→ 「成宗村絵図」で、和田村との境の手前に「天水」と書き込みがあります。雨水、湧水を用水とする天水田圃のことです。 → 「段彩陰影図」をみても、崖線状の段丘が迫っているので、その下からの湧水に依存していたのでしょう。「杉並の川と橋」の湧水リストにある「隠居山下の釜(成田西1-8)」、あるいは「尾崎熊野神社誌」(昭和44年 尾崎熊野神社)にある、隠居山の崖下の「釜穴」は、同じものかどうか不明ですが、いずれにしてもこの崖線下の湧水と思われます。
- ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(昭和4年測図) / 上高井戸」 左上隅で前々回の右岸流が本流に戻っています。右端で善福寺川とクロスしている破線は、当時の杉並町と和田堀町の境で、成宗と和田の村境を引き継いでいます。
- ・ 右岸段丘 上掲地図の左上に描かれた孤状の崖面です。「尾崎熊野神社誌」添付の地図はこの下あたりに湧水の存在を示しています。
- ・ 善福寺川 奥に見えるのが白山前橋で、村絵図にも描かれた白山神社前に架かる橋です。この前後の右岸に天水田圃が広がっていたことになります。
- ・ 天水田圃跡 旧和田村との境に架かる大成橋近くの善福寺川緑地です。右岸段丘が善福寺川方向に向かい、ほとんど接するところが成宗、和田の村境でした。