胎の名前

過ぎにし胎はただ名前のみ、虚しきその名が今に残れり。 (ウンベルト・エーコ先生とは関係ありません…)

郷愁と政宗

2011-07-16 21:45:12 | 日記・エッセイ・コラム

3月11日を境に様々な価値が大きく変容を遂げたんだと思う。

このあたり、いずれ一度真面目に振り返りたいのだが、考えがまとまらない。
まとまらないので、当たり障りの無い事柄を先にアプしてしまう。



幸か不幸か、いや、偶然でしかないのだろうが、ひさ個人は東北地方との縁は極めて薄い。
縁者も知人も誰一人住んでいなかった。
その事実さえ、今回の事が起きて初めて認識したくらいなもんだ。
そんなだから、土地勘も距離感も今もって我が身の腑に落ちる感じはない。

思い返せば16年前、神戸で地震が起きた際には
国営放送以下の在京メディアは軒並み地名を読み間違えたり場所を間違えたりした。
市町村名さえ覚束無かった。
そりゃあ、東京の人間にとってみれば500キロも離れた地の事など知る由もない。
仕方が無いことだ。
自分を顧みれば、他地域の事など地図とネットがなければ全く概要を掴むことさえできないのだから、
他人がそうであることを非難することはできない。


それなのに、
あの地震以降、被害状況が次々と報じられるなかで居ても立っても居られなくなった。
出てくる地名が全て聞き覚えがある。
県庁所在地や大型地方都市だけではない。
相馬も会津も、二本松も白石も。
ネット上で宮城県亘理町で命からがら逃げ果せた人の文章に行き当たるに至って、
今すぐに駆け出したい衝動に駆られた。


これらの地を、ひさは知っている。
行ったこともないし知人も居ないが、その地の由来となった武将の名は全て思い当たる。

そう、あの名作大河ドラマ、「独眼竜政宗」のお陰だ。
この辺りの土地の成り行きはひと通り把握している。
ひと通りどころか、むしろ第二の心の故郷と呼べる程に慣れ親しんでいる。

江戸時代初期、亘理町を治めたのは、伊達政宗の従兄妹にあたる伊達成実だ。
奥方の実家が亘理家だった。
政宗が仙台に城換えされた時に成実を亘理に配置し、以後居城となった。はずだ。

地元の武将の名がそのまま地名に残っている地域は東北を除いて案外少ないのではないか。
安定的に地方政治を敷いていたとも言えるし、地元に目ぼしい風物がない事の表れかもしれない。
(松島とか石巻とか一部では残っているけれども)
裏返してみれば、自然災害が頻繁に起こるため自然物から地名を名づけづらい環境なのかもしれない。
この辺りは妄想でしかないが。

だから、もう一度彼らに会いたくなった。
ただの観光気分で現地に入るのはまだ時期尚早かもしれない。
それなら、せめてあのドラマで時期が至るまでの間、復習しようではないか。


ということで、買っちゃいました。
DVD「独眼竜政宗 完全版」。

NHK大河ドラマ 独眼竜政宗 完全版 第壱集 第1回 ~第27回収録 [DVD] NHK大河ドラマ 独眼竜政宗 完全版 第壱集 第1回 ~第27回収録 [DVD]
価格:¥ 44,100(税込)
発売日:2004-01-23

何がどう完全かというと、何と日曜午後8時からCM無し45分間放送していたあれを全部ノーカット収録しているという、
マニア垂涎の一品。
ちうか、マニア以外誰も手を出さない一品。
中古品で購入したため、それなりに安くは買ったものの、
制作者にも東北地方の方々にもビタ一文寄与していない。いいのか己。
誰得な買い物ではあるのだが。
東北への思いを目に見える形で表明し、今回の地震が己にとって無関係ではないことを明らかにしたかった。

