わないという安心感により時たま利用していた。

のだが、6月に入って宴会用の店を探してぐるなびを物色している中で、店の名前が「A」に変わっていることに気づいた。

Xはオーナーでありシェフでもある「Y」さんの名前をもじった店名である。
ひさはYさんとは面識がある。おもに相方が開店以来お世話になっている方である。
Yさんは創業時より食生活に対する哲学のようなものを持っており、 Yさんが信じる食文化を全国に広めるのを究極の目標している方である。
そんなYさんが自らの名前を店から外すなんて、どうすっ転んでも考えられない。

新レストランAのページに向かう。
運営会社を見ると、Yさんが社長を務める会社ではなく、「Z」社の名前が書いてある。
Z社のページに飛ぶと、一応「レストラン店名変更」についてのリリースが掲載されている。

Z社はYさんと無関係ではない。無関係どころか、Z社はYさん会社の出資者でもある。
あまりぱっとしない町の鉄道ガード傍にあった小さな定食屋のようなレストランが小洒落た住宅街に移転したのも、 Z社と全面的にコラボレーションしてのことだ。
単価も上がりオサレな雰囲気になってしまい、常連にとってはちょっと行き辛い雰囲気にはなってしまったが、 それでもZ社との提携のおかげでメディアへの露出度も高くなっており、メジャーへの道を歩み始めていた。
Yさんの思想も昨今のロハス・マクロばやりでそういうのが好きな人々には静かに浸透しつつあったのだ。
mixiでもひそやかながらコミュがあったくらい。

ところが、店名ももちろん、その思想に関する記述もYさんの名前すらもAのHP上には見当たらない。
「店名変更」どころか、経営権そのものがYさん会社からZ社に移動しているんじゃないのか。
メニューはほとんど変わらないし、自然派へのこだわりや使っている食材はY時代と変わらない。
いや、むしろだからこそ強烈な違和感を覚えるのだ。Yさんの名前を使わずに、Yさんの哲学を語ってもらいたくはない。

翻ってYさん会社のHPへ。
当然というか何というか、トップページからリンクしていたはずのレストランページが消失。
そういえば、毎週発信されていたはずのメルマガ、5月くらいから新しい号が届かなくなっている。
このあたりからひさの中で嫌な予感が炸裂し始めた。
職業柄というか何というか、こういうドタ勘は大体的中する。残念ながら。

レストラン以外の店舗を奔走。 目にしたのは、残骸ばかりだった。

デリ専門店を出していた某オフィスビルのスペースには「閉店しました」の張り紙。
自然食材を買えるネット通販サイトまでも5月末日をもって消失している。
事務所は薄暗いまま、人の姿がありません。
(本店所在地は事務所のある区ではない別の区なので、この事務所が現在も機能している保証はないのだがね)
Yさんが世間と繋がる窓口が全て閉じちゃっていたのだ。

さらに、色々調べを進めていくと、 Yさん会社に出資していたはずのベンチャーキャピタルがいつの間にか手を引いていたり、 Z社が保有株式の減損処理をしているのを発見したり。
(減損というのは、持っている株式の値段が未来永劫どうやっても買値には戻りそうにないくらい下がった時に、 本来売っぱらわない限り実現しない損をあらかじめ帳簿上織り込んでしまう処理のことです)
銘柄については記述がないのだが、時期的にYさん会社だと考えると腑に落ちる。

ここまで来たら当事者にあたるしかないわけですよ。
勢い込んでZ社社長に突撃!……しようと思ったんですが失敗。
仕方なく同社の広報担当者に聞いてみると、「レストランは昔も今もZ社が運営」していて、 「Yさんのプロデュースが外れただけ、メニュー方針は従前と同じ」だという説明。
ああそうですか。でも、Yさんの名前を使わずにYさんの哲学を語ってほしくねえんだよ。
とこの人に喧嘩を売っても仕方の無いことなので断念。

それではと、肝心要のYさんに突撃!……したのは、相方ですが。
レストランの運営方針で意見が合わず、「乗っ取られた」のだそうです。
それでもって設備投資やら何やらで要した費用を回収できず、回転資金も尽き、倒産を決意したそうです。

詳しいところはよく分からない。何より双方の当事者ともに私は会えてないので。
事実認識が双方かなり食い違っているように思えるのですが、どっちが真実かはひさにとってはあまり意味はない。
今後債務処理の段階で情報は整理されていくんでしょう。

飲食業は、3年で半数がつぶれるらしい。
その中でYさんは10年お店をやってこれてきたわけで。並大抵のことではなかっただろう。
ただ、たまにしかお店に行かない素人の目から見ていて、 Yさんが哲学を普及させようと願うあまり、哲学を曲げて妥協している面もあるようにも映った。
民間企業にとっては会社の継続が何より重要だけど、事業哲学が揺らぐ会社の継続は極めて困難だ。

Yさん曰く、「夢をもう一度追いかけるためには、今の状況を一旦閉じないとだめなんだ」。

どのくらい尾を引くのか見当もつかないが、再びYさんレストランが実現することを祈るしかない。
ちうか、移転後、全然食べに行けなくってすいませんでした!反省。

無くして分かる有難さ 親とサイフとYさんレストラン。(@某粘着テープのCMから)


滞留と潮流

2006-08-12 00:33:16 | 日記・エッセイ・コラム

ご無沙汰しております。
ってほどでもないんですが。1ヶ月弱くらい??

言い訳じみてますが、ちょっと人生の出力が落ちていたのです。この1ヶ月半くらい。
大好きなのだめのレビューが書けないくらいだったので、それなりにそれなりだと思うんですが。

もっとも、のだめに関しては、近所のコンビニで掲載雑誌が毎号毎号売り切れていて手に入らないちう事情もあるんだがね。ありえないでしょうたかが20代向け女性漫画雑誌で。

気を取り直して色々書き連ねていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。はい。