神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

本村橋2

2017-02-18 06:37:01 | 善福寺川1

 「土橋 上荻窪村ニアリ本村橋長二間幅二間」 これは明治初年の「東京府志料」の記述ですが、「豊多摩郡誌」(大正5年)では、「本村橋 上荻窪村字本村にあり荻窪道善福寺池流に架す 構造木造延長四間幅員一間半」とあり、板橋に架け換えられたようです。この本村橋付近は橋場と呼ばれていました。「荻窪風土記」(昭和57年 井伏鱒二)には、ガード手前の左岸にコの字型に拡がる浅瀬があり、洗い場兼水浴び場であったこと、ガードと並行の板橋が鮠(はや)釣りに理想的だったこと、などが回想されています。なお、本村(ほんむら)は村で最初に開拓された地域の意で、「新編武蔵風土記稿」にも収録され、井荻村大字上荻窪の小字に引き継がれましたが、昭和初めの杉並区成立時に住居表示から消えました。

 

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    ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(昭和12年修正) / 荻窪」と「同 / 上高井戸」を合成したものです。 区画整理によって本村橋前後の道路も大きく様変わりしましたが、同一場所、同一縮尺の「昭和4年測図」は→ こちらです。

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    ・ 置田橋  左岸方向のショットで、四面道から分岐した本町通りです。この道をJR線と並行して西に伸長した際、置田橋を創架しました

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    ・ 本村橋  現在はJR線を越えた先に架かっていますが、区画整理以前には真下にありました。「私稿 上荻窪風土記」(昭和58年 小俣秀雄)には、ガード下の本村橋の挿絵が掲載されています。

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    ・ 善福寺川  本村橋を越えてすぐ左カーブ、南から東へと向きを変えます。カーブの前後の右岸には水路が合流しており、次回以降のテーマです。