神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

下高井戸村

2017-11-15 06:46:41 | 神田川2

 「下高井戸宿は、郡の東寄りにあり、江戸日本橋へは行程四里、村の広狭は東西へ十八丁余、南北十四町にすぎず、四隣、東は当郡和泉村荏原郡松原村に接し、南より西に至りては荏原郡上北沢村及び当郡上高井戸宿にも交れり、北は永福寺、成宗の二村につゞけり、民家は百三十二軒、すべて土性は黒野土、陸田多して水田少し」(「新編武蔵風土記稿」) 下掲「東京近傍図」に描かれた神田川の橋のうち、上流から二番目の鎌倉橋から左下隅の永福橋までが、おおむね下高井戸村の範囲でした。ただ、その半ば以降は神田川流域が境となって左岸の永福寺村との間を分け、これは現行の住居表示にも反映されています。

 

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    ・ 「東京近傍図 / 内藤新宿」(参謀本部測量局 明治13年測量)の一部を加工したもので、本来の縮尺は1/20000、パソコン上では1/12000ほどです。オレンジ線は区境、同細線は高井戸村当時の村、大字境です。 

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    ・ 下高井戸八幡神社  下高井戸村の鎮守で、神田川を右岸から望む台上にあり、「近傍図」の中央やや左側に描かれています。 

 <高井戸の地名由来2>  「不動堂 除地、六段三畝二十四歩、同じ辺にあり、この堂を守るものを本覚院と云」(「新編武蔵風土記稿」) 現在は宗源寺境内に移転していますが、いずれにしても甲州街道に面した小高いところにあり、これが高い所にあるお堂の意で「高井堂」と呼ばれ、高井戸の地名由来になったとの伝承もあります。高井戸の地名が最初に登場する「小田原衆所領役帳」には「高井堂」と表記されており、この説を補強する有力な材料となっています。なお、杉並区の公式サイト「すぎなみ学倶楽部」に収録された「高井戸の地名の起源を探る」は、本来の表記は「高井土」で、高井山本覚寺を創建した高井氏の開いた土地の意との異説を紹介しています。 

 

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    ・ 高井戸不動堂  本覚院が廃寺となったため、明治末に宗源寺に移されました。現在のものは昭和42年(1967年)の改築です。