誰に対して明らかにしたかったのか?
誰だろうなあ。己ではない何者かにだろうかなあ。


ということでアマゾンでポチっとボタン発射したことで入手したDVD。

普通に平日徹夜で観続けてしまうんですが。
何ですかこの魔力。
超おもしれーじゃねーか。
目を離す隙がないというか45分間一度もムダかなと思う瞬間がないというか、
個々の役者の芝居力がなくてもぐいぐい引きつけてくる構成力。
専門家ではないのでよく分からないのですが、
脚本が巧みなのか演出が上手いのか、映像の編集方法が絶妙なのか。
今観ても全く色褪せていない映像の力を感じました。
国営放送はむしろいっそ大河ドラマの再放送枠にこれを毎週流せばいいと思うよ。

ちうことで(?)
暫くはこちらに鑑賞後の感想を書き連ねそうです。御免。


……まあ、地震の前から某BASARAゲームで奥州筆頭にいれこんでいた事は敢えて声高には言うまい。


有事と対峙

2011-07-16 11:03:56 | 日記・エッセイ・コラム

すっっかり放置していたこの空間だが、
記録を残しておく場として捨て置くのは勿体無いと思い直して再び整備。



とはいえ、直近のエントリ がこんな内容だったがために、
否が応でも地震の事を振り返らざるを得ない。


その時、自分は誰かを助けられる側に回れるだろうか。
かねてからの命題に対峙した今回、現在までに己が為した幾許かの事。

・寄付
・支援物資の送付
・買い控え
・節電

……ささやかに過ぎる。恐ろしい程の非力。
目の前に横たわる日々の雑事に囚われて、現地に入ることさえ出来ないとは。

いい大人が何を立ち竦んでいるのか。

友人の1人は、原発事故が起きた直後に首都圏を離れ、日本の中西部で農業者に転じた。
身元が分かる食材が今後求められるだろうから、そのための布石づくりなのだと。

別の知人も被災者の一時受け容れに手を挙げた。

有事にさらされて丸裸になった時、人の真価が問われる、とはまあよく言ったものだ。

 

だから何も起こらない日常をこそ丁寧に生き延びるべきだったのに。
己は何をしていたのだろう。

そして、これから己は何をすべきなのだろう。

 


鈍色と嘆息

2008-09-06 02:43:10 | 日記・エッセイ・コラム

流行りモノには鈍感なはずなんですが。

クローム試してみました。


うわさに違わず早い。こりゃいい。
特に画像サイトやここのブログの編集ページのようにたくさんタブやら何やらがついているサイト。
写真も文字もいっぱいいっぱいでかなりユーザーを無視している新聞やらメディアのサイト。
全文表示まで瞬き未満ですよ。
この速さはなんだ。犯罪ですよ。
というか、今までのブラウザは何であんなに遅いのか。


ネットを待つ時間は、人生の壮大な待ち時間の1つだ。


人生にはたくさんの待ち時間がある。


手紙を書いて相手から返事が来るまでの時間。
電話をかけて相手が出るまでの時間。
呼び鈴を鳴らして相手が玄関に出てくるまでの時間。


決してムダではないはずなのだが、ほんの一瞬であるはずなんだが、
自分の自由にならない時間であるのは間違いない。
相手にいいように振り回されて、その間にいろいろ想像を膨らませて、
期待通りの反応にうれしくなったり、予想もしない裏切りにあってひっくり返ったり。


不自由な時間はそれはそれで愉快であってきたはずだ。


なのに、ことネットの待ち時間は何故かくも苛立たされるのか。


ネットデビュー以来約10年間、一途に熱烈モジラユーザーだったわけだが、
一瞬にして浮気心が出てきた。
速さだけでなく、一旦閉じて再び開いたときに、
最近開いたページ一覧が画像付きで表示されるのも心憎い。
直前に変なページを開いていた履歴が周囲にバレる可能性も高いがな。


ただ、火の狐さんで慣れ親しんだアドオンの楽しき日々も忘れられず。
ちうか、ぐぐるーさん、火の狐の開発協力をしているならこっちも改善できないものか。


ということで、しばらくは使い道に応じて二股かける予定。
混乱は愛してこそ。

 


多忙と遠望

2008-05-25 00:58:20 | 日記・エッセイ・コラム

お久し振りです。


ええ私は元気ですとも。
ただ多忙だっただけです。

日々の仕事に追われて日々のことを書き留める言を失うくらいにね。

普段なら、仕事を侵食するくらい四六時中つまらぬ妄想やら何やらが溢れ出しているのを止めるのに必死なひさなわけだが、
さすがに直近の日常はそれをも凌駕した。
忙しいとは心を亡くすさまなり、とは誰の言葉だっただろうか。





そんな忙しさの中に紛れ込んできた一報。
お世話になった、とひさが勝手に思っている旧い時代の先輩の近況。


そのひとは某社記者からミステリー作家に転進した。
記者時代の文章から察するにかなりの書き手のはずだ。
いつの間にか会社を辞めて専業作家になったらしく、既に10冊近く出版されているとのこと。
筆名でミステリー小節を公表しているため転身に全然気付いていなかった。


サラリーマン時代に小説で賞を取っていたらしいこともな。


記者時代の先輩の仕事ぶりは掲載紙の上でしか知ることがなかったわけだが、
近況を聞いて色々慌てて調べてみたところ、あなた。
恐ろしく署名記事が沢山載っていたあの時期に同時にフィクション小説も書いて賞を取っていたんですか。



教えてください先輩。
どうすれば多忙の折、言葉を失わずに済むのでしょうか。

どうすれば多忙の折、初志貫徹することができるのでしょうか。



ひさが文章屋で鬻いでいるのは、そもそも物心もつかない大昔に小説を書いて世に出す人になりたいと思ったのがきっかけだ。

あの昔の夢は果たしていつ諦めてしまったのだろうか。

それともまだ諦めていなかっただろうか。

そもそも諦める手続きすら踏んでいなかったか。



まあ、多忙で我を失うような程度の己が目指すべき高みでもないかもしれない。

趣味ベースでは今でもネットの狭間で色々やっていないわけでもないしな。



とはいえ、先輩うらやますぃー。

…これが本音かな結局。


浄化と老化

2008-03-24 00:38:50 | 日記・エッセイ・コラム

ここ最近、友人の結婚式が毎週末入っている。


他人の結婚式に顔を出してつくづく思うのは、
結婚すべき時に結婚している人の極めて多いことよ。と。
顔つきから察するだけだが、
人間としてある程度成長たタイミングで結婚の話が持ち上がるのだろう。


同じく参加した人間から「どうすれば結婚できるものか」と相談を受け、拙い人生経験からアドバイスしたのだが、
結婚は一つの通過点でしかない、のではないだろうか。
結婚はそれそのものを目標に走るものではなく、
マラソンの途中にある定点観測所みたいなもんなのではないだろうか。
20キロとか、折り返し地点とか。
給水ポイントとか。
ヘタするとコケる所なんか、まさにそういう感じかもしれない。


なんて他人のことを云々思うと同時に、参加する己の年齢も痛感することになった。


すぐ酔う。
食べ切れない。
涙もろい。
タチの悪い大人じゃないか。


いい加減年がいくと、結婚式はある種同窓会の様相を呈してくるわけだ。
新郎新婦の様子を見てそうなる、というだけでなく、
その場に参加している人々を見ながら涙ぐみそうになるというのはかなり重症なんじゃないかと思うわけだ。


激務なのに寝食を惜しんでわざわざ参加者のための引き出物を準備してくれた新婦の心遣いとか。
息子の結婚のためにン十年準備していた古酒の甕を機中抱えながら東京に運んできた新郎のお父様の心意気とか。
地球の裏側からわざわざ友人の結婚式のためだけにとんぼ返りしてくる友情とか。
新郎の元カノと新婦の元カレがお互いそれとは知らずギャラリーとして仲良くしゃべっていた、とか。


そして、一昔前に年賀状にデーメルの「浄夜」の一節を書き付けて送りつけてきた相手との再会とか。


君と僕は冷たい海にいる/でも君の温もりを僕は感じ、僕の温もりを君も感じている


私も向こうも何も孕んでいなかったし、
そもそも2人の間に何かがあったかどうか、今となっては不明というかどうでも良い話。


それでも、一回り年月が過ぎて、何か浄化されたものがあったとするなら幸いである。
お互い成長して、再会すべき時が来て再会したのかもしれない。
何かを孕む関係にはなりえないからこそ、今このタイミングで再び会うことになったのかもしれない。


と、ひとしきり泣けてくる自分に驚いたりするわけで。


すいません3ヶ月振りの記事なのにオチがねえ。


奇策と大作

2007-12-05 02:05:38 | 日記・エッセイ・コラム

普段は世間一般の話題にタイムリーに反応することは少ないのだが、
やはり今回は触れておかなければならないと思った。


野球日本代表の五輪出場決定。
公式サイトはこちら(全日本野球会議)

短期決戦にからきし弱い監督が、命がけで(本人談)1枠を勝ち取った、という話。

詳細な結果や試合の概要、および一通りの感想はこのブログでわざわざ説明する間でもないでしょうから割愛させていただきます。

ここ数年で、野球の日本代表に対するメディアの扱いが一変した。
これまでは五輪=アマだという某元老院の主張により、チームがアマ選手主体で編成されていたのが、
ここ数年はプロ選手を全面的に使うチーム編成を始めて強いチームを作れるようになったからでもある。
2年前に、米国の米国による米国のための野球大会でたまさか1位を頂戴したからでもあり、
その際隣国と3度も対決したことで因縁が積もっているからでもある。
ペナントレースじゃ広告が取れない分、こっちを盛り上げてどうにかしようという意図もちらほら見える。

どれも一因ではあるのだろうが、私はさらに1つ、チーム間の垣根が低くなったことがあるんじゃなかろうかと思うのだ。

巨軍のピッチャーと虎軍のキャッチャーとが勝つために協力して戦略を考えるなんて一昔前にはなかった。
自軍では長打力を求められるバッターが犠打をやすやすと打つ姿も想像つかない。

元来野球はチームスポーツであるものの、個人のプレーの結果が極めて分かりやすいスポーツでもある。
乱暴に言えば、ジャパンチームがどうなろうと自分さえ良いところを見せれば年俸は上がるしメジャーからもお呼びがかかる。
…はずなのだが、
今回監督はジャパンチームならではのプレーを皆に徹底させたらしい。

だからこそ、奇策も成功したのだろう。
皆にプレー方針を徹底させられた段階で、奇策は上策になっていた、のかもしれない。
監督自身は思いつきの作戦だなんて説明したそうだが。

この点においてだけは、今回の野球日本代表はサッカーのそれを超えたんじゃないだろうか。


なあんて。
ええ決して私がサッカーよりラグビー、サッカーより野球が好きだから言っているわけじゃないんでございますですよ。

色々あった奇策、基本的にはひさはあまり賛成ではないので。
高校野球じゃないんですから、もう少し運任せではない緻密な野球をした方が良い。
やっぱり人情に流されて短期決戦には向いていないよあの監督さん。

さて次は本選。
本選は来年8月、ペナントレース真っ盛りの時期。
もう一度今回のような団結を生み出せるんでしょうかねえ。嗚呼悲観主義。


必要と質量

2007-11-14 01:41:58 | 日記・エッセイ・コラム

最近すっかりご無沙汰になっているここの書き込み。



一応、生きております。活動しております。結構色々楽しんでおります。



ただ、気合がちょっと足りないだけなのだ。


最近歳を重ねたせいか、文章を書くのにえらい気合が要るようになっています。


これはどういうことだろう。
昔はどうでも良い作り話を書くために2晩続けて徹夜なんかしたことだってあったはずだ。
(注…夜寝ないで書く分だけ昼間は授業をサボって寝てましたよ)
あの情熱は、あの地球環境にちっとも役立つことのないエネルギーは一体どこに行ったのか。


考えてみれば、この期間、全く書かなくなったわけではない。


書く目的が仕事であったり、メールであったりSNSだったり様々ではあるが、何がしか書く活動は日々続けている。
ブログもここ以外で特定ジャンルに話題を限定したものを複数持っているし、

どうでも良い作り話は未だにネットのどこかで書いていたりする。


そういう、他で書く分量が多いだけ、ここで書くだけのエネルギーが減衰していっている。
そんな気がする。
きっとそうだ。


名付けてみた。


「筆量保存の法則」。


久々の更新がこんな駄ネタで良いのか己。

ここが更新されない場合にはどこかで何か書いているんだと想像していただければ幸いです。


去就と郷愁

2007-09-29 00:53:53 | 日記・エッセイ・コラム

第一線の人が第一線でなくなる時の振る舞いが、その後の一生を左右するかもしれない。


戦うメガネ捕手の監督退任と選手引退が決まった。

決して熱狂的な野球好きではないものの、メガネふぇちのひさとしてはチェックすべき人物だった。というか要注意選手だった。

わが心の支え、黄色と黒色の球団が最悪期だった90年代、いいようにしてやられた相手だったということもある。

何度煮え湯を飲まされたことか。

目の前で優勝を決められたこともある。

あの貧相な顔に何度も毒づいたことであるよ。

ひとたび球場を離れればお笑いの感度が良いとみられていたのか、テレビ番組などにもよく出ていたが、実のところその話し振りは私には合わず、あまり好ましい人物だとは感じていなかった。


見方が変わったのは04年のプロ野球界を巻き込んだ騒動の際。

実際のところは彼だけの力ではないとは思うが、オーナーとの交渉の矢面に立ちながら打率3割=トップクラスを維持している姿は素直にすごいと思った。

交渉ごとも、行動と実績が伴ってこそだからね。


だから、監督兼選手でも、選手に対して言いたいことははっきり言いながらも、要所要所で自ら試合に出てくるんじゃないかと、

それはわがチームには大変マイナスなことではないかと怯えていた。


結果はごらんのとおり。

本人が入団以来経験したことがない最下位でシーズンを終える可能性さえ出ている。


結局、オーナーと選手会は、企業経営側と労働組合のようなものである。

オーナーがわがままな経営者、選手会長はいわば労働組合委員長か。

でも、労働組合委員長が務まった人間が良い管理職になるかといえばそういうわけではない。

従業員側の要望をまとめて下から上に伝えることと、経営方針を下に伝え下を育てること、は全く違う次元の話だ。

さらに、自分自身の営業成績も下の者と比べられるような状況下で、下を統率するのはむしろ酷でもある。


ということで、今回の彼は業績不振につき引責辞任したのだと捉えている。

人気が高く客を呼べるからという理由で残留を望む声も多いようだが、成績不振である今、誰かが責任を取るべき状況ではあるはずで、彼自身が自ら責任あると判断して退くわけだ。

下位確定したその日に発表するタイミングも遅滞なくて良かったんじゃないか。


まあ、プロ野球の監督は事業部長みたいなものなので、問われる責任は軽くはないが一生を断たれるほど重いわけでもない。

今回彼ができなかったことは、時間や年齢が解決することもあるかもしれない。

また時が至ればどこかで何かしてくれるだろう。


その点で、自らの政治能力も心身状態も読み誤って一番最悪のタイミングで身を退けたどこぞの国の総理とは正反対である。


とは言いながら、気がかりなのはわが虎軍団の最長老、アニキの去就でもあったり。


橋梁と狭量

2007-09-09 11:38:15 | 日記・エッセイ・コラム

ちょっと話題が古くなったがアプ。少し不完全なアレではあるが。


過去の記事でこんなことを書いた記憶がある。

それでもって今回ひさが不安になったのは橋。

このジャンルも何だか嫌な予感がする。



何も実現しなくても良かったのに。

米国や中国であっけなく崩れゆく橋を目の当たりにして、
唖然としつつも、ああやっぱりそうかと思う己が居た。

過去に安全であったものが今も安全であるとは限らない。
とはいえ、今現在まさに使っているものを、ことさら危険であるとアピールするのはしのびないという思いも分からなくもない。
でも、誰かが心を狭くして断じなければ、起き得るべき悲劇を止めることはできない。


隠蔽と頑迷

2007-07-20 23:00:54 | 日記・エッセイ・コラム

人生なんて小ぢんまりしたものだ。

社会人になって行動範囲は広がったはずだと思っていたのだが、仕事を離れて日常生活に戻ると恐ろしいくらい自分のテリトリーが狭いことに気付く。

住宅街と小さな商店街しかなかったはずのご近所は、いつの間にかカフェとバーで溢れかえっている。
なのに、入ったことのある店は全体の5分の1くらい。
入ろう入ろうと思っている間に閉店するものが大半なのだが、大盛況なのになかなか足が向かない店も多い。
冒険心がないわけではないのだが、結局出入りするのは気心の知れた店員さんが居る店になってしまう。
100店ある中で3店くらいか。

飲食だけでない、振り返ってみれば、スーパーも半径500メートル内に3軒あるのに使うのはうちから一番近くて一番高い店だし。
コンビニに至っては10軒弱あっても2軒。
電車の駅も5駅が徒歩圏内だが3駅が限界だ。

そのうちの1駅、高架下の駐輪場を通りがかって張り紙に気付いた。
ホームを数百メートル左側に移転させるために半年後に駐輪場を閉じるのだという。
文面を読む限り、線路はそのまま動かさないようだが、ホームと高架にドッキングしたビルを移すようだ。
とはいえ、この高架下ビルは完成して10年も経っていない。まだ傷んでないのに、何故今更ホームを移転させるのか。

と、いつも出入りする飲食の店長に話題をふると、涼しい顔で言われた。
「あの駅ビル、耐震強度が足りないんだってさ」

地震が来るとぺしゃんこになるというので、慌てて隣接地に駅舎と高架下ビルを造り直すらしい、というのが地元で流れているまことしやかな噂話。
詳細は分からないが、元々高架があるのでそこに付け足す形で工事をするということなのだろうか。
とはいえ10両が停まる駅の鉄筋コンクリート構造物、どれだけ急いでも完成は2-3年後だろう。
何故その話が伝わってきたかというと、高架下に入っている店舗に鉄道会社側から引越しの提案があったそうで、その際にそんな感じの話が臭ってきたのだという。

そんな話、初耳だ。

因みにその駅、乗降客は1日20万人規模にのぼる。年間延べ7000万人。
東京で遠からず大地震が起きるといわれているなかで、何も言わずに営業を続けていくのか。
移転が済むまで3年間と仮定すれば、潰される危険性に晒される人は延べ2億人を超える。
私はその駅を常に使っているわけではないが、もし通勤・通学で日々そこを使う立場だったらどうなるだろうか。

もし私が常に使っている建物や電車が、こっそりリスクを隠していたらどうなるだろうか。

小ぢんまりした人生を送っていると、同じ場所を頻繁に出入りすることになり、リスクが実現して被害に遭う可能性は比例して高まることになる。

当事者が「地震が起きて潰れる確率が低い」と思っているかもしれないが、実際個人の人生ベースにならしてみると、決して低い確率とはいえない。

……こうして不作為の犯罪というものは作られていくのか。

こうして新潟の原発で放射能漏れも起きたのか